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2007年3月22日

(書評)だれが信長を殺したのか

PHP新書 452
だれが信長を殺したのか
本能寺の変・新たな視点
桐野作人 著
ISBN978-4-569-69073-5
PHP研究所 2007.3

 織田信長関係の本を数々書かれてきた著者の最新本能寺の変論。著者は前著真説 本能寺(学研M文庫)で、かつて自身で先鞭を付けた朝廷黒幕説を否定した上で、織田政権の対四国政策の転換によって明智光秀が追い詰められたことが直接の原因と説いた。本著はこの部分について、詳細な資料考証を行って検証したものとなっている。


 本能寺の変は、黒幕探しの新しい本がいまだに書かれるなど信長関係でも注目を集め続ける話題のひとつだ。その中でも90年代に一世を風靡した(と自分は感じている)朝廷陰謀説は、著者的には前著で一応の区切りが着いた形になっている。本書では、長宗我部氏との協調路線の中で窓口となった光秀と、光秀の家臣で長宗我部氏と姻戚関係にもあった斎藤利三が、長宗我部氏政策が強硬策に転換されていく中で追い詰められていったことが中心となっている。さらに、利三自身が信長から一時自害を命じられるなど厳しい立場にあり、変について光秀以上に主導的な立場にあった。変が起った6月2日は、信長の息子を大将とする四国遠征軍が出発する前日であったことが特に象徴的。ただし、決起自体は必ずしも計画的なものでなく、光秀自身3日前にもまだ決断しておらず、変は信長が無防備に京に入ったことで突発されたものとしている。

 資料の考証については私の手に負えないので省くが、本論は余計な陰謀の想定や推測を重ねるところがなく説得力のあるものとなっていると思う。とくに光秀側の動機という点では十分ではないだろうか。


 大雑把な話にしかならないが、あえて反論する余地を考えてみる。織田一門の権力強化という面で、信長が四国遠征軍の大将を息子にしたというのは肯定できるが、なぜ光秀ではだめだったのかという面はまだ弱いと考える。長宗我部氏と昵懇である光秀をあえて外してやったという中途半端な恩情論や、秀吉か家康か朝廷か誰かが信長と光秀の間を裂こうとしたとった陰謀論が割り込めるように見える。

 もう一点、既に言われてきたことだが、何故信長は無防備で上洛したのか。四国遠征軍から外れた光秀が、叛乱することが何故想定できなかったのかの説明が必要ではないだろうか。


 本書の内容は、自分にとって説得力のあるものだ。その点では今後の信長論、あるいは信長が登場する小説やドラマにどう影響していくのかが楽しみだ。また、長宗我部氏と信長の間で三好氏が置かれた細かな状況、長宗我部氏と土佐一条氏の関係などは自分にとって新しく興味深い内容だった。

 一応新書という体裁なのだが、専門性の高い論集的な内容になっている。ただし一般向けとして意識して構成されていて、その割には読み易いと思う。あとは細かい話。登場人物の関係が複雑なため、読んでいて混乱することがままあった。光秀、利三、長宗我部関係図以外にも三好氏の関係図などがあったらと思う。また簡易でももう少し広い範囲の地名を拾った地図があると重宝する。もう一点は一般論になるのだが、名前の読みにはいつも苦労させられる。自分は興味のある人物については、ちゃんとした読みで読みたいと思うのだが、登場人物が多くまた初見が混じるとどうしても覚えきれない。ふり仮名を振る範囲をもう少し広くすることはできると有り難い。


 もうひとつおまけの話。自分は大河ドラマとして島津、北条など地方戦国史を待望しているのだが、長宗我部もそのひとつ。ただ、長宗我部氏のドラマを想定すると、秀吉が乗り込んで来るまではほぼ四国内で完結していて盛り上がりに欠けてしまうと思っていたが、本書のごとく本能寺の変に至る部分を濃密に描くことで、かなり面白いものになると思うがどうだろうか。


 なお、本書の内容の詳細な検討については、桐野さんのブログ膏肓記を参照されたい。

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