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2007年3月31日

中央アジア学フォーラム

 大阪大学で開かれている中央アジア学フォーラムに初めて参加してきた。過去ログを見ると、わりと自分の興味範囲に近い発表が毎回されているので、一度聞きに行きたいと思っていた。今日は、予想以上に濃い興味深い内容で充実した半日となった。


●書評
サミュエル・リュウ他著『パルミラよりザイトンへ---碑銘学と図像学---』
 向正樹(大阪大学)
 ここで紹介されている本は、オーストラリアの研究者によるシリアのパルミラと中国の泉州の碑文を研究紹介したもの。今日はその中でも向氏の専門であるモンゴル時代の泉州に関わるものを中心としたものだった。中でも興味を惹かれたのが、中央アジア出身と思われるネストリウス派キリスト教徒、あるいはマニ教徒といわれる人達の墓碑文。漢文もあるようだが、シリア文字で書かれたトルコ語文があるとのこと。また、年号の表記としてセレウコス暦(アレクサンダー大王の1624年といった表記)を使っていたとか、ネストリウス派の墓碑で神という言葉に「テングリ」が使われているとか興味深い話の連続だった。


●研究発表
契丹文字研究の現状と課題
 武内康則(京都大学)
 契丹(遼)は、遼金西夏宋の中でもっとも存在感のある国と思っているのだが、その契丹で発明された契丹文字で書かれた資料は、西夏文字、金の女真文字に比べて圧倒的に少ないらしい。纏まった文字資料は全部で50点に満たないとのこと。契丹は「遼史」という西夏にはない正史があるわけで、西夏からみると羨ましいかぎりなのだが、こと現存する一次資料についていえば、カラホト文書があるおかげで西夏の方がずっと上ということになる。そういえば、愛新覚羅氏の研究書まだ読んでなかったな・・・


アブー=ドゥラフ=ミサル=イブン=ムハルヒルの中国旅行記に見えるサンダビル
 白玉冬(大阪大学)
 このアブー=ドゥラフは、白氏によると10世紀中央アジアのサーマーン朝に仕えた人物とのこと。彼は、王の命令で10世紀の前半に中国へ使者として旅をしていて、その時の記録が残っているという話。自分にとっては、そもそもそんな人がいて、その記録が残っているというだけで驚き。残念ながら氏が利用された資料がフランス語訳を再度中国語に訳したものだったとのことで、原典が中国を何と書いているかは今日のところは分からなかった。


張掖漢蔵合璧「西夏黒水橋碑」再考
 坂尻彰宏・佐藤貴保・赤木崇敏(大阪大学)
 中国張掖に残る碑文についての発表。この碑文は西夏時代に建てられた貴重なもので、一面が漢文、一面がチベット文で書かれている。坂尻、赤木両氏は昨年実物を視察し拓本を取ってきたとのことで、今回はそれを元に文面を再検討したというもの。西夏時代の地方史という点でも興味深い。今夏には論文として纏まるらしいので楽しみに待ちたい。


ベルリンの仏教ソグド語文献について:新発見資料など
 吉田豊(京都大学)
 最近公開されたというドイツベルリン蔵のソグド語文仏教文書についての考察。これも自分にとっては未知の領域。内容の検討からサンスクリット語、トハラ語、パルティア語、ウイグル語の影響について考察されている。森安先生には、ソグド語仏典にウイグル語の奥書があったことが、大変な驚きであったようだ。帰宅してから早速ネットを覗いてみたが、そのまま一次資料として検討できる綺麗な写真にびっくり。

 →ベルリン蔵の仏教ソグド語文献が紹介されているサイト
 →トルファン文書のアーカイブ
 →今回取り上げられたソグド語文書


 次は、7月28日予定とのこと。

<2007年7月16日:一部再編集しました>

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2007年3月30日

新シルクロードなどと現代の天文学

徹底ガイド
NHKスペシャル
新シルクロード
激動の大地をゆく
ISBN978-4-14-407147-8
日本放送出版協会 2007.4

 本屋でこの本を手に取るまで、新シルクロードシリーズの続編が放送されることを全く知らなかった。4月15日から放送開始とのことだから、とっくに番宣とかされているのだろう。いかに最近自分がテレビを見ていないかがわかる。

 24年前のシリーズが1年半、全18回放送されたことを考えると今回の7回というのはかなり少ない。コーカサス、カザフ草原など日頃ニュースにもされない所が見られるのは歓迎するのだが。ただ、一昨年の中国シルクロードの様な作りは改めて欲しいし、酷い間違いや片寄りも勘弁。中途半端に社会問題を掘り下げるくらいなら紀行モノに徹して欲しい。見るつもりではいるがとりあえず期待半分、映像技術よりもソフトとしての中身で勝負して欲しい。

 前シリーズのアンコール放送の方が楽しみかもしれない・・・ってもう始まってるのか、しかも一番見たかった「パミールを越えて」終わってる。

 → NHKのHP

 


シリーズ 現代の天文学
人類の住む宇宙
岡村定矩・池内了・海部宣男・佐藤勝彦・永原裕子 編
ISBN978-4-535-60721-7
日本評論社 2007.1

 日経サイエンス5月号の書評を見て購入。曰く

日本天文学会100周年を記念して発行される、シリーズ「現代の天文学」の第1回配本である。当シリーズは、理科系の大学学部生を対象とした教科書としてまとめられているが、広く一般の読者を対象とした天文学への導入書としてもふさわしい。
とのこと。

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2007年3月29日

春到来


 近所の川沿いの桜の花が数日前から開き始めた。この季節は、橋の袂に一本だけある山桜(?)の花の白と並木をなす染井吉野の淡紅色、若葉が開き始めた枝垂柳の明るい緑色の取り合わせがまた良い。

 今年は春が早そうだなと2月頃には話していたように思うが、去年の3月31日のブログ明日はもう4月を見ると上のと似た写真が載っている。今年は、3月にだいぶ寒が戻ったことで、結局去年とあまり変わらない開花になったということのようだ。

 今週末ではまだ花見には早いと思うが、来週末までどのくらい残っているだろうか。

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2007年3月28日

(書評)信長とは何か

講談社選書メチエ 356
信長とは何か
小島道裕 著
ISBN978-4-06-258356-5
講談社 2006.3

 本書は、信長の事績を年を追って捉えていくという形を一応とっているものの、信長がなにをしたのかを解説するものではなく、歴史文脈の中で信長をどう評価するかということを目指した信長論の一冊である。

 著者の専門は戦国時代における都市、城下町であるという。本書も単に信長を追うのではなく、信長が作った岐阜、安土の城下町の分析を行うなど他の信長モノとは違う切り口をみせている。この点は本書の面白さのひとつだ。

 信長論というと、最近では「信長はそれほど特別なことはしていない」「中世を破壊しようとしたわけではない」というような、特別視することを批判する論が中心になりつつあるという印象を持っている。本書も一面ではその方向での検証をしていて、著者の専門から楽市楽座が決して現代のような自由競争を目指したものではないとしている。

