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2006年12月31日

2006年の御礼

 3月に始めて以来、立ち寄っていかれる方の存在を励みに続けています。続けることを第一の目的にして書きたいこと書いてきました。少し肩に力が入ってきた気もしますが、来年も同じような内容で、あまり力まずにいろいろ書いてみようと思います。時間のあるときにお立ち寄りいただければ幸いです。

 今年は、ブログを始めた同じ3月に遼金西夏史研究会へ参加させて頂いて以来、様々な機会に多くの人と出会う機会に恵まれました。一介の趣味人である私にお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。来年も時間が許す限り、あちこち出掛けてみようと思います。


 良い新年をお迎えください。

 来年もよろしくお願いします。

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2006年12月30日

(書評)ウェブ人間論

新潮新書 193
ウェブ人間論
梅田 望夫・平野 啓一郎 著
ISBN4-10-610193-9
新潮社 2006.12


 本書は、『web進化論』の著者、梅田望夫氏と芥川賞作家、平野 啓一郎氏の対談を纏めたもの。『web進化論』を読み、梅田氏のブログもちょくちょく読んでいるので、本書の内容もだいたい想像された。ただ、平野氏の小説は一度も読んだことが無く、氏のことも良く知らない。書名のとおり、インターネットが発展した昨今、あるいはこれからについて、その環境の中で人はどう生きるのかという話。

 最初の話題は、アメリカと日本の間を行き来しながら、ネットに頻繁にアクセスする梅田氏の日常から、ネットがある生活とはといったもの。『web進化論』と重なる部分も多いのだが、人と人が常時ネットを介して繋がっているとう話から「リンクされた脳」という話になる。SF的な言葉ということで、本書では「マトリックス」を上げているが、それを見ていない自分は脳からネットに直接アクセスする話が出て来る「攻殻機動隊」を思い浮かべる。今でもパソコンと脳味噌の間はわずかな空間があるだけなので、直結されているかどうかは小さな問題なのかもしれない。梅田氏が紹介している以下の話などは興味深く、頭の隅に置いておこうと思う。

 ある大学の先生に、「学力低下というけれども、昔の学生と今の学生を比べたらどうなんですか」と聞いたら、全ての情報を遮断して何が解けるかなら、二十年前の学生のほうが上だったけど、道具を自由に駆使し友達と協力してもいいから答えを出すということに関しては、今の学生の方が能力が高い(以下略、56頁)
 


 インターネット関係のニュースで良く取り上げられる匿名性の問題について、本書でも一章を割いてる。平野氏がブログを書く人について5種類に分類しているが、ネットを多くの部分で「道具」として使っている自分が納まるところが無いなと思う。匿名性という話については、10年使い続けている自分のハンドル名と、10年ヒット作の無い小説家のペンネームとの差はほとんど無く、ネット上のみを強調することには違和感の方が大きい。新聞の多くの記事が無記名であることよりも数倍ましとすら思える。

 梅田氏は、匿名性を否定的に捉えているわけでないが、より積極的な意味で実名を使うことの発展性を強調している。自分は、実名を使うことの負の面を考えるとあまり肯定はできない。ただ、ハンドル名を変えるつもりはないので、仕事以外の自分はハンドル名で認知されれば、当面は良しと考えている。


 本書の胆は4章にある。自分より年上で革新的な梅田氏と、自分より年下で相対的に保守と映る平野氏との立ち位置の違いが見えて面白い。自分の位置は二人の中間というわけではなく、二人を一辺とした三角形のもう1点という感じ。正三角形ではないが、それほど潰れた形ではないと思う。

 梅田氏は1975年以降生まれの人に注目していると言われるのだが、自分はもはや対象ではないのだと思ったりする。ネットを道具として使うことに捕われている自分などは、ひと世代上ということなのかもしれない。


 本書は対談形式の本で、読み易い反面内容は薄くなる。『web進化論』を読んだ後では、重なる話題が多く新しい情報は少ない。もう少し人とネットの関係かくあるべきやといった話になるかと思っていたが、その面も思っていたほど深いわけではない。

 ただ二人と比べて自分はどこら辺に立っているのかと考えると、これからネットとどう関わっていこうかという点で、わりと示唆的なものが多かったように思う。

 対談型であるからこそ気軽には読める。ネットライトユーザーがこの本から『web進化論』に読み進むという方が分りやすい気がするが、どうだろうか。

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2006年12月28日

12月28日購入書籍


「シナノ」の王墓の考古学
川崎 保 編
ISBN4-639-01957-2
雄山閣 2006.12

 古代信濃の考古学ものというかなり狭域の内容に惹かれて衝動買い。白石太一郎、森浩一など8人が著者に名前を並べている。論文集ではないが一般向け専門書という感じ。

 

