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2007年3月21日

宮津城と八幡山城

 10年以上ぶりに丹後へ遠征。各駅停車を乗り継ぐと3時間以上かかる丹後まで出掛けたきっかけは、宮津市の海岸沿に建つみやづ歴史の館の4階にある宮津市歴史資料館今月いっぱいで休館になるというニュース(京都新聞)を見つけたからだ。資料館に思い入れがあるというものではないが、織田信長の本を読んでいることと、同資料館発行の図録に少し惹かれたこともある。いちばんの目的はやはり山城歩き。

 肥後熊本藩の太守だった細川氏の祖細川藤孝は、1580年に信長から丹後の支配を委ねられて宮津に入った。最初は八幡山城に入ったというが、直ぐに信長の許可を得て今の宮津市街に平城の築城を始めた。それが後に宮津藩の居城となった宮津城だ。ところがこの城は、明治維新で廃城になった後に地上からは跡形もなく消えてしまった。


 写真は、宮津小学校に残る門で宮津城から移築されたものであるらしい。観光パンフなどには太鼓門と案内されているが、どうも太鼓門には見えない。

 八幡山城は、宮津市街の南、タンゴ鉄道宮村駅の北東にある。城へは、駅から5分ほどのところにある鳥居から猪岡八幡宮の参道を登る。10分ほどかかる山道だが、整備されていてとくに問題はない。社殿の右手に看板が建ち、そこから本格的な山城登りとなる。数カ所に看板が建ち道もしっかりしていて、15分ほどで標高165mの本丸に辿り着く。途中広く削平された郭が連なり、一時とはいえ丹後の中心となった山城に相応しい規模と思う。本丸には石垣が残っているが、本格的に石垣に囲まれていたと思われる。その他にも所々に石が残っているので、虎口などの要所に石垣が使われていたのかもしれない。石垣は細川藤孝が整備したものと考えられている。


 本丸の北の郭からは、宮津の市街越しに天橋立が霞んで見える。


 タンゴ鉄道を南へもうひと駅、喜多駅から歩いて5分ほどのところに盛林寺がある。


 写真は、盛林寺裏山の墓地にある、首塚との伝説を持つ明智光秀の供養塔。盛林寺は細川氏との縁りがあり、光秀の娘玉が建てたものという。


 行きがけの駄賃ならぬ帰りがけ、西舞鶴駅で下車して舞鶴公園に寄ってみた。関ヶ原の戦いの折りに、細川藤孝が西軍相手に篭城戦を繰り広げた田辺城跡だ。


 写真は、発掘に基づいて再建されたという天守台。


 以下は宮津市歴史資料館で購入した図録。「古代中世の宮津」には資料として一色軍記、成相寺古記を掲載。これで300円は安いかも。

宮津市歴史資料館 常設展示案内
 宮津市歴史資料館 2003.3

宮津市歴史資料館 2003年秋期特別展
 歴代宮津藩主展
 宮津市歴史資料館 2003.10

宮津市史完結記念
宮津市歴史資料館 2005年春期特別展
 古代中世の宮津
 宮津市歴史資料館 2005.4


<参考資料>
宮津市史 通史編 上巻
 宮津市役所 2002.11

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