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2007年3月10日

芥川山城と高槻城など

 3月最初の山城は、大阪府内でも最大級と本に書いてある芥川山城を目指した。阪急高槻市駅を降りて山城へ向かう前に、まだ行ったことがない高槻城跡へ向かった。


 これは、途中の教会にあった高山右近の像。高山右近といえばキリシタン大名として知られる。高槻市教育委員会発行の戦国時代の高槻によれば、高山氏は高槻の西、今の豊能町南部の高山の出で、織田信長が摂津に侵攻した時にその傘下に入り、右近の代に高槻城主になったという。

 高槻城跡近く、高槻市立しろあと歴史館という案内が目に止まったので寄ってみる。常設展は見学無料で高槻城の変遷などが展示されている。二重の壕と三層の天守を持っていたという高槻城は地上には跡形もなく、公園と石碑が残るのみだった。


 芥川山城は、高槻市の北、摂津峡の東に聳える三好山にある。摂津国の東を押さえた重要な城で、細川晴元、三好長慶など中央でも活躍した武将がここを根拠地とした。織田信長も三好氏を攻めた際に立ち寄ったといい、その後に和田氏、高山氏が城主となり、高山右近が高槻城に移ったときに廃城になったという。

 芥川山城へは、JR高槻駅からバスで10分ほどの塚脇バス停から歩く。バス停前に案内板があり、そこにある地図を良く見て登り口を目指す。住宅街を抜けた所を右に登る道があり、最近設置されたと思しき立派な案内版が建つ。道は登山道というほどではなく、さほど険しく獣道よりは立派な道になっている。登り口から城の東の入り口までは15分ほど。周辺は櫟の大木と竹が生い茂り櫟の枯れ葉が厚く溜まっている。


 城内は東西に3群の郭が連なり、一番西の群の中央、一番高いところにある郭が本丸らしい。写真はそこを撮ったもので、かなり広い平地になっている。バス停から本丸まで標高差は150mほど。


 それ以外にも広い郭があちこちにあるが、本丸の西にある郭は最近草や笹が苅り払われたところで、視界を遮る木がなく、眼下の摂津峡越しに南方の眺望が良好。この写真はそこからのもの。

 その他にも数々の郭、空堀、土塁が奇麗に残り、わりと手軽に大型の戦国山城を堪能できた。地元の方の努力かと思われるが、新しい案内版が建ち、城内では間伐や下草、笹の苅り払いが行われていた。笹の切り株は結構鋭いので、底の固い靴を勧めておく。



 山城の南3kmほどの所に先日話題にした今城塚古墳がある。帰りに寄ってみたが、3月末まで工事中ということで冊が連なり、中には入れなかった。写真は前方部を外側から見たところ。2011年春終了予定で、史跡公園として整備しているとのこと。


 高槻市立しろあと歴史館で購入したものをメモしておく。

戦国時代の高槻
 高槻市教育委員会 1997.1

常設展図録
 高槻市立しろあと歴史館 2003.3

開館1周年記念特別展図録
 発掘された埴輪群と今城塚古墳
 高槻市立しろあと歴史館 2004.3

秋季特別展図録
 三島古墳群の成立
 ---初期ヤマト政権と淀川---
 高槻市立しろあと歴史館 2006.10


 → 三好山周辺の地図(国土地理院)

<参考資料>
城歩きハンドブック(新人物往来社)

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