朝日選書 808
土一揆と城の戦国を行く
藤木 久志 著
ISBN4-02-259908-1
朝日新聞社 2006.10

 今読んでいる百姓から見た戦国大名に、同じ分野の研究者として引かれている名前に覚えがあって目に止まる。東は関東から西は九州まで、戦国時代もの。

 

新版 世界各国史 2
朝鮮史
武田 幸男 編
ISBN4-634-41320-5
山川出版社 2000.8

 ひさしぶりに朝鮮半島の通史をということで購入。もう5年以上前になるシリーズで、発売当初興味のあったものを9冊買ったが、朝鮮は持っていなかった。

 

新潮新書 005
武士の家計簿
「加賀藩御算用者」の幕末維新
磯田 道史 著
ISBN4-10-610005-3
新潮社 2003.4

 クワルナフ・ブログの馬頭さんお勧めの一冊。詳しくは馬頭さんのブログで。

 

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2006年12月27日

(書評)李世民

李世民
小前 亮 著
ISBN4-06-212927-2
講談社 2005.6


 久しぶりの歴史小説。正直な感想としては、わりと古典的に歴史小説というもの。わりと高い位置からの政治戦略を描くことは無く、暗部といったものもあまり表現されていない。わりと数多い登場人物が正面からぶつかりあうというストーリーで、英雄譚というほどではないが、三国志演義をよんでいるような感じがある。

 本書は李世民というか、李淵、建成、世民親子による太原挙兵から、唐が拡大していく物語りである。確かに世民が主役なのだが、最初の方は群雄がそれぞれに描かれていて、全てが世民の話として流れているわけではない。ただ、群雄といっても河北の竇建徳や涼州の李軌は登場するが、江南や四川は全く舞台にならない。最後は玄武門の変で終わるのだが、取って付けたようであり実質的には中原を統一するまでの話だ。

 李世民を巡る物語の場合、ストーリーに一番影響するのは弟の元吉を含めた親子三兄弟の性格付けと思う。本書の場合、極端に短絡して評価すると、李淵は凡庸、李建成は堅実、李世民は英雄、李元吉は暗愚とみる。全般に渡って李淵の凡庸さが目立ち、玄武門の変など李元吉が話を悪化させる役割。李建成は評価高く、良き兄、良き長男として描かれている。李淵と李元吉はやや極端だが、李建成は面白いと思う。

 複数の群雄を同時平行的に語って、多くの人を登場させても退屈せずに読めるのは、本書の古典的な表現によるのかと思う。また、歴史ものにありがちな歴史として振り返って評価を下すような表現、歴史書や研究書を引用するような部分は一切ない。屈託なく歴史物語りである。

 英雄譚的な歴史小説とみて十分に面白いと思うが、比較的歴史初心者向きと評価する。政治臭い部分や暗部の表現の少なさは物足りなさに繋がると思う。逆に群雄の竇建徳、李密、王世充あるいは李世民の家臣としての李(世)勣、劉弘基などは本書を通じてイメージが自分の中にかなり残るので、唐の歴史を探究する入り口としては悪く無いと思う。ただ三国志演義などと同様に、少数の怪物のような武将の活躍によって戦闘が左右されているような表現は、痛快ではあるが好きにはなれない。

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2006年12月26日

選挙制度改革

 今年もいろいろニュースがあった。政治ニュースの中でも談合は大きなもののひとつだろう。談合にとどまらず、行政に対して議会が監視機能を果たしていないことを問題としたい。

 議会は法律、条例を作る機関でありながら、実際にその条文を作っているのはほとんどが役人である。これは可笑しな話である。また議会において、答弁の解答を用意するのと同じ役人が、議員の為に質問を書いているという話もある。

 政治制度をより良くするため、議員の質の向上が必要であり、その対策の一つとして選挙制度の改革を提案したい。


 何人もの知事が逮捕されて明らかになったように、今の選挙は金が懸かるものであるらしい。かつて「政治は金が懸かる」という掛け声のもとに、政党助成金という制度ができた。金が掛かるのは政治ではなくて選挙だったのか。ならば助成金ではなく、金が掛からない選挙の仕組みを作ればよいと思うのだが。

 そうならない理由は簡単だ。選挙に金をかけた者が当選するという体制に意味がある。既得権益にしがみつく議員というが、議員そものものが既得権であり、この権益は二世議員や地盤を継承したいわば養子議員に相続されていく。政党助成金は、既存の政党を維持するために税金を投入しているということ。

 もちろん、地盤も資金もなく当選して頑張っている議員もいるのだがそれは少数派。この点は国会でとくに深刻で、以前のように無所属として活躍する議員は今や皆無だ。

 議員になる為の敷き居を低くすること、つまり金や地盤が無い人でも現職議員と対等に選挙ができるようにすることで、議員というものを一般に解放し、(使い古された言い回しだが)競争原理によって質の向上を図る。これで問題が解決するわけではないが、方向性としては小さく無い意義があると考えている。


