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2006年8月15日

敗戦の日に考えた

 責任とはなにか、何の役に立つのかということを考えた。責任とは、任務を果たさなければならないということと、失敗したらとらなければならないものということ。

 とある目的を持った集団がある。その集団がその目的を果たせなかった場合、問われるものが二つある。ひとつは失敗の責任を誰がとるかということ、もうひとつは何故失敗したかということ。集団には決断することを責務とする「長」の肩書きを持つ人(達)がいる。ひとつのパターンとしては、最終的に「長」の決断に誤りがあったとして「長」が責任をとることになる。

 歴史というものの見方をした時、「長」がどういう責任のとりかたをしたのかはあまり問題とは思わない。「長」が何故その決断をしたのか、というような原因をはっきりさせることが先を生かすことに繋がるから。失敗が重大であればあるほど、責任ではなく原因こそが繰り返し問われなければならないと考える。

 ある集団の「長」だった人が、失敗に対して責任はないという話があった。その人は「長」ではあったが、その決断が実行されるような状況ではなかったということだろうか。もしそうなら、その集団は誰も止めることのできない暴走集団だったということになる。それって怪しい新興宗教そのものだな。そんな集団とのおつき合いは御免こうむりたいと言いたいが、隣に住んでいたらそうも言っていられないか。

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