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2006年8月14日

(書評)人体 失敗の進化史

光文社新書 258
人体 失敗の進化史
遠藤秀紀著
ISBN4-334-03358-X
光文社 2006.6

 期待通りに面白い本だった。この本はタイトルに進化を謳いながら、系統樹といった進化論にお馴染みのアイテムが登場しない。動物遺体の解剖分析を専門とする筆者の、実践に基づいた解剖学の見地に立った、ヒトの進化史論となっている。内容は極めて具体的で、単に人が立ったとか脳が大きくなったというのではなく、実際の解剖成果を基に詳細な所見を交えてヒトのどの部分がどのように変化したのかを解いている。その結果として、トータルとしてヒトがどう進化したかではなく、個々の部分がどう変わったのかをおもに説明している。

 一般入門書を意識した書き方で、食卓の秋刀魚の話を交えた心臓の話や、フィギアスケートを話題にしながらの腰の骨の劇的な変化の話など、分かり易くて面白い。古生物の解剖学的な話も出て来るのだが、今実際に存在する動物の具体的な構造を比較しながら、ヒトの身体のつくりがどう変化してきたのかを説明する部分が中心だ。

 また、著者が解剖学を専攻しているとおりに、解剖学を通しての進化論の本でありながら、進化論を通してみる解剖学の面白さという含みを持っている。先に揚げた腰骨の話のほか、肩の骨の話、亀の臍の話、女性の月経の話などは自分にとって新しい内容でとても面白かった。


 惜しむらくは終章の直前、第四章の最後で

 「引き続き、描き換えに描き換えを続けながら、私たちは進化を続けていくのだろうか。」(同書 P.217より)
 
という問いを発して脱線してしまう。この問いに対して本旨から逸れた上で、

 「しかし、ヒトの未来はどうなるかという問いに対して、遺体解剖で得られた知をもって答えるなら、やはり自分自身を行き詰まった失敗作ととらえなくてはならない。」(同書 P.218より)

と結論付けている。投げ遺りとも取られかねない前提から失敗作という結論を導くことは、解剖学の面白さという私が受けたこの本の主旨にとって不必要だ。この流れをそのまま終章に持ち込んでしまっていて、なんとも後味の悪い本になっている。気持ちは分かるのだが、この本は解剖学の啓蒙に徹して、社会問題は別の機会にすべきだったと思う。

 ひとつ付け加えいると、進化に必要な遺伝子の取捨選択を非人道的なものとして排除する、というのが結果論として今のヒト社会であるという前提で、その範囲内では結果として種としてのヒトには進化も退化も起らない、というのが今の私の考えだ。

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