 私は選挙カーが嫌いだ。やたらに騒音をまき散らしてただ名前を連呼していく。自分にとっては、街宣や大きな選挙事務所にはなんの意味もない。今まで、投票には行くことにしてきたが、入れたい党に投票したことがない。入れたくない党を順に引いた残りに投票してきた。入れるべき名前が見つからずに白票を入れたこともある。選挙制度の根本的な改革を公約にする党があれば、積極的に投票してもよいと思っている。

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2006年12月25日

(書評)「分かりやすさ」の罠

ちくま新書 596
「分かりやすさ」の罠
---アイロニカルな批評宣言
仲正 昌樹 著
ISBN4-480-06302-1
筑摩書房 2006.5


 「分りやすさ」というのは、自分が最近感じている違和感の一つ。分りやすく説明して分かった気になり、それで全て分かったと指摘される。白と黒の間には無限にグレーがあるというのに。そういう違和感を説明してくれる本を探していた。

 本書の狙いは、前書きによると二点にあり、要約すると一つは「二項対立」を哲学的に、批評的に掘り下げること、もう一つは「批評」「評論」について再考することとのこと。西洋哲学というものを真っ当に勉強していない自分にとっては、この哲学的というのは常に曲者なのだが。

 1章で二項対立の具体例を取り上げた後、2章では二項対立について、ソクラテスからマルクスまで、西洋哲学の流れの中で説明される。簡単な哲学史という内容。もともと馴染みのない世界であり、普段使わない言葉が飛び交うとどうにも分り難い。その中に日常的な言葉を使った話を交える努力がなされていて、要所要所では腑に落ちるようにはできている。

 3章では、ドイツロマン派の流れの中から批評理論が語られ、その立ち位置として「アイロニー」という言葉が登場する。自分にとっては全くイメージの無い言葉である。哲学的な細かい部分については、そういうことなのかなあと受け流すしかないのだが、全体の流れは微妙ではあるが意外としっくりきた。

 4章ではその「アイロニー」についての話になる。筆者は本書の中で再三言葉を換えながらその意味を説明している。一番最後の説明は以下のようなものだ。

アイロニーは、「私の対象」に対する「私」のまなざしにズレを生じさせることで、「私」自身の存在を捉え直すことに主眼を置く営みである。(206頁)
 結局のところ普段自分が持っているイメージに置き換えられるかどうかに掛かっているいると思う。その点で「アイロニー」はそれほど違和感はなく、正論であろうと思える。

 西洋哲学というと、表面的に言葉遊びに見えてしまい、この本の内容にも地に足が着いていないと思ってしまう所はある。ただこの本については、それが前提条件なわけなので必ずしも評価の対象とはならない。多少ではあるが理解することが有益となると期待しておくが、自分としてはより実証的な部分でなんとかならないものかと考える。

 自分が消化し切れていないという意味で、本書についての評価はとくにせずにおいておく。代りに、筆者が序文で述べていることを転載しておく。

本書はあくまでも、(中略)私の現在の感心に沿って、現代思想における「批評=批判」の可能性について少し落ち着いてかんがえてみようというものである。「二項対立」とか「思想としての批評」とか言われて、ピンと来ない人は読まない方がいい。(20頁)
 「二項対立」はともかくとしても、「思想としての批評」のような言い回しは、自分にとっては今一つピンとこない。買ってからそう言われてもなあと思ったが、たしかにそういう本だった。

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2006年12月24日

12月24日購入書籍

ニュートン別冊
性を決めるXとY
ISBN4-315-51788-7
ニュートンプレス 2006.12

 人の遺伝子を解明するヒトゲノム解析計画がテレビのニュースで流れていたのはいつ頃だったか。去年か一昨年だったのかと思い返していたが、この雑誌によると解読終了について宣言が出されたのが2003年4月とのこと。もう3年や4年も前のことになるということだ。

 その成果が報告されているものを何か読みたいと思っていた。といって本格的な専門書は今の自分の手には余るので、そこそこ見ていても面白いものがいいなというところ。ニュートンは、自分にとっては一般向け科学雑誌の中では、入り口に近い無難なものという位置付け。興味はあるが深く掘り下げている余裕はない、という時にはちょうど良い。物足りなかったらもう少し専門性の強いものを探せば良い。

 人の遺伝子が解明されたというのは、画期的なことと思う。高校や大学で勉強していた頃から考えると隔世の感がある。病気の究明という点も大きいとは思うのだが、自分としては進化論や発生論といった点で何がどこまで分かったのかという点に興味が行く。

 この雑誌を買った理由の一番は、人の22対の染色体とX、Y染色体、計24本の染色体の遺伝子地図が載っていたこと。主要なものを抜き出したものと思うが、奇麗で見やすいのがニュートンの良さ。他にも発生における遺伝の話や、いろんな生き物の性別の決定についての話などが載っていて、思ったよりも楽しめそうだ。

 

