« 4月14日購入書籍 | トップページ | 新シルクロード 第1集 »

2007年4月15日

飯盛山城

 昨日ほどの晴天ではなかったが、春霞のかかった日曜日、大阪府下最大規模の呼声もある飯盛山城へ登ってきた。この山城は、JR四条畷駅の東、四條畷市と大東市跨がって聳える飯盛山の山頂周辺に広がる。南北朝時代以来いく度も城主を代えてきたとのことで、戦国時代後期に近畿一帯に覇を唱えた三好長慶が本拠としたことで、大規模な山城として整備され拠点として一時期を成したという。


 飯盛山は大阪平野の北東に聳える標高314mの山、頂上からの眺望は抜群で北河内から摂津、大阪まで見渡せる。写真は、城の北の郭からの眺め。

 飯盛山城へは、北の四條畷神社からと、南の慈眼寺からのルートを登る。また、山頂の南1kmほどの所まで車で入ることもできる。今日は四條畷神社から登ったが、昔の登城道跡とかではなく、ハイキングコースとして整備されたもの。四条畷駅の標高が10m以下、神社でも50mほどなので、標高差は最近登った山城の中では格段に大きい。ハイキングコースは急な斜面に無理して作った階段で、尾根筋にたどり着くまで急な階段が続く。神社から最初の郭まで30分ほどだった。

 山頂は、史跡、城跡というよりは市民憩いのハイキングコースで、桜が散ったばかりとはいえ、楢や櫟の若葉が開き始めて萌黄色が光りに映えて綺麗だ。結構ハードな山道にも関わらず人が絶えることがなく、山頂の郭群が山城跡ということを知ってか知らでか、弁当を拡げた人達で賑わっていた。ただし、尾根筋に沿って続く郭群は、電波中継所や展望台などなど近年の改変を受けているので、どこまでが往時のなごりなのかはわからないところが多い。


 それでも、よくよく探すと石垣が残っている。写真は、中心部の少し北の斜面で見つけたもので、近くには大きな堀切も残っている。また、本城は東北西の三面は急な崖で囲まれているが、南側はわりと緩やかな尾根が続く。この地形のためか、中心部分の南側には土塁や土橋を使った大きな虎口の跡が残っている。


 写真は、山頂に立つ小楠公の像。1937年建てられたが戦争に供出されてしまい、1972年再建されたとのこと。小楠公とは楠正成の息子、正行のことで、彼が室町幕府軍と四條畷で戦って敗死したという縁によるものらしい。

 飯盛山城は、眺めの良さと堅牢な城域で三好氏最盛期の拠点として相応しく思える。山頂付近には山城の案内