 また、単純に既存の権威を否定することができるわけはなく、新たな権威を確立する為に一度既存の権威を受容したと説く。前半ではこの点特に強調されるのだが、冷静に読み返せばそれはそうだろうと思うが、強調するほどでも無いとも思う。

 中盤以降では戦国時代の日本は「地方の時代」であったとし、中央集権的に統一する以外にも選択肢はあったとする。こういう発想は自分にはなかったので、コペルニクス的な面白さを感じた。ただ、信長以外でも少なくともブロック単位での統一が進んでいたのは事実で、その後に緩やかな連邦体制があり得たという点には疑問が残る。


 力によって日本を統一しようとした、という点について本書は信長を特別視している。この点本書は新しい信長論とは決して思われない。ただ、そこに至るまでの切り口には新鮮さがある(自分がそれほど多く信長論モノを読んでいないからかもしれないが)。江戸時代を中央集権と地方分権の間と考えれば説得力を持ち得るかもしれない。

 論点に違和感があるのはひとつには単純化し過ぎている部分があるからだが、著者の専門から丹念に説き起こされる部分が妙な説得力を持たせている。既存の信長論に飽きている向きには、ひと味違う感想を提供できると思うが、著者の専門である岐阜や安土の城下町論だけでも読む価値はあったと思う。

 そういえば、信長に興味があって安土城には何度も行っているのだが、岐阜城はまだ未訪のままだ。今年の内には是非足を延ばして、できれば金華山に麓から登ってみようかと考えている。

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2007年3月26日

3月26日購入書籍

歴史読本2007年5月号
戦国の城をあるく
雑誌09617-5
新人物往来社 2007.5

 特集に惹かれて購入。全国140件ほどの城のデータを掲載していて、半分は詳細図付き。全国と考えると140という件数は決して多くはなく、関西に限れば新しい情報は少ないのだが、読んでいて面白いのでよしとする。

 城歩きの難易度という評価があるので、難易度の高い城に是非とも挑戦してみようと思う。

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2007年3月25日

遼金西夏史研究会 2日目

 昨日にひきつづいて、朝から遼金西夏史研究会に参加。夕べ遅かったんで、昼食後は眠気と戦ってました。すみません・・・


●研究発表

隋末唐初における突厥の活動---第一可汗国後期のオルドの位置---
 斉藤茂雄(大阪大学)
 突厥第一可汗国時代後期の11代啓民可汗から14代頡利可汗の根拠地について考察したもの。陰山南麓でも隋の亡命政権があった定襄周辺の可能性を論じた。季節的な移動や兄弟相続が続いたことを考えれば、広く陰山南麓一帯や北麓についても可能性を考えてもと思ったがどうだろうか。

回帰考据学---西夏佛教文献研究的新動向---
 聶鴻音(中国社会科学院 民族学与人類学研究所)
 ロシア蔵や中国蔵のカラホト文書の整理刊行が進んでいる中で、近年新しい発表がなされている仏教経典研究の動向についての紹介。文献学の必要性を特に説かれいた。西夏語の勉強ちゃんとやるべきだろうか・・・
 
聖彼得堡藏女真文草書残葉匯考
 孫伯君(中国社会科学院 民族学与人類学研究所)
 女真文字の研究発表は初めてお目にかかったと思う。聖彼得堡とはサンクト=ペテルブルグのこと。これもカラホト出土のロシア蔵文書のひとつということらしい。見慣れない女真文字であるうえに草書で書かれているので、自分にはほとんど判読不能だった。

金・東夏の女真城郭の分布
 臼杵勲(札幌学院大学)・木山克彦(北海道大学)
 現地調査に基づく中国東北部、ロシア沿海州、アムール州における城郭遺跡についての分析。金代に遡る可能性のある城跡数百についてGISを用いて現地調査を行ったとのこと。分布などには大きな地域差が見られる。山城歩きをしている身なので、見に行ってみたいという誘惑に駆られる。この発表の内容の一部は、北東アジア中世遺跡の考古学的研究のHP中でで見られる。また、昨日のブログ頂き物に書いた報告書も同HPでダウロードできる。

学会報告:カラホトの環境と歴史に関する国際シンポジウム
 向本健(大谷大学)
 昨年9月にカラホト遺跡のお膝元、内モンゴルのエチナで行われたシンポジウムについての報告。オアシスプロジェクトに関わるもので、歴史系と環境系のべ50名以上の発表が行われたとのこと。とりあえず、いつの日にかカラホトには行ってみたいと思う。

学会報告:第1回サンクト・ペテルブルグ大学国際西夏学会
 荒川慎太郎(東京外国語大学)
 昨年11月にロシアのサンクトペテルブルグで行われた学会の報告。こちらは中国、日本、ロシアなどの10数名が発表したとのこと。荒川さんと聶鴻音氏が、なにも見ずに西夏文字をスラスラと書きながら西夏語の文法について議論するという光景は、他ではお目にかかれない貴重なもの。


 昨日の分も含めて、こちらで発表要旨が見られます(リンクが切れる可能性があります)


●頂き物

中世考古学の総合研究
 中世北東アジア考古遺蹟データベースの作成を基盤とする考古学・歴史学の融合
 平成16・17年度研究成果報告書
 研究代表者 村岡倫

 以下に目次を書き出しておく。

 2004年度モンゴル国調査記録(鈴木宏節・中田裕子)
 モンゴル・日本合同調査団、モンゴル側簡報(原文モンゴル語)(A.オチル・A.エンフトゥル、翻訳 清水奈津紀)
 チンカイ屯田と長春真人アルタイ越えの道---ハルザン・シレグ遺蹟調査の総括---(村岡倫)
 ハルザン・シレグ遺蹟および風塚の実測図面(白石典之)
 クビライ政権時代のチンカイ地区(箚記)(松田孝一)
 元上都故城について(原文中国語)(魏堅・徐光輝、翻訳 中田裕子)
 新発現の漢モ対訳『勅賜興元閣碑』碑片(松川節)
 モンゴル国バヤンホルゴル県発現のブンブグル碑文---8世紀中葉の北アジア情勢を伝える突厥碑文---(鈴木宏節)
 中世北東アジア考古遺蹟データベースの構築(松川節)


 2日間にわたり興味深い話の数々、どうもありがとうございました。

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2007年3月24日

遼金西夏史研究会 1日目

 関西大学で開かれている遼金西夏史研究会に参加してきた。以下発表内容や頂き物を記録しておく。


●研究発表

唐中期の「賜姓ソグド人」
 福島恵(学習院大学)
 8世紀の唐で、朝廷から国性の「李」を贈られたソグド人についての研究。ソグド人墓誌について取り上げている。安、康、史とった文字が姓として書かれていると説明なしにソグド人(実際には裏付けがあるとは思うのだが)と書かれているものを良く見かけるが、確実なもの、可能性のあるもの、不明なものに分類しているものを初めて拝見した。