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2006年12月23日

12月23日購入の漫画

モーニングKC 1554
ピアノの森(13)
一色 まこと 著
ISBN4-06-372554-5
講談社 2006.12

 ピアニストが出てくる漫画というと、ドラマにもなったのだめカンタービレが知られているか。自分的には、のだめのようなコメディーよりも、少年誌の成長物語的な雰囲気が残るピアノの森の方が好きだったりする。

 


イブニングKC 171
もやしもん(4)
石川 雅之 著
ISBN4-06-352171-0
講談社 2006.12

 もやしもんは、細菌やウイルスが見える少年が主人公という変わった漫画なのだが、なによりも農学部を舞台としているところが面白い。

 作者の石川氏は人斬り龍馬 カタリベという個性的な歴史漫画も手掛けている。いずれはまたそのような歴史漫画に再挑戦してほしい。

 

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2006年12月22日

今日の気になるニュース---「南九州市」

 南薩3町合併の新市名は「南九州市」 (MBCニュース)

 このニュースによれば、一年後の合併を目指している鹿児島県西南部の3町、頴娃町、知覧町、川辺町の合併協議会は、新しい市の名前を「南九州市」に決めたとのこと。あくまで外側からの目線であり、私の主観である。何故こういう漠然とした名前を付けるのかよくわからない。

 12月17日のブログの中で触れた宮城県、岩手県の新しい4つの市の中で、一番しっくりとこないのが奥州市。その理由ははっきりしている。他の3市、栗原市、大崎市、登米市は差違はあるものの、それなりに元からある限られた地域を表わす地名に由来している。奥州といえば、もともとは東北地方の6分の4を表わす地域名だ。

 北九州市は、自分が生まれる前から北九州市だった。もちろん市の名前として記憶しているし、馴れてはいるものの、なんとなく九州の北側という普通名詞に見える。決して馴染むことがない。門司、小倉、八幡と言われた方がピンとくる。

 南九州といえば、第一義的には九州という地域の南部エリアという意味である。使い方によって大きさは変わるが、県境を越えるような広いエリアを指す。「南の九州」と分解してしまえば固有名詞ですらない。とにかく漠然としていて、南の方というイメージしか残らない。


 頴娃町は今は揖宿郡だが、明治時代までは頴娃(えの)郡だった。日本史広辞典(山川出版者)によれば、頴娃郡は飛鳥時代の「衣評(えのこおり)」に遡るという。また、戦国時代に薩摩半島南部に活躍した伴姓頴娃氏が拠点として苗字にもした所である。

 知覧は江戸時代の外城制に関わる「麓」が今にもっとも良く残る街として、あるいは特攻隊の街として良く知られている。川辺町も長い歴史をもつ郡名に由来する町名だ。いずれの名前であっても、薩摩半島南部の地名であることがとても馴染んでいる。

 その名前を棄てて、茫漠とした名前に代えることにどういう意味があるのか。そういう印象を持つのは、私が地図や歴史との付き合いが長いからかもしれない。それでも最後まで主観で言い通すのだが、「南九州市」という名前に慣れることはあっても馴染むことはまず無いと思う。

 なお、この合併によって町が無くなることから川辺郡、揖宿郡も消滅する。

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2006年12月21日

12月21日収集資料

 先の白東史学会大会のおりに岩崎力氏の業績が紹介された中で、氏の最新の論文を持っていないことが分かった。中央大学のHPでその論文が2003年の人文研紀要に掲載されていることを確認して取り寄せた。


人文研紀要 第48号 2003年
ISSN0287-3877
中央大学人文科学研究所 2003.10


 掲載論文は以下のとおり。

吉村 謙輔
 翻訳プロセスにおける「語感」の働きについて

李 ヒョン娘(ヒョンは營の呂の替りに火)
 朝鮮の開港期における米の輸出(1)

