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2006年10月21日

小谷城と虎御前山

 滋賀県の山城探訪の第三弾。今日の目的は浅井氏所縁の小谷城。

 秋晴れのぬけるような晴天に恵まれ、風が強く冷たかったが山歩きには丁度良い。山の木々は桜や山漆などが色付き始めたばかりで、楢や楓はまだまだこれから。緑の奇麗な楓があちこちにあったので、紅葉の頃にはかなり紅く染まるかもしれない。

 小谷城跡は、北陸線の河毛駅から東に15分程歩いたところに聳える山の上にある。山麓には南北に細長い谷が拡がり、戦国末期、浅井氏が支配していた時代には家臣の屋敷が並んでいたという。この谷は南を入り口にして、東北西の三方を山に囲まれている。小谷城の本丸は東の山上にある。


 写真は、谷の入り口から北を見た所。正面が標高494mの大嶽(おおずく)城跡、その右の山のあたりが小谷城跡。

 谷を少し入ったところに城跡への登り道がある。5分ほど登ると尾根筋に出るのだが、尾根道もそこそこ勾配があり、運動不足には少し厳しく息があがる。30分ほど登った「金吾丸」の所から尾根に沿って郭が並んでいる。一番上の郭「山王丸」までは、麓からでも小一時間ほど。金吾丸の下までは、舗装された林道が続いているので車で上がることもできる。


 小谷城の中心は、「大広間」「本丸」と続く郭。写真は大広間の手前から本丸の土塁を見たところ。大広間は南北85mという拡がりをもつ。本丸は天守台のような小高い空間で、往時は石垣の上に櫓が建っていたとも。


 小谷城主の浅井長政は落城とともに自害して果てたが、それは本丸か大広間でのことと思っていた。大広間の東に赤尾屋敷という郭があり、ここには写真のように「浅井長政公自害之地」という碑が立つ。

 東側の尾根で一番高いところは本丸からさらに奥へと登った「山王丸」で、標高は395mある。ここまで登ると随分と山深い風景になる。全体の拡がりとしては観音寺城よりは小さいと思うのだが、小谷城は南北に細長く伸びた尾根に大きめの郭が連なっているので、雄大なイメージをうける。


 山王丸の西にはさらに100m高い山が聳えていて、この頂上を大嶽城と呼び、平地や土塁が残っている。ここは、小谷落城の前に朝倉の援軍が詰めた城ともいわれている。山王丸からは一度下ってから登る。かなり急な登りがあり息があがった。山頂は周辺で一番高く小谷城や琵琶湖を見下ろせる位置にあるのだが、残念ながら木々が茂っていて見通しは効かない。

 大嶽城からは西の尾根筋を南に向かってなだらかに下る道が続く。途中に小さな郭が二つあるだけで、ゆっくり歩いても小一時間で谷の入り口まで下りられる。



 谷の入り口から南を見るとこちらにひと回り小さい山がある。虎御前山と呼ばれている。織田信長が小谷城を攻めた時に本陣を置いたと言われる山で、南北に続く尾根には一応ハイキングコースが整備されている。尾根筋には所々に平らな場所があり、柴田勝家陣地跡、織田信長陣地跡といった案内が立っている。

 虎御前山は尾根筋を北から南まで縦走して小一時間ほど。南側には舗装道路があり、キャンプ場があって地形も変わっていて山城の散策という雰囲気ではない。

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