宋代における羊交易---遼・金・西夏との関係を中心に---
 塩卓悟(関西大学)
 各種文献から羊についての記述を集計して、宋においての羊肉消費の動向などについての研究。初めて聞く内容で、宋の時代にかなり羊を消費されていたという点、なかなか興味深い。宋政権がもともとソグド系軍閥から起っているから・・・という話ではないのだが、当時は、羊肉食は今よりも一般的だったようだ。

敦煌チベット文十万頌般若経と写経事業
 岩尾一史(神戸市外国語大学)
 まだ研究が始まったばかりということで、実際に研究の対象となるチベット文で書かれた文書の写しを提示しながらの、その文書群れについての解説。唐後期以降情報の少ない河西地方にあって、チベット文文献がもたらす情報には少なからず期待している。研究が順調に進むことを楽しみにしたい。


●頂き物

環流 inter-action
 研究会の会場となった、関西大学 アジア文化交流センターが発行している冊子。2005年8月発行の1号から2006年12月発行の4号まで。


中世考古学の総合研究
 北東アジア中世遺跡の考古学的研究

 各報告書掲載文について、目次を以下に書き出しておく。

 平成15・16年度研究成果報告書
  報告編
   ロシア沿海地方金・東夏代城址遺跡の調査(木山克彦・布施和洋)
   ロシア沿海地方出土文字資料の調査(井黒忍)
   モンゴル国アウラガ遺跡と周辺遺跡の調査(白石典之・出穂雅実)
   中国内蒙古自治区契丹・遼代遺跡の調査(武田和哉・高橋学而・澤本光弘・今野春樹)
   平成16年度モンゴル国ゴビアルタイ地方現地調査報告(村岡倫)
   クビライ政権時代のチンカイ地方(箚記)(松田孝一)
  論考編
   遼金代の長城について---その目的と機能の比較---(今野春樹)
   金代の銭貨流通(三宅利彦)
   ノヴォボクロフカ2城址の調査(N.N.クラーヂン・Yu.G.ニキーチン)
  資料編
   北東アジア出土官印集成表(稿)(井黒忍)
   契丹・遼代石刻文の調査(武田和哉・高橋学而・澤本光弘)

 平成17年度研究成果報告書
  報告編
   ロシア沿海地方金・東夏代城址遺跡の調査(木山克彦・布施和洋)
   モンゴル国ヘンティ県アウラガ遺跡の調査(白石典之)
   内蒙古自治区契赤峰市管内契丹遺跡・文物の調査(武田和哉・高橋学而・藤原崇人・澤本光弘)
  論考編
   アムール女真文化の土器に関する基礎的整理と編年について(木山克彦)
   耶懶と耶懶水---ロシア沿海地方の歴史的地名比定に向けて---(井黒忍)

 「中国内蒙古自治区契丹・遼代遺跡の調査」と「内蒙古自治区契赤峰市管内契丹遺跡・文物の調査」については、草原の王朝・契丹国(遼朝)の遺跡と文物(勉誠出版)に再編収録されている。


社団法人 情報処理学会 研究報告
 唐代行政地理の概念モデル(牛根靖裕・白須裕之・山田崇仁)
 唐代行政地理のデータモデル(牛根靖裕・白須裕之・山田崇仁)


明日は、ひきつづき第二日目。

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2007年3月23日

気がつけば一年

 去年の3月にGoogle Marsをエントリーして以来、気がつけば一年を越えた。まだまだ書き続けることだけが目標の毎日。最初は週3回くらいのペースだったが、最近はなんとか週に4、5回ペースで続いている。書き続ければ少しは文章を考えることに慣れるかと期待しているのだが、どうも今ひとつ進歩している実感はないかな・・・

 歴史ネタを中心に、漫然と読書をしないためにと感想文(大層にも書評などと名乗ってますが・・・)を必須としてきた。他にも書きたいと思うことがあったらジャンルに関係なく書くというスタンスも当分は変わらないみこみ。

 なにかのきっかけで立ち寄られた方に、少しでも有益な情報を提示できていれば幸いなのですが。お暇な時にでもまたお立ち寄りください。


 そのうちに何かに目覚めて面白い情報を発信しまくるようなブログに化ける・・・ようなことにならないものか(笑)

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2007年3月22日

(書評)だれが信長を殺したのか

PHP新書 452
だれが信長を殺したのか
本能寺の変・新たな視点
桐野作人 著
ISBN978-4-569-69073-5
PHP研究所 2007.3

 織田信長関係の本を数々書かれてきた著者の最新本能寺の変論。著者は前著真説 本能寺(学研M文庫)で、かつて自身で先鞭を付けた朝廷黒幕説を否定した上で、織田政権の対四国政策の転換によって明智光秀が追い詰められたことが直接の原因と説いた。本著はこの部分について、詳細な資料考証を行って検証したものとなっている。


 本能寺の変は、黒幕探しの新しい本がいまだに書かれるなど信長関係でも注目を集め続ける話題のひとつだ。その中でも90年代に一世を風靡した(と自分は感じている)朝廷陰謀説は、著者的には前著で一応の区切りが着いた形になっている。本書では、長宗我部氏との協調路線の中で窓口となった光秀と、光秀の家臣で長宗我部氏と姻戚関係にもあった斎藤利三が、長宗我部氏政策が強硬策に転換されていく中で追い詰められていったことが中心となっている。さらに、利三自身が信長から一時自害を命じられるなど厳しい立場にあり、変について光秀以上に主導的な立場にあった。変が起った6月2日は、信長の息子を大将とする四国遠征軍が出発する前日であったことが特に象徴的。ただし、決起自体は必ずしも計画的なものでなく、光秀自身3日前にもまだ決断しておらず、変は信長が無防備に京に入ったことで突発されたものとしている。

 資料の考証については私の手に負えないので省くが、本論は余計な陰謀の想定や推測を重ねるところがなく説得力のあるものとなっていると思う。とくに光秀側の動機という点では十分ではないだろうか。


 大雑把な話にしかならないが、あえて反論する余地を考えてみる。織田一門の権力強化という面で、信長が四国遠征軍の大将を息子にしたというのは肯定できるが、なぜ光秀ではだめだったのかという面はまだ弱いと考える。長宗我部氏と昵懇である光秀をあえて外してやったという中途半端な恩情論や、秀吉か家康か朝廷か誰かが信長と光秀の間を裂こうとしたとった陰謀論が割り込めるように見える。

 もう一点、既に言われてきたことだが、何故信長は無防備で上洛したのか。四国遠征軍から外れた光秀が、叛乱することが何故想定できなかったのかの説明が必要ではないだろうか。


 本書の内容は、自分にとって説得力のあるものだ。その点では今後の信長論、あるいは信長が登場する小説やドラマにどう影響していくのかが楽しみだ。また、長宗我部氏と信長の間で三好氏が置かれた細かな状況、長宗我部氏と土佐一条氏の関係などは自分にとって新しく興味深い内容だった。