材木谷 敦
 張楽平『三毛今昔』について

山本 明
 新詩語の形成(4)
 ---徐志摩の「生命」をめぐって---

諏訪部 仁
 傍聴生 夏目金之助
 ---漱石とUCL---

田野崎 昭夫
 『遠野物語』少考

河上 暁弘
 憲法第20条「政教分離」の原理的考察に向けて
 ---「国家と宗教」その深層---

川越 泰博
 麹祥とその一族
 ---倭寇による被虜人衛所官の世襲問題をめぐって---

荷見 守義
 女直授官と朝鮮王朝
 ---端宗三年の事例を通して---

岩崎 力
 唐最晩期のタングートの動向
 ---西夏建国前史の再検討(三)---


《研究ノート》
江田 孝臣
 一茶の英訳
 ---創造的翻訳,翻訳の限界---


 岩崎氏の論文は上記のとおり唐代のタングートについてのもので、以下の5節よりなる。

 1 はじめに
 2 拓跋李氏のフ延路進出(フは阜に鹿)
 3 李茂貞追討問題と河西タングートの帰趨
 4 拓跋李氏勢力の消長
 5 再び河西タングートについて

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2006年12月17日

(書評)多賀城と古代東北

古代を考える
多賀城と古代東北
青木 和夫・岡田 茂弘 編  
ISBN4-642-02196-5
吉川弘文館 2006.9

 東北の古代史、それも藤原以前の時代を扱った本を読むのは久しぶりだ。久しぶりといっても学生時代に読んだ「蝦夷(高橋 崇 著、中公新書)」は既に忘却の彼方だが。

 本書は全26冊を数える「古代を考える」シリーズの最新、最終巻。このシリーズについては、興味を覚えたものを4、5冊ほど買ったと思う。内容は、編者二人の対談形式の第一章のほか、以下のような全9章よりなる。

 1 新しい古代東北史像を求めて---総論 青木 和夫・岡田 茂弘
 2 多賀城前史 須藤 隆
 3 城柵の設置 岡田 茂弘
 4 多賀城発掘 進藤 秋輝
 5 掘り出される文字は語る 平川 南
 6 天平産金と国分寺 桑原 滋郎
 7 東北の社会と律令制 笹山 晴生
 8 東北の動乱 伊藤 博幸
 9 俘囚長と藤原氏 新野 直吉

 体系的にテーマと著者を集めたという形ではないようなので、内容が重なるところもあるし、文章形式に統一性もない。それ自体は、このシリーズに共通のことに思えるし、とくに気にはならないので問うつもりもない。方向性という点では、考古学的な面から遺跡を詳細に紹介して周辺を解き明かすものと、文献資料を中心にして概観的に解説しているものにわかれている。

 なんといっても自分にとって知らない時代のことなので、目新しい情報が多く退屈することはなかった。とくに多賀城については、発掘の成果が詳細に述べられていて、そこから時代的な流れまで復原されていくあたりはかなり興味深い。また、宮城県北部に郡が設置されて行く過程や、岩手県が胆沢城を中心にして、徐々に中央と関係を持つようになった過程も面白かった。限られた時代、地域とはいえ、古代の東北についてひとつのイメージをつくることができたと思う。

 本シリーズはやや狭くて深いテーマについて、複数の専門家がさらに狭いテーマで解説するというもので、その狭さが興味深く気に入ったものを買ってきた。文章もそれほど難解ではないが、本一冊の中で各テーマを総括する体制はないのでばらばら感は伴う。それほど奇抜で極端なものは、自分の読んだ範囲ではなかったように記憶しているので、無難な各論の集合体ということになるだろうか。


 本書の感想を付け加えておく。内容について歴史学的、考古学的な善し悪しは検証する予定はないが、10年、20年前に執筆されてとくに加筆もされていないものが含まれているというのはどうだろうか。シリーズの最後を飾る本でもあるし、流れの早い昨今のこと、書き加えることが全くないとは思えないのだが。

 もうひとつ細かいことなのだが、ところどころに現代の地名が出て来る。栗原市や大崎市、登米市、奥州市と、随分と新しい自治体が増えたなと思う。宮城県北部から岩手県南部にかけては東北の中では、大きな市町村合併が多かった地域。この本に限っては現在の地図を添えておいて欲しかった。

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2006年12月16日

12月16日の買い物

エリア・スタディーズ55
コーカサスを知るための60章
北川 誠一・前田 弘毅・廣瀬 陽子・吉村 貴之 編著
ISBN4-7503-2301-2
明石書店 2006.4

 このシリーズ、55冊も出ているのか。先の東京遠征の宴席で話題になるまで「コーカサス」が出ていることを知らなかった。このシリーズは、大きい書店だと歴史コーナーではなく、世界各国・地域コーナーにあることが多い。330頁あまり、60章は5つのジャンルに別れる。歴史は15章、78頁。モンゴル侵入以前の時代について、もう少し詳しくてもと思うが、今まであまり聞いたことがない固有名詞が多数並んでいる。

 


韓国歴史地図
韓国教員大学歴史教育科 編
吉田光男 日本語版監修
ISBN4-582-41105-3
平凡社 2006.11

 監修者のあとがきによると、本書は韓国のサゲジョル出版社が出した『アトラス韓国史』の2005年12月版を翻訳したものとのこと。細かい部分で突っ込み所がないわけではないが、色々と流布しているようなとんでもな内容は含んでいない。ただし、あとがきに

原書に歴史学上の問題点が発見され、その解決にかかった時間もかなりにのぼる。
と書かれているのが気になる。奇麗で詳細な図版が多数並んでいて、見ているだけでも面白いが、資料としても十分に価値があると思う。

< 追 記 >
 中身をあまり読まずに書いてしまったところがあるので、訂正を兼ねて書き足しておく。

 上記に抜き出した部分について、凡例に説明があり、「我が民族」「北韓」などは規則的に「朝鮮民族」「北朝鮮」へ置き換えているが、それ以外で検討を加えた部分については、〔 〕書きで併記、訳注をおこなったとのこと。例えば海の呼び方などを比べると、原書の雰囲気が分かるようになっている。

