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2007年4月21日

如意岳城と中尾城

 今日登った山城は京都市街、銀閣寺の背後に聳える大文字山にある。先日買った「戦国 三好一族(洋泉社)」に登場するのが今日登った如意岳城と中尾城。本書によると、室町時代末期、都を追われた足利義晴が三好氏相手に近江側から京都奪還を目指して築かせたのが中尾城で、義晴の息子義輝が同様に拠点としたのが如意岳城とのこと。


 まずは哲学の道を歩いて銀閣寺の門前に出てから大文字山を目指した。大文字山へ向かう道の途中に、五山の送り火のひとつ、大の文字の火床が並ぶ場所がある。ここは京都市街を見下ろす展望スポットで、麓からの標高差230mほど。急な階段が続き30分ほどかかる。


 写真はそこからの眺め。市街のほぼ全体が望める場所でかなり気分が良い。ここまで登ってくる人は多く、あちこちで弁当を広げていた。


 送り火が焚かれる場所まで登ったのは初めて。実際に火が焚かれる場所は、この写真のようにキャンプの時に使うかまどのような形をしていた。そういえばバーベキューをしているグループがいたな・・・

 大文字山へはここからさらに標高差130mほど登る。ここからはなだらかな尾根道で歩き易く、山頂までは20分とかからなかった。如意岳はさらに東にある山の名前なのだが、如意岳城は大文字山の山頂周辺に広がっている。


 これは山頂の写真。山城としては、尾根を切る堀と掘の手前に盛り上げた土塁が尾根伝いに数カ所残っていて、土塁はさらに尾根の北側にかなり伸びているようで、その土塁に囲まれて削平された郭が広がっている。山頂の北側は、杉林の斜面に沿って下のほうまでひな壇のように何段にも郭が続いている。一段あたりの幅が少し狭いのが気になるのだが、樹齢3、40年ほどと思われる杉林を造成した時の撹乱かあるいは雨による侵食のせいだろうか。

 中尾城は、大文字山から北西にのびる尾根のひとつで、標高280mほどの地図には名前の無い山の上にある。今日は、大文字山から下る途中から細い道に分け入り、尾根伝いにたどり着いた。中尾城の見どころのひとつは、この尾根を断ち切る形で掘られた堀。そこそこ深く山城らしい雰囲気が残る。


 写真は、その中尾城の主郭とみられるところのもの。如意岳城より規模は小さいというが、一時的な城のわりに結構広い。郭はこの主郭を中心に、東と北に広がっていて立派な土塁を持つ郭もある。

 西へ尾根伝いに下り、元の銀閣寺の門前へと下山した。暑くも寒くもない丁度良い陽気。雑木林は若葉の淡い緑が溢れてとても奇麗だ。木々を見て回ると名前を忘れてしまったものが多いので、今度は樹木図鑑を片手に歩こうかとも思う。


<参考>
 中尾城は下記の国土地理院の地図で、「慈照寺(銀閣寺)庭園・旧境内(特)」と書かれているところの「境」の字のすぐ北(上)側、標高280mほどの山にある。現地では中尾城への登り道はなにも案内されていないので、地図を見ながら目標となる山を見定めて登っていくことになる。自分は、谷の入り口左手、朝鮮人学校の東側にある尾根を下りてきた。幾筋も踏み跡が続いているので歩き辛いというほどではないし、尾根筋に取り付けば城まで地形的に一本道なので迷うことは無いと思う。大文字山から尾根伝いに下って行く道は、細いがしっかりした道で途中までは迷わなかったが、中尾城の手前で一度急な坂を下る所の入り口が分かり辛い。


戦国 三好一族(洋泉社)

銀閣寺から大文字山にかけての地図(国土地理院)

古城ひろい

<4/22 追加>
文字だけではイマイチなので地図を張り付けてみました。

この地図は国土地理院発行の2万5千分の1地形図(京都東北部)をもとに作成しています。

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