 一応新書という体裁なのだが、専門性の高い論集的な内容になっている。ただし一般向けとして意識して構成されていて、その割には読み易いと思う。あとは細かい話。登場人物の関係が複雑なため、読んでいて混乱することがままあった。光秀、利三、長宗我部関係図以外にも三好氏の関係図などがあったらと思う。また簡易でももう少し広い範囲の地名を拾った地図があると重宝する。もう一点は一般論になるのだが、名前の読みにはいつも苦労させられる。自分は興味のある人物については、ちゃんとした読みで読みたいと思うのだが、登場人物が多くまた初見が混じるとどうしても覚えきれない。ふり仮名を振る範囲をもう少し広くすることはできると有り難い。


 もうひとつおまけの話。自分は大河ドラマとして島津、北条など地方戦国史を待望しているのだが、長宗我部もそのひとつ。ただ、長宗我部氏のドラマを想定すると、秀吉が乗り込んで来るまではほぼ四国内で完結していて盛り上がりに欠けてしまうと思っていたが、本書のごとく本能寺の変に至る部分を濃密に描くことで、かなり面白いものになると思うがどうだろうか。


 なお、本書の内容の詳細な検討については、桐野さんのブログ膏肓記を参照されたい。

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2007年3月21日

宮津城と八幡山城

 10年以上ぶりに丹後へ遠征。各駅停車を乗り継ぐと3時間以上かかる丹後まで出掛けたきっかけは、宮津市の海岸沿に建つみやづ歴史の館の4階にある宮津市歴史資料館今月いっぱいで休館になるというニュース(京都新聞)を見つけたからだ。資料館に思い入れがあるというものではないが、織田信長の本を読んでいることと、同資料館発行の図録に少し惹かれたこともある。いちばんの目的はやはり山城歩き。

 肥後熊本藩の太守だった細川氏の祖細川藤孝は、1580年に信長から丹後の支配を委ねられて宮津に入った。最初は八幡山城に入ったというが、直ぐに信長の許可を得て今の宮津市街に平城の築城を始めた。それが後に宮津藩の居城となった宮津城だ。ところがこの城は、明治維新で廃城になった後に地上からは跡形もなく消えてしまった。


 写真は、宮津小学校に残る門で宮津城から移築されたものであるらしい。観光パンフなどには太鼓門と案内されているが、どうも太鼓門には見えない。

 八幡山城は、宮津市街の南、タンゴ鉄道宮村駅の北東にある。城へは、駅から5分ほどのところにある鳥居から猪岡八幡宮の参道を登る。10分ほどかかる山道だが、整備されていてとくに問題はない。社殿の右手に看板が建ち、そこから本格的な山城登りとなる。数カ所に看板が建ち道もしっかりしていて、15分ほどで標高165mの本丸に辿り着く。途中広く削平された郭が連なり、一時とはいえ丹後の中心となった山城に相応しい規模と思う。本丸には石垣が残っているが、本格的に石垣に囲まれていたと思われる。その他にも所々に石が残っているので、虎口などの要所に石垣が使われていたのかもしれない。石垣は細川藤孝が整備したものと考えられている。


 本丸の北の郭からは、宮津の市街越しに天橋立が霞んで見える。


 タンゴ鉄道を南へもうひと駅、喜多駅から歩いて5分ほどのところに盛林寺がある。


 写真は、盛林寺裏山の墓地にある、首塚との伝説を持つ明智光秀の供養塔。盛林寺は細川氏との縁りがあり、光秀の娘玉が建てたものという。


 行きがけの駄賃ならぬ帰りがけ、西舞鶴駅で下車して舞鶴公園に寄ってみた。関ヶ原の戦いの折りに、細川藤孝が西軍相手に篭城戦を繰り広げた田辺城跡だ。


 写真は、発掘に基づいて再建されたという天守台。


 以下は宮津市歴史資料館で購入した図録。「古代中世の宮津」には資料として一色軍記、成相寺古記を掲載。これで300円は安いかも。

宮津市歴史資料館 常設展示案内
 宮津市歴史資料館 2003.3

宮津市歴史資料館 2003年秋期特別展
 歴代宮津藩主展
 宮津市歴史資料館 2003.10

宮津市史完結記念
宮津市歴史資料館 2005年春期特別展
 古代中世の宮津
 宮津市歴史資料館 2005.4


<参考資料>
宮津市史 通史編 上巻
 宮津市役所 2002.11

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2007年3月20日

3月20日購入書籍

興亡の世界史14
ロシア・ロマノフ王朝の大地
土肥恒之 著
ISBN978-4-06-280714-2
講談社 2007.3

 モンゴルが関わる時代には興味があるが、ロマノフ朝というとほとんど関心の外。そういえば真っ当に通史を読んだ記憶も残っていないし、今回は購入せずと思っていた。実物を手に取ってみるとリューリクに始まってゴルバチョフまで語られていて、通史の態をなしているようにみえるが、このシリーズが単なる通史で終わることはないのだろう。リューリク朝やモンゴル支配については簡略な前史なのかとは思うが、一度ロマノフ朝ものを読んでおこうと思い直す。

 来月の発売が16巻「大英帝国という経験」、5月が林俊雄先生の「スキタイと匈奴 遊牧の文明」とのこと。

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2007年3月18日

中国の地名と行政単位

 先日買ってきたアジア遊学の96号を読んでいる。6頁前後の小論を集めたものだが、新しい情報が入っていてなかなか面白い。

 この中に櫻井智美氏の「集寧路遺跡の陶磁器が語る元代青花の生産と流通」という一文がある。これによると、集寧路遺跡は金の時代に造られ、元の北遷と共に明に滅ぼされた街の遺跡とのことで、この遺跡からは景徳鎮産とされる陶磁器の完品が発掘されていて、それは景徳鎮の隆盛を考える上で重要な発見であるらしい。

 話は、本の内容から逸れる。その遺跡が内モンゴルの集寧市の西にあるとあったので、わりと新しい中国の地図を開いてみた。するとその集寧市が載っていない。現代の集寧は北京から来た鉄道が、内モンゴルの区都フフホトへ向かう線とモンゴル国の首都ウランバートルへ向かう線が別れる場所にある街のはずなのだが。調べてみると集寧市は既に無くなってしまっていた。

 ここ数年で日本の地名が大きく変わったが、中国でも日本と事情は違うが地名が変わっている所がある。考えてみれば中国での地名の変遷は、日本よりもはるかに激しい。日本では明治以降の市町村合併に関わるものを除くと、安土桃山から江戸時代の初めにかけて新しい名前が付けられた城下町が全国に散見される以外には、意図的に変えられた地名というのは少ないように思う。郡や国の名前も奈良飛鳥時代に成立して以来、変わった方が少ないと思う。

 中国はどうかというと、歴代の歴史地図を並べてみると実に良く変わっているように見える。かつての唐の都長安はこんな具合。

 長安(前漢〜唐)→京兆(宋金)→奉元(元)→西安(明以降)

 この他、隋の時には大興と呼ばれたし、唐の時代に京兆、あるいは西京と呼ばれもしている。これには多少仕組みがある。京兆、奉元、西安というのは、京兆府、奉元路、西安府という言い方がより正しい名前で、それは地方の行政単位として、中間のクラスの名前なのだ。その府や路の下位になる県の名前としては、宋以降もほとんど長安だった。長安県は最近まで西安市の隣に残っていて、今は西安市に吸収されて区の名前として残っている。

 そう見てきて思い返すと、わりと変化が激しかったのは中間クラス行政単位(郡、州、路、府など)なのかもしれない。こんな話を体系的に纏めた本があると面白そうだが、既に出ているかな?


