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2006年9月10日

高句麗と中国と朝鮮

 <それから2年>「東北工程」議論…手放した韓国、執ような中国(中央日報)

 高句麗の位置付けについてのニュースが報じられて、もう2年にもなるんだなと思う。このニュースは先週のもので、なにやら再燃したようなのだが、このニュース自体どっちもどっちというレベル。2年前には日本でも少し話題になったように記憶しているが、今回は全く話題になっていないようだ。もちろんそれで構わないのだが。

 このニュースは、近代以前の歴史に現代の政治を持ち込むとこれだけ不毛だという実例、というだけの話。ただ、こう言った話はなにも中国や朝鮮に限ったことではないのだが。

 現代の中国は清朝末期の領域の中で結果論として独立を許したのがたまたまモンゴルだけだった、という歴史上の偶然の産物として成立した領域を国土にしている国である。そこに歴史的必然性を求めようというのは、不毛なだけという話。

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