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2007年2月12日

竹田城

 三連休最終日、かねてより登ってみたと思っていた兵庫県朝来市にある竹田城攻略に出掛けた。狙いどおり、連休で一番の晴天となった。

 播但線の竹田駅で列車を降りると、竹田城は目の前の山上に威容を見せる。総石垣の山城としては日本一との呼び声もある。織田信長の命を受けて播磨に乗り込んだ羽柴秀吉は、但馬にも兵を進め、播磨と但馬を結ぶ街道を見下ろす位置にある竹田城を攻略した。秀吉の城代となったのは、まだ長秀と呼ばれていたころの秀吉の弟だった。

 竹田駅の西に聳える山の上には、山麓から見上げてそれとわかる石垣が連なっている。駅の裏手にある登り口からは、ゆっくり歩いて30分弱の山道で城の北側にある大手口にたどり着いた。まだまだ2月ということで、厚着をしていったのだが頂上に着いた時には汗びっしょりだった。

 この写真は、天守台から南側の郭を見下ろしたところ。石垣に囲まれた南千畳と言われる郭が広がっている。石垣と城全体の造りの立派さは想像以上。総石垣の山城はまだあまり見ていないが、自分が見た中では島根県の津和野城よりも雄大だ。

 南側から天守台を見上げたとろ。天守台はそれほど大きくはないが、それ以外にも櫓が建っていたと思しき石垣が幾つもある。

 竹田城は予想以上に雄大な山城だった。しかしながら三大山城と検索してきても竹田は出て来ない。それは、この城が江戸時代を待たずに廃城となったからだ。最後の城主となった赤松広秀は関ヶ原の戦いの後切腹を命ぜられ、その後この城は主を迎えることはなかった。

 それにつけても立派な石垣。櫓や塀こそ残っていないが、丸太を石垣の上に立て並べればすぐにも篭城できそうなくらい。主のいなくなったこの城は、一国一城令の時に破壊の対象にならなかったのだろうか。1970年代に石垣の復元工事を行ったとパンフレットにあるのだが、人為的な破壊が大きく入っていれば、ここまでは奇麗に復原できなかったと思うのだが。

 山麓には、最後の城主となった赤松広秀(斎村政広)の墓が残る。

 麓から登る道は、駅裏の他に北側の小学校からと、南側の表米神社の脇からもある。ただ、昨年の災害に対する大掛かりな復旧工事が行われていて、表米神社からの道は全く通れない。駅裏の道も、砂防ダムの左手前に登り口が取り付く暫定的な状態。大手口の直下までは車でも入れる。


 → 地図(国土地理院)
 →竹田城(神戸観光壁紙写真集)
 →竹田城(朝来市役所)

<参考資料>
戦国の城 西国編(学研)
織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)

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コメント

山城で石垣で天守閣、と来ると「え?」と一瞬思いましたが秀吉による攻略後の話なのですね>城整備

しかしこんなものを山の上に作ってしまうとはつくづく昔の人はすごいですねぇ。いろんな意味で。
すごいスポットです。

投稿: 蒸しぱん | 2007年2月14日 01時36分

山城歩き面白いっすよ
趣味と実用兼用で(笑

投稿: 武藤 臼 | 2007年2月14日 23時49分

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