 ここから現代の話になる。現在日本で発行されている地図には書かれていないのだが、今の中国にも中間クラスの行政単位がある。中国発行の資料に沿った言い方をすると、上から省級地級県級という階層になる。中国にもがあるが、日本では町村が昇格するように、中国でも県が昇格して市になる。

 ここでひとつややこしいことがある。地級は「甘南蔵族自治州」「阿拉善盟」「隴南地区」というように自治州、盟、地区という呼び方が使われているが、これらの地級も昇格すると市になる。つまり今の中国には県級の市と地級という大きな面積を持つ市が別々にあるのだ(※1)。今の中国では、この地級を市に昇格させる方向に進んでいるようで、1991年に全国には
地区が113、自治州が30、盟が8あったが、2002年には自治州は30で変わらないが、地区は18、盟は3と激減している。


 ここでやっと話が集寧に戻る。集寧が地図上にあったころ内モンゴル自治区の烏蘭察布(ウランチャブ)盟の中心地は集寧市だった。それが今は、烏蘭察布が市に昇格した。集寧市は無くなって集寧区になった。鉄道の駅の名前は今でも集寧であるようなので、地名として死んでしまったわけではないのだが、地図の上でこれまで集寧市と書かれていたところに、今は烏蘭察布市と書かれている。


 櫻井氏の名誉の為に付け加えておくと、wikipedia(ウランチャブ市)によれば集寧市が無くなったのは2003年のことで、発掘が始まった2002年はまだ集寧市だったことになる。

※1:例えば敦煌は、甘粛省の中の酒泉市の中の敦煌市となる。

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2007年3月17日

(書評)日本人になった祖先たち

NHKブックス1078
日本人になった祖先たち
DNAから解明するその多元的構造
篠田謙一 著
ISBN978-4-14-091078-8
日本放送出版協会 2007.2

 本書は、生物の細胞の中の小器官、ミトコンドリアが独自に持つDNAの違いを比較することで、人類がアフリカからどのように拡散し、日本人がどのように遷移してきたのかを解き明かしている。

 ミトコンドリアが持つDNAは、母親からしか子供に伝わらないという特質がある。この他にも細胞核の中にあるDNAと異なる点がいくつかあり、そのメリットによって人の系統をDNAから解明する材料として研究されてきた。その研究から、10から20万年前にアフリカにいた一人の女性が全人類の先祖であるとしたミトコンドリア・イブ仮説が話題になったのは10年近く前のことと思う。本書は、そんなミトコンドリアDNA研究の最新の成果を紹介している。

 ミトコンドリアDNAの違いを基に作られた人の系統図は前からあったが、4から6つのグループに分類する程度のものだった。それが研究の進展によって大きく細分化されたという。さらにサンプル数が格段に増えたことで、細分化されたグループの実態が解明されてきている。つまり、地球規模でそのグループの分布の片寄りを比べることで、アフリカから世界へ人がどのように拡散していったのか、より複雑に推測できるようになった。これが本書前半の中心で、いちばん興味深いところ。


 後半は、日本人についてはどうかというもの。まず、10以上に細分化された日本人のミトコンドリアDNAのグループについて、それぞれの由来を推測している。北、西、南から来たものがあり、日本人独自に近いものがありと想像以上に複雑というところ。

 次に国内の地域差、発掘した人骨から採取したDNAを使った縄文人や弥生人との比較、中国や朝鮮との比較と面白い話が続く。ただしそれまでの話題に比べるとやや歯切れが悪くなる。それは一部を除いて地域差が小さいこと、またグループそのものの比較ではなくてグループの頻度を比較するという方法に限界があるからと自分には思える。

 最後にややおまけという感はあるが、Y染色体に基づく研究が一部紹介されている。Y染色体はミトコンドリアDNAとは違って男性のみが持つDNAであって、その点でミトコンドリアDNAの研究とお互いに補完しあえるものとなるという。


 本書は著者が強く意図して入門書として書かれている。文章は平易であって必要以上の専門的な説明を避けるなど読み易さに配慮されている。ただしその分内容がやや希薄で物足りなさがあるのは仕方がないか。それでも、自分にとってDNA研究に基づく話は久しぶりで、その進展振りはとても驚きで、新しい情報が多く、また今後の進展もかなり楽しみ。

 一つ注文ということになるが、後半の部分で縄文人、弥生人比較するという形になっているので、弥生時代に先立つ人々は全て縄文人というひとつの集団に見えてしまう。著者自身が本文中で縄文人が多様であることを書いてはいるが、弥生人vs縄文人という書き方をする限りその意図が明確にならない。いずれより専門性の強い続編が出ることを期待しているが、この点は是非改善して欲しい。

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2007年3月16日

3月16日購入書籍

 たまたまではあるが、織田信長ものを2冊。日本の戦国時代といえば、面白い所が多いがやっぱりまずは信長。

PHP新書
だれが信長を殺したのか
本能寺の変・新たな視点
桐野作人 著
ISBN978-4-569-69073-5
PHP研究所 2007.3

 一冊目は、本能寺の変研究の第一人者、ブログ膏肓記の桐野作人さんの最新作。本能寺ものとしては、前著真説 本能寺からちょうど6年になる。

 


講談社選書メチエ 356
信長とは何か
小島道裕 著
ISBN978-4-06-258356-5
講談社 2006.3

 こちらは新刊ではない。今さら信長の総論でもないと思って手に取らなかったが、毛色が違っていて面白いらしいので買ってみる。

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2007年3月14日

3月14日購入書籍

PHP文庫 か-18-4
荀イク
曹操の覇業を支えた天才軍師
風野真知雄 著
ISBN978-4-569-66795-9
PHP研究所 2007.3

 三国志から中国史へ入ったので今でも興味はあるのだが、最近はあまり読んでいなかった。曹操を支えたといわれる荀イクが主役の小説という企画に、半ば反射的に買ってきた。この著者の作品は読んだことがないが、PHPのHPには

 ラストは『正史三国志』『三国志演義』もびっくりの、驚くべき結末があなたを待っている!
とか書いてあるし。このコピーではちょっと引くなぁ・・・。まあ、当たり外れの大きいPHP文庫ということで、期待半分(以下)でそのうち読もうかと思う。

