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2007年3月28日

(書評)信長とは何か

講談社選書メチエ 356
信長とは何か
小島道裕 著
ISBN978-4-06-258356-5
講談社 2006.3

 本書は、信長の事績を年を追って捉えていくという形を一応とっているものの、信長がなにをしたのかを解説するものではなく、歴史文脈の中で信長をどう評価するかということを目指した信長論の一冊である。

 著者の専門は戦国時代における都市、城下町であるという。本書も単に信長を追うのではなく、信長が作った岐阜、安土の城下町の分析を行うなど他の信長モノとは違う切り口をみせている。この点は本書の面白さのひとつだ。

 信長論というと、最近では「信長はそれほど特別なことはしていない」「中世を破壊しようとしたわけではない」というような、特別視することを批判する論が中心になりつつあるという印象を持っている。本書も一面ではその方向での検証をしていて、著者の専門から楽市楽座が決して現代のような自由競争を目指したものではないとしている。

 また、単純に既存の権威を否定することができるわけはなく、新たな権威を確立する為に一度既存の権威を受容したと説く。前半ではこの点特に強調されるのだが、冷静に読み返せばそれはそうだろうと思うが、強調するほどでも無いとも思う。

 中盤以降では戦国時代の日本は「地方の時代」であったとし、中央集権的に統一する以外にも選択肢はあったとする。こういう発想は自分にはなかったので、コペルニクス的な面白さを感じた。ただ、信長以外でも少なくともブロック単位での統一が進んでいたのは事実で、その後に緩やかな連邦体制があり得たという点には疑問が残る。


 力によって日本を統一しようとした、という点について本書は信長を特別視している。この点本書は新しい信長論とは決して思われない。ただ、そこに至るまでの切り口には新鮮さがある(自分がそれほど多く信長論モノを読んでいないからかもしれないが)。江戸時代を中央集権と地方分権の間と考えれば説得力を持ち得るかもしれない。

 論点に違和感があるのはひとつには単純化し過ぎている部分があるからだが、著者の専門から丹念に説き起こされる部分が妙な説得力を持たせている。既存の信長論に飽きている向きには、ひと味違う感想を提供できると思うが、著者の専門である岐阜や安土の城下町論だけでも読む価値はあったと思う。

 そういえば、信長に興味があって安土城には何度も行っているのだが、岐阜城はまだ未訪のままだ。今年の内には是非足を延ばして、できれば金華山に麓から登ってみようかと考えている。

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コメント

私もちょうど昨日読みましたよ。
城下町の話は専門だけあって面白かったですね。

>緩やかな連邦体制があり得たという点には疑問が残る
私もそうはならないんじゃないかと思いました。地方ごとに大名が割拠した状態のまま、安定したりはしないでしょうし。

投稿: 馬頭 | 2007年3月29日 19時23分

>安定したりはしないでしょうし。
じゃあ信長がいなかったらどうか・・・とは思いますが、可能性がいっぱいあって即答してもしょうがないですかね。仮定しなきゃならないことも多いし。

自分的には、ゲームでよく全国統一をさせた島津が、九州の外に広がることができたか、ということを想像するのは楽しいですが。

投稿: 武藤 臼 | 2007年3月30日 00時30分

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『信長とは何か』 (小島道裕。講談社。講談社選書メチエ。2006年。1500円。238ページ)第1章・「大うつけ」--若き日の信長第2章・桶狭間第3章・天下布武第4章・岐阜城の信長第5章・岐阜城下と楽市令第6章・上洛第7章・信長の敵---戦国時代とは何か第8章・合戦と講和..... [続きを読む]

受信: 2007年3月29日 11時46分

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