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2007年2月 3日

宇佐山城

 立春の今日は朝から綺麗に晴れ上がった。まだ風が冷たいとはいえ春遠からじといったところ。晴天に誘われて11月の八上城以来、2ヶ月ぶりに山城巡りにでかけた。久しぶりですっかり身体が鈍っているので、わりと近い宇佐山城を目指した。

 宇佐山城は志賀城ともいい滋賀県大津市にあった。織田信長が近江と京を結ぶ山中越の道を押さえる城として整備したもので、最初の守将とされたのは森成利(蘭丸)の父森可成と思われる。彼は、1570年に浅井、朝倉軍に攻められた時に城を出て迎え撃ち、信長の弟織田信治ともども討ち死にした。後には明智光秀が城主となり、坂本に築城して移るまで志賀郡支配の拠点となった。

 宇佐山城に登るには、まず宇佐八幡宮を目指す。神社は宇佐山の中腹にあり、京阪電車石山坂本線の近江神宮前駅から歩いて20分ほど。神社にある由緒書によれば、1065年に源頼義によって九州の宇佐神宮より分祀されたものとのこと。参道はいきなり急な登りとなり、鈍った足にはかなり厳しかった。写真は宇佐八幡宮。

 城へは神社本殿裏の尾根を登る。本には大きな看板があるとのことだが、なぜか出くわさなかった。案内は何か所かに小さな案内板がある他、木に縛られたビニールテープが目印になる。道は整備されたとは言い難く踏み固められた獣道状態で、分からなくなる所もある。昨日の雪が少し残っていて、枯葉の上は滑り易くて歩き難かったが、神社から山頂までは15分ほどだった。

 宇佐山城の主郭は、今は放送関係の中継基地が建っていて、趣きといったものは全くない。木々が茂っていて見通しもほとんど効かないが、眼下に琵琶湖が広がり湖東まで見渡せる。

 宇佐山城の特徴は石垣。信長が本格的に石垣を使った初期の城といわれ、今でも城の東側に高さ1、2mほどの立派な石垣が数カ所残っている。主郭の南には副郭があるが、こちらには最近できたと思しき携帯電話かなにかのアンテナが建っている。この副郭の南東を一段下りたところの石垣が特に残りが良い。写真はその石垣。

 山の西側には、仕事で来る人の為と思われる道があり、こちらは階段が奇麗に整備されている。登るだけならこちら側の方が楽と思う。写真はその道を下りて、県道の端から宇佐山を振り返ったところ。塔らしき建物があるところが山頂。

 時間があったので、かつて信長も越えたという山中越の道を歩いて帰った。白川通りまで8kmほど、調子よく歩いて1時間半かかった。

 → 地図(国土地理院)

<参考資料>
近江城郭探訪(サンライズ出版)
戦国の堅城II(学研)
織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)

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