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2007年3月13日

ここのところのニュース雑感

 首相、河野談話継承を強調・従軍慰安婦問題(NIKKEI NET)

 どちらかというと、自分は避けて通ってきた問題なのでツボが分からない。それで時間が許す範囲でブログをいろいろと回ってみるのだが、一回りしてきて考えると、とりあえずアメリカとの問題は政治問題なんだなというところ。どうも真っ当な歴史的議論になっていないようだし。

 歴史問題としてどう考えるかという点でいうと、自分の意見が無くはないが、ブログに書けるほどにはまだ纏まらない。歴史について深さと同時にある程度の広がりにも興味を持っているので、当面近現代史には距離を置いておきたい。また、政治問題としてはこれ以上のコメントもない。とりあえず可能な範囲で色々な意見を読んでおこうとは思う。


<この問題について読んだブログ>
 歴史認識問題の難しさ(カワセミの世界情勢ブログ)
 参議院の攻防(雪斎の随想録)
 慰安婦問題の再調査が必要だ(池田信夫 blog)

 池田信夫 blogは、コメントとセットで読むのが興味深い

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2007年3月11日

(書評)シルクロードと唐帝国

興亡の世界史05
シルクロードと唐帝国
森安孝夫 著
ISBN978-4-06-280705-0
講談社 2007.2

 既に何冊か書かれていてもおかしくないと思うのだが、意外にも著者にとって初めての一般向け著作とのこと。序章のタイトルに『本当の「自虐史観」とは何か』とあり、その中にも「西洋中心史観の打倒」といった項目を立てるなど、やや過激とも取れる言葉が並ぶ。文章のテンポの良さもあり走り過ぎという印象を受けるかもしれないが、内容という点で「西洋史」「遊牧民」「漢民族」などの位置付けは特別奇異というものではない。また、同じ序章の中で特に人種・民族・国家について項目を立ててそれぞれについて説明されているが、とくに民族についての説明は、今の自分には一番しっくりとくる。

 さらに序章27頁で、

 本書の最大にして最終の目標は、西洋中心主義的歴史観からの脱却と見方の大転換を、江湖の読書人と未来の日本を支える学制諸君に促すこと、この一点にある。
と纏められているが、本書は歴史観そのものを説くものではない。タイトルのとおりに唐王朝、その時代の中でも著者が特に真の意味で世界帝国だったと説く、630年に東突厥を滅ぼしてから755年に安史の乱が起るまでを中心として、唐とソグド、突厥、ウイグルの歴史を解説したものであって、旧来の史観に捕われない内容を目指したものということになる。


 本書は通史ではなく関係史といった位置付けが近いのかと思うが、政治史に止まらず社会史や文化史という点からも独立に章を立てて、新しい視点の提供を意図している。そして、新しい研究成果の紹介を中心としていることが本文の一番の特徴で、既に類書や先行書で取り上げてられている点については、必要最小限の説明に留めている。さらにそれらの研究成果についても、著者自身のものに止まらず広く多くの研究者の成果から引用をしていて、明記された引用の多さは一般向けとしてはあまり例がないと思う。

 これらの点は、序章に説明があり全くの確信犯である。序章がともすれば引いてしまいそうな書き出しではあるが、本論はいたって普通の解説書でその解き方には新鮮なものがあり、序章で止まらずに読み進められることをお勧めしたい。

 ただし一つ難点がある。上に書いたように本文には多くの引用があり、場合によって詳細は原文を見るように記されているのだが、その多く(特に新しいもの)が紀要などの市販されていないもので、いち読書人にとって入手が困難なこと。著者の先行研究についても同様な論が多数あり、この点ではソグド、突厥、(東西)ウイグルなどを主題により踏み込んだ一般向け解説書の出版を期待したい。

 あとは細かい感想になるのだが、本書についても断定的な書き方が目立つ点はどうしても気になる。民族などの言葉遣いとともに使う箇所にも気を使われているのは感じられるのだが。また、これは欲張り過ぎかもしれないが、同時代あるいはそれ以後に係るチベットの位置付けについてももう少し言及することはできなかっただろうか。

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2007年3月10日

芥川山城と高槻城など

 3月最初の山城は、大阪府内でも最大級と本に書いてある芥川山城を目指した。阪急高槻市駅を降りて山城へ向かう前に、まだ行ったことがない高槻城跡へ向かった。


 これは、途中の教会にあった高山右近の像。高山右近といえばキリシタン大名として知られる。高槻市教育委員会発行の戦国時代の高槻によれば、高山氏は高槻の西、今の豊能町南部の高山の出で、織田信長が摂津に侵攻した時にその傘下に入り、右近の代に高槻城主になったという。

 高槻城跡近く、高槻市立しろあと歴史館という案内が目に止まったので寄ってみる。常設展は見学無料で高槻城の変遷などが展示されている。二重の壕と三層の天守を持っていたという高槻城は地上には跡形もなく、公園と石碑が残るのみだった。


 芥川山城は、高槻市の北、摂津峡の東に聳える三好山にある。摂津国の東を押さえた重要な城で、細川晴元、三好長慶など中央でも活躍した武将がここを根拠地とした。織田信長も三好氏を攻めた際に立ち寄ったといい、その後に和田氏、高山氏が城主となり、高山右近が高槻城に移ったときに廃城になったという。

 芥川山城へは、JR高槻駅からバスで10分ほどの塚脇バス停から歩く。バス停前に案内板があり、そこにある地図を良く見て登り口を目指す。住宅街を抜けた所を右に登る道があり、最近設置されたと思しき立派な案内版が建つ。道は登山道というほどではなく、さほど険しく獣道よりは立派な道になっている。登り口から城の東の入り口までは15分ほど。周辺は櫟の大木と竹が生い茂り櫟の枯れ葉が厚く溜まっている。


 城内は東西に3群の郭が連なり、一番西の群の中央、一番高いところにある郭が本丸らしい。写真はそこを撮ったもので、かなり広い平地になっている。バス停から本丸まで標高差は150mほど。


 それ以外にも広い郭があちこちにあるが、本丸の西にある郭は最近草や笹が苅り払われたところで、視界を遮る木がなく、眼下の摂津峡越しに南方の眺望が良好。この写真はそこからのもの。

 その他にも数々の郭、空堀、土塁が奇麗に残り、わりと手軽に大型の戦国山城を堪能できた。地元の方の努力かと思われるが、新しい案内版が建ち、城内では間伐や下草、笹の苅り払いが行われていた。笹の切り株は結構鋭いので、底の固い靴を勧めておく。



 山城の南3kmほどの所に先日話題にした今城塚古墳がある。帰りに寄ってみたが、3月末まで工事中ということで冊が連なり、中には入れなかった。写真は前方部を外側から見たところ。2011年春終了予定で、史跡公園として整備しているとのこと。