 内容という点でもう一点付け加えておく。本書では、高句麗と渤海の歴史も朝鮮史一部として扱っている。この点はこの本の善し悪しというよりは、前提条件のひとつと捉えて眺めた方が面白いと思う。細かい部分で検討の余地(例えば、テーブル式支石墓の分布域をそのまま古朝鮮の領土に比定している点とか)が多々残っていて注意を要するのも事実だが、情報満載で十分に興味深い一書であると思う。思えばしばらく朝鮮ものを読んでいないので、勉強しなおしたくなってきた。
(12月17日午後4時 記す)

 


ナルキッソス

 ビールのCMを期に再結成されたサディスティック・ミカ・バンドの17年ぶりのニューアルバム。最初のミカ・バンドは記憶にないのだが、17年前は(17年も前なのか・・・)アルバムを買って良く聴いた。三代目のミカが木村カエラというのも結構気に入っている。

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2006年12月15日

12月15日購入書籍

ローマ人の物語XV
ローマ世界の終焉
塩野 七生 著
ISBN4-10-309624-1
新潮社 2006.12

 毎年一冊のペースで続いてきたシリーズも最終巻。自分にとっては守備範囲の外なのだが、一巻が出た頃に塩野氏の著作を何冊か読んでいたことと、一度はローマ帝国ものを読んでおきたいと思っていたことが重なって買い始めた。15年か。面白いとは思うのだが、300から400頁の濃い大作でもあり、気が付けば未読が5冊目になってしまった。年明けの早いうちには11巻を読もうと思う。

 


新潮新書 193
ウェブ人間論
梅田 望夫・平野 啓一郎 著
ISBN4-10-610193-9
新潮社 2006.12

 梅田氏の本を買うのは『ウェブ進化論』以来2冊目。ネットの外にまで名前が轟いた氏の今著が出るのは前から知っていたのだが、あまりネットどっぷりな話はちょっと遠ざけておこうと思っていた。出版前からブログなどに流れていた情報を中途半端に斜読みしていたので、まだ出てなかったことに気が付いたのが数日前。発売前にネットに並んだ書評を読んでちょっと読んでみる気になった。平野氏の著作は読んだことがないので、氏のことは全く知らない。

 

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2006年12月14日

中近東文化センター

 東京遠征の目的の二つ目。12月3日は東京、三鷹にある中近東文化センターに行ってきた。三鷹駅からバスで15分ほど、緑の多い郊外に静かに建っているというイメージ。

 特別展「古代ユーラシアの青銅器」については、馬頭さんが詳しくレポートされているので、その他で記憶に残っている点をいくつか。

 まず、関大上杉彰紀氏の特別講座「南アジアの青銅器時代」について。青銅器時代とタイトルにあるものの、10日あまり過ぎて思い出しての印象でいえば、インダス文明の形成からその衰退までを、周辺地域の状況を交えながら解説された後半部分のほうがよく覚えている。少し前に読んだ『漢代以前のシルクロード』の内容と被る部分があるからだ。

 ラピスラズリを鍵とした前4000年紀から3000年紀、メソポタミアからインダスにかけての地域の動向、あるいはインド洋、ペルシャ湾を通じての交易。大変にダイナミックで興味深い話。この時代の西南アジアのこととして、バクトリア・マルギアナ、ヘルマンド、イラン南東部、エラム、ペルシャ湾岸、クッリといった文化(文明)が紹介されている。『漢代以前のシルクロード』と重なるものもあり、異なるものもある。用語が統一されていないということであるならば、この分野が今発展途上ということなのだろう。興味深い話であり、やはり機会をみて踏み込んでみたい。

 講座では、インダスの後にガンジス川流域などに拡がって行くことが解説された。その中で青銅器について触れられるのは自分にとっては新鮮な話題だった。

 ところで、インダス文明というと衰退、滅亡という話が伴う。当然ながら文明を担った人々が死に絶えたわけではなく、教科書的にはガンジス、デカン方面へ移動していったとされる。文明を持つに至った人々が、気候変動とともに非文明になって拡散していった。まったく言葉使いの問題なのだが、「文明」という言葉にはどうしても違和感が残る。


 時間が残ったので、常設展もひと通り回ってみた。中近東というテーマに絞って歴史文化が解説されているという空間が、自分にとってはなにより心地良い。複製が多いとはいえ、さまざまな文字資料が展示されているのも良い。ぼーっと眺めていたら、楔形文字にのめり込んだ人のことを思い出した。

 また、地域柄、東西の様々な陶磁器が展示されている。中近東の陶磁器と言って、イスタンブール収蔵とかの多彩な皿や壺ではなく、ラスター彩陶が思い浮かぶのは漫画の影響。あらためてラスターものの陶器を眺めたのは、今回が初めて。微妙な色合いの興味深い品が幾つか並んでいた。それほど深くなくて良いのだが、ラスターについての解説がもう少しあったら面白い。

 思わず微笑んでしまったのだが、ひとつの窓に中近東らしい格子がはめてあった。とくに解説はなかったように思うが、天気の良い日中にでもその前でのんびりするのも悪くない。


 実は、東京に住んでいたこともあるのに、中近東文化センターの存在自体知らなかった。今回蒸しぱんさんに誘われたおかげで面白いものを見ることができた。決して大きな施設ではないのだが、機会があったらまた尋ねてみたい。


<追記>
 某勉強会会長さんから、オロンスム文書シンポジウムの際のレジメのコピーを一式頂戴しました。ありがとうございます。改めてぱらぱらと眺めてみると、草原関係の話題満載で聞きにいけなかったのが全く残念でならない。

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2006年12月 9日

白東史学会大会

 東京遠征の目的の一つは、12月2日にお茶の水の中央大学で行われた白東史学会大会の聴講。以下簡単に記録と感想を残しておく。


 中央大学 清水 由里子氏
カシュガルにおける「ウイグル人」の教育運動(1934-37年)

 いわゆる東トルキスタン共和国独立運動の直前から失敗までの時代。新疆およびカシュガルにおける教育運動について、当時の機関紙、イギリス領事館報告、新疆自治区档案から分析している。

 この時代に盛んに教育運動が行われていたということ自体が、自分にとって新しい情報であり、20世紀初頭という時代を考える上で有用な情報と思う。

 また、近代ウイグル族が創出されていく過程という観点について、テュルクという自称がウイグルに変わった時の資料。その際、虚構的なウイグル民族の歴史が作り出されたことを伝える資料が紹介されていたのがかなり興味深い。


 中央大学 森本 淳氏
曹魏政権下の「雍州」

 各種文献と曹真残碑を用いて、三国時代の雍州(現在の陝西および甘粛東部)に状況を分析している。発表者も気にされていたように、資料の多さに比べて消化不良で分析しきれていない状況。

 元三国志フリークとしては、懐かしい固有名詞が多数登場していて楽しかった。物語りから正史に踏み込んだ立場からいえば、時代の背景がより明らかにされていくことは大変興味深い。今後の進展が楽しみと思う。


 元神奈川県立高等学校教諭 岩崎 力氏                  
西涼府潘羅支政権再考

 西夏勃興期における西夏やチベット勢力の論文を数々書かれている氏の発表を初めて聞くことができた。氏は今年退職され、これからは研究に専念されるとのこと。

 本論は、1974年に発表されて自身の論文「西涼府潘羅支政權始末考」を見直したというもの。当時の西涼府(現在の武威)政権の部族構成やその関係、宋朝の関与の有無などについて見直し、さらに踏み込んだ論考をされている。

 西夏時代前後の甘粛西部地方は、その位置付けや経過など知りたいことが多々あるものの、情報はかなり限られている。退職を期に、氏がより多くの論を発表されることを期待している。

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2006年12月 8日

12月8日購入書籍

 年末に向けて仕事量の増えて来た今週。そんな日常から解放された週末の夜、閉店間際の本屋に立ち寄る。東京で色々と買い漁ってきたばっかりだというのに・・・

アイハヌム 2006
加藤九祚一人雑誌
加藤 九祚 編訳
ISBN4-486-03700-6
東海大学出版会 2006.12

 今の加藤先生の肩書きは、考古学者と呼ぶべきなのか。80を越えるご高齢ながら、今なお現役としてウズベキスタンで発掘を続けられている。先生が2001年以来、毎年発行している本の最新刊。今号は、

 A.ミルババエフ
  シルクロードの宗教と俗信(5ー8世紀)
  ---ソグド・タジクを中心として

 N.ポロシマク
  パジリク文化

 加藤 九祚
  ベヒストゥン碑文からワン湖を経てボガズキョイへの旅

 J.イスマイロワ
  ウズベク人の民族衣装史より(19世紀末 - 20世紀初頭)

以上の4編。3つ目は、先生が今年7月から8月にかけて回られた、イラン、トルコの歴史に関わる研究ノート。ヒッタイトやウラルトゥなど面白そうな項目が並んでいる。


岩波現代文庫 社会135
歴史と政治の間
山内 昌之 著
ISBN4-00-603135-1
岩波書店 2006.7

 イスラム関係の他、歴史に関わる様々な問題についてのエッセイ集。寺島実郎、杉山正明、杉田英明、宮尾富美子との対談を含む。

 

ちくま新書 596
「分かりやすさ」の罠
---アイロニカルな批評宣言
仲正 昌樹 著
ISBN4-480-06302-1
筑摩書房 2006.5

 タイトルから想像したとおり、「二項対立」などの単純化を批判したものであるらしい。琴線に触れるものがあり、ほとんど衝動買い。

 

ちくま新書 635
NHK問題
武田 徹 著
ISBN4-480-06336-6
筑摩書房 2006.12

 感心のある問題のひとつでもあるので、目次をひと通り眺めて購入。戦前からのメディア史といった展開もあり、単純な批判ものでは無いらしい。

 

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2006年12月 7日

東京遠征 購入書籍

 神保町すずらん通りの東方書店のほか、2日間で回ったのは4軒。梯子というほどでもない。地元の書店とか取り寄せとかの手もあるのだが、やっぱり手に取って店頭で買うのが楽しい。

中華文史專刊03
拓邊西北
---北宋中後期對夏戰爭研究
曾瑞龍 著
ISBN962-8885-81-2
中華書局(香港) 2006.5

 10世紀中期から12世紀初頭までの北宋の対西夏戦略について、5つのテーマで考察している論文集。

 


中国古代社会生活史書系
宋遼西夏金 社会生活史
朱瑞熙・張邦イ・劉復生・蔡崇榜・王曽瑜 著 (イは火偏に韋)
ISBN7-5004-2047-1
中国社会科学出版社 2005.8

 衣食から文字、宗教まで、社会文化を解説。わりと奇麗なカラーの図版もある。夏商から清代まで全10シリーズからなる中の一冊。

 


西夏学訳叢
国外早期西夏学論集(一)
孫伯君 編
ISBN7-105-07313-6
民族出版社 2005.10

 


西夏学訳叢
国外早期西夏学論集(二)
孫伯君 編
ISBN7-105-07314-4
民族出版社 2005.10

 (一)が1920年以前、(二)が1925〜1940年の中国外の西夏関連論文を集めて中国語に翻訳したもの。日本の他、イギリス、フランス、ドイツなどのものを含む。

 


全国鉄路旅客列車時刻表 2006.10
ISBN7-113-05115-4
中国鉄道出版社 2006.10

 チベットや敦煌など新しい鉄路ができたので久しぶりに購入。実際に活用する機会があるといいのだが。

 


岩波現代文庫 社会141
シルク・ロード紀行
松田 壽男 著
ISBN4-00-603141-6
岩波書店 2006.10

 1971年に毎日新聞から出た本の再刊もの。以前買った「アジアの歴史」と併せて、松田氏の著作を読み返してみようと思う。

 


李世民
小前 亮 著
ISBN4-06-212927-2
講談社 2005.6

 宴席で話題になった一冊、久しぶりの歴史小説。大学時代に中央アジア・イスラム史を専攻した著者のデビュー作とのこと。太原での決起から玄武門の変までを描いている。

 


中近東文化センター研究会報告 No.10
シンポジウム
「イスラームとモンゴル」
川床 睦夫 編
中近東文化センター 1989.7

 1988年に同センターで開かれたシンポジウムを纏めたもの。発表論文の他、討論会議事録などを含む300頁となかなか厚い冊子。発表者に吉田純一、松田孝一、堀川徹、加藤和秀、井谷鋼造、杉山正明、梅村坦、北川誠一、永田雄三。議長に本田實信、村上正二。総合コメントに佐口透と、錚々たる名前が並ぶ。

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2006年12月 3日

東京遠征(速報)


 冠雪した富士山が青空に映える週末、泊まりで東京へ遠征した。3月以来9ヶ月ぶりの東京。

 昨日は昼前に東京に到着。まずは神田神保町で本屋巡り。2軒目に入った東方書店でまんじゅさんとばったり再会。目的の本と未所持の西夏もの数冊を購入。すずらん通りのスヰートポーズへ移動して、積もる話をしながら昼飯会。

 まんじゅさんと分かれた後、一番の目的、白東史学会大会の発表を聴講。

 終了後、直ちに横浜中華街へ移動。国立歴史民俗博物館から大移動してきた蒸しぱんさん、横浜ユーラシア文化館で開かれたオロンスム文書のシンポジウムを聞いてきたカザフ音楽愛聴者さん、某勉強会会長さん、雪豹さんと合流して宴会。他の様子を伺うと、オロンスムの方は色々と面白い話があり、被ってしまったことがかなり悔しい。


 今日は、蒸しぱんさん、雪豹さんと初対面の馬頭さんと連れ立って、三鷹にある中近東文化センターへ。目的は特別展「古代ユーラシアの青銅器」と、関西大学の上杉彰紀氏の特別講座「南アジアの青銅器時代」。

 日が暮れてから小川町に移動、時代屋で本を漁った後は居酒屋へ。最後は3人を店に残して一人新幹線で帰宅した。

 丸々2日間、ここに書き切れない楽しい話題の他にも、実質的な収穫も色々。詳細は後日纏める予定。

 取り敢えず、2日の間におつき合い頂いた皆様にお礼を申し上げて、今日はこんなところで。
 「ありがとうございました。」

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