 高槻市立しろあと歴史館で購入したものをメモしておく。

戦国時代の高槻
 高槻市教育委員会 1997.1

常設展図録
 高槻市立しろあと歴史館 2003.3

開館1周年記念特別展図録
 発掘された埴輪群と今城塚古墳
 高槻市立しろあと歴史館 2004.3

秋季特別展図録
 三島古墳群の成立
 ---初期ヤマト政権と淀川---
 高槻市立しろあと歴史館 2006.10


 → 三好山周辺の地図(国土地理院)

<参考資料>
城歩きハンドブック(新人物往来社)

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2007年3月 9日

3月9日購入書籍

アジア遊学 No.96
編集部 編
ISBN978-4-585-10347-9
勉誠出版 2007.2

 先月、關尾史郎氏のブログで情報を得て、特集「資料にみる最新中国史」がわりと面白そうなので期待していたのがようやく手にはいった。アジア遊学は毎月20日発売なのに、ジュンク堂の京都店に入荷したのは今週にはいってから。書店によると勉誠出版は月に1度しか入荷しない版元のひとつとのこと。今どき随分と不便なものだ。

 以下に特集の内容を転載しておく。

 幻の「夏」王朝の発見(岡村秀典)
 四川の古蜀文化---三星堆・金沙遺跡(工藤元男)
 黄土地帯の歴史環境学(原宗子)
 秦兵馬俑が伝える始皇帝の世界(鶴間和幸)
 新発見三国呉簡に見る三国時代(伊藤敏雄)
 魏晋南北朝隋唐史の研究と石刻史料学(上)(氣賀澤保規)
 シルクロード学の今日(片山章雄)
 族譜が語る宋代ネットワーク社会(小林義廣)
 『清明集』が語る南宋の法文化(高橋芳郎)
 集寧路遺跡の陶磁器が語る元代青花の生産と流通(櫻井智美)
 明朝档案からみた明代社会の一齣(松浦章)
 档案史料からみる中国近代(菊池秀明)

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2007年3月 6日

遥かなる絶景

土星探査機カッシーニ 昇りつめてとらえたリングの絶景(AstroArts)

 今日、ニュースフィードに引っ掛かってきたのがこの映像。土星を周回する軌道にいる惑星探査機カッシーニが最近撮えたもの。こんな写真が撮れるところに探査機がいるのかと思うと、ちょっとした感動がある。あんまり奇麗なのでダウンロードして壁紙にした。

 より大きな画像がこちらで見られる → CICLOPS


 NASAが外惑星に向けて飛ばしている探査機は、他にも昨年惑星から降格となった冥王星を目指しているニューホライズンズがある。8年後の到達を目指して、現在木星軌道付近を飛行中だ(ニューホライズンズ、木星スイングバイ成功 中赤斑も撮影:AstroArts)。


<参考>
カッシーニ公式サイト(NASA)
ニューホライズンズ公式サイト(NASA)

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2007年3月 5日

(書評)高句麗史と東アジア

高句麗史と東アジア
武田幸男 著
ISBN4-00-000817-X
岩波書店 1989.6

 目次はこちらを参照

 やっと読了した。400頁を越える本書はまるまる高句麗史の、しかもその一部を濃密に論考したもの。私にとって高句麗史もののこういう本が読みたかったという一冊だが、なかなかはかどらず読了まで時間がかかった。

 本書は各種文献資料を基にした高句麗史についての論文集だが、広開土王碑文を検証して、そこから4、5世紀の高句麗の姿を探ることが中心で、序章、終章含めた全15章の内、序章から11章までが広開土王碑文中心の内容となっている。

 いままでこれほど纏まった高句麗史関係のものを読んだことがないので、新しい情報だらけでとてもとても面白かった。その中でも特に興味深い点について、少し感想を書いておく。

 第七章「辛卯年条記事の再吟味」で検証されている問題は、古代日本史にも直接関わってくるもの。これは、「古代日本 謎の4世紀!」といった文脈では必ず取り上げられる部分で、自分が今まで読んだことがある広開土王碑文関係のものもそういうアプローチだった。それらは、碑文の問題となる部分をどう解釈するかを巡って、当時の日本、倭を大きく見るか小さく見るかといったことになる。そこでは、比較的細部にこだわるものが多かったような記憶があるが、本書では碑文全体を見通した検証から、かなり蓋然性が高いと思える結論を導いている。最近は古代日本史の本を読んでいない、というか避けて通っているのだが、最近のその手の本が広開土王碑文をどう評価しているのかという興味は少し湧いて来た。

 一方で、高句麗の北方や西方との関係は、おぼろげにしか現れて来ない。碑文にはあまり書かれておらず、それが碑文が造られた当時の高句麗における認識というのが、第九章「長寿王の東アジア認識」における流れ。それは、碑文以後の高句麗の発展方向に合っているというものの、前の時代に遼河流域進出を果たした高句麗にとって、それがどういうことであったのかは残念ながら語られていない。だからといって価値が低いと短絡できるものではもちろんないのだが。


 本書は論文集であって体系的な概説書ではない分必ずしも読み易い本ではない。ただ、全編に亘って広開土王碑文を中心に丁寧な文献検証をおこなっていて、広開土王の時代という高句麗の発展期における実態に迫る上で重要な論考を多く含んでいる。歴史を趣味とする人であっても、高句麗について一歩深く知りたいという向きには、多少苦労してでも読む価値のある一書と考える。


<追記>
 既に本を返却してたので記憶で書くことになる。高句麗の官位制について触れた第一三章の中で、三国志の魏志東夷伝に書かれている夫余の牛加、高句麗の相加の「加」の字について、後にモンゴル皇帝などの称号となる「カーン」に通じる旨を書かれていた。とくに論拠を示されていたわけではないが、夫余の西には、今のところ最も古い「カーン」号の記録が残るという鮮卑があるわけで、大変興味深い話だ。

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2007年3月 4日

今城塚古墳

天皇陵に巨大石組み 大規模石室を支える? 高度な土木技術を駆使(西日本新聞)

 今日は5月並の陽気だったとか。洗濯日和ではあったが、昨日の内に雑用を全部済ませて出掛ければよかったなと思う。継体天皇の陵墓ではないかといわれている今城塚古墳の現地説明会が、今日行われていた。幸いなことに、以下のブログで奇麗な写真で説明会の様子を見ることができる。

 散歩と旅のひとりごと


 ところで、大阪府と奈良県には併せて40基ほどの天皇陵クラスの大型前方後円墳がある。しかし、恐らく一般にはあまり知られていないことと思うが、この中で歴史・考古学的に誰の陵墓であるのかがはっきいりしているものは一つもない。宮内庁により指定はされているが、それに対する明確な裏付けはない。

 これは、一つには墓に誰が葬られているかを記した、墓誌や墓碑といったものが発見されていないから。現在の宮内庁による指定は、陵墓が造られてから時代を経て書かれた曖昧な文献資料を元に推定したもの。古墳時代の陵墓から墓碑が出てくる可能性は低いと思われ、その意味では被葬者が推定されることはあっても、確定されることは永久にないのかもしれない。しかし、その推定の確度を高くすることはできる。

 その唯一の事例が今城塚古墳。この古墳でも、継体天皇を直接示すものが出てきているのではなく、ここ10年来の調査の結果によってかなり有力になってきたという。

 なぜ今城塚古墳が唯一なのかというと、天皇陵の可能性のある大型前方後円墳の中で、ただこの古墳だけが宮内庁から指定されず、その所管にないからで、宮内庁が管理していないからこそまともに発掘調査が行えている。現在宮内庁は、別の古墳を継体天皇の陵墓に指定している。

 今のまま調査を続けて欲しいという意味で、今城塚古墳が今後とも宮内庁の所管にならない方が良いと考えている。しかし、現状のまま何も変わらなければ、今城塚古墳以外は永久に被葬者不明のままで残ることになる。


<参考資料>
歴史検証 天皇陵(新人物往来社)
巨大古墳(講談社学術文庫)
古墳とヤマト政権(文春新書)

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2007年3月 3日

反町ハーン

 久しぶりに映画館へ行ってきた。公開初日の「蒼き狼 地果て海尽きるまで」の感想を簡単に。

 この映画は、チンギス・ハンの母ホエルンが、チンギスの父イェスゲイによって略奪されるところから始まり、1206年にチンギスがハンに即位した後、金に攻め込むまでのチンギスの半生を描いたもの。

 見どころの一つは、その舞台となった雄大な草原そのもの。内モンゴルへは行ったことがあるのだが、モンゴル国はまだ未訪。同じ草原といえど、内モンゴルとは随分と違うように思う。そう思って見ていると、一度は行かないとなあとあらためて思った。

 もう一つは一番のクライマックス、ライバルジャムカとの決戦、最初の戦闘シーン。現代のモンゴル軍5000人を動員して、草原が両軍の人馬が埋め尽くされるところはなかなか壮大。単なる人海戦術という以上に、かなり迫力のあるシーンだったと思う。この手の戦闘シーンというと、どうしても両軍入り乱れた乱戦になってしまうし、このシーンもそれを逃れてはいないのだが、チンギス側の一群の部隊が敗走すると見せて馬上で仰け反って矢を射ったシーンに唸ってしまった。


 ストーリーそのものについての感想をひとつ。主人公であるところのチンギスの設定として、ジャムカにはない長者としての魅力をもつ英雄としての一面と、自身と息子ジョチにメルキトの血が流れているかもしれないことに苦悩する人間臭い一面が乖離していて落ち着かない。人間臭く描くあまりにチンギスを矮小化させている。英雄といえども人間臭いという設定はありと思うが、ことこの映画に関しては失敗。

 歴史考証的にどうかというと、突っ込み所が多すぎてあげきれない。あんまりなのでひとつだけあげる。チンギスの息子ジョチは敵の毒矢を受けたとして、金遠征に先立ってチンギスの腕の中で死んでしまう。・・・まあ、そんなとこです。


おまけ1
ブログ見出しは、最近の研究の流れからは「反町ハン」と書くべきかと思うが、映画の設定がチンギス・ハーンなのでハーンとした。

おまけ2
パンフに杉山正明氏が「チンギス・ハーン ユーラシアを席巻したモンゴルの嵐」という一文を寄稿されている。

おまけ3
クラン(フラン)を演じたAra、なかなか良いじゃん・・・ってまだ17歳なのか。非業にも死んでしまったが、父よりも松山ケンイチ演じるジュチ(ジョチ)のほうがなんか良かった。

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2007年3月 2日

3月2日購入書籍

草原の王朝・契丹国(遼朝)の遺跡と文物
武田和哉 編 前川要・臼杵勲 監修
ISBN978-4-585-03154-3
勉誠出版 2006.10

 蒸しぱんさんのブログほか、各所で紹介されていた。欲しいなあと思いながらずるずると買わなかったのだが、今月の東方(東方書店)に載った森部さんの書評に後押しされて購入。

 

歴史はおもしろい
12のテーマで読み解く高校生のための歴史学入門
福岡大学人文学部 歴史学科編著
ISBN978-4-8167-0702-5
西日本新聞社 2006.9

 松井さんのブログで紹介されていたのを見てから面白そうだなあとおもっていたのだが、書店で現物を発見して即購入。12のテーマは以下のとおり。

 1 民衆の文化と歴史
  女房を売りとばす(松塚俊三)
 2 歴史の中心と周縁
  眠れる獅子の魅力と18世紀世界(則松彰文)
 3 天変地異と歴史
  徳政令はなぜだされたのか(西谷正浩)
 4 文明と野蛮
  アメリカ先住民と「歴史」(森丈夫)
 5 遺跡から見る社会
  吉野ヶ里遺跡からわかること(武末純一)
 6 資料と真実
  漢民族は絶滅したか〜中国古代の人口統計〜(紙屋正和)
 7 民族と国民の物語
  高句麗問題と好太王の墓(桃崎祐輔)
 8 近代化の光と影
  蒸気船を手に入れる(梶原良則)
 9 軍隊と社会
  百人の兵士、百キロの行軍(山根直生)
 10 戦争と教育
  戦時中に発足した日本育英会(福嶋寛之)
 11 戦争とジェンダー
  「九州男児」の現代史(星乃治彦
 12 地域と歴史
  博多から日本史を見直そう(森茂暁)

 

講談社学術文庫 1678
古代朝鮮
井上秀雄 著
ISBN978-4-06-159678-8
講談社 2004.10

 高句麗について調べていたら、参考書籍に紹介されていたので買ってみた。1972年にNHKブックスとして出版されたものの再刊本。

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2007年3月 1日

1990年中国紀行 <泰山>


 3月の写真は、山東省にある泰山。中国を代表する聖山であり、皇帝が封禅の儀式を行う場所であった。封禅は、秦の始皇帝に始まって北宋の真宗皇帝まで続いたが、国を上げての盛大な儀式を行うことができたのは極一部の皇帝だけだった。

 写真は、山頂の入り口にある南天門まであとわずかの所までたどり着いたところ。門前の石段は特に急で撮影名所でもある。


 泰山への第一歩はこの一天門から始まり南天門まで延々と石段が続く。登山というよりは、とてつもなく長い神社の参道を登っていくようなものだ。秋の一日、中国人の人波が切れることはなく、大人も子供も老人も山頂を目指していた。中には足弱の親を背負った息子と思しき人の姿もあった。


 泰山の標高は1524m、日本製、中国製の地図いずれにもそう書いてある。この写真は泰山の頂上にある道観とその前にある石碑を撮ったものだが、なぜか1545mと刻まれている。

 朝少し早めに登り始め、途中でいろいろ見ながらゆっくり登って昼の1時頃に山頂にたどり着いた。体力に普通程度の自信があれば十分に日帰りもできる。山頂からは地平線まで続く華北平原と麓の泰安の街を見下ろす絶景が広がる。

  →Google Map 泰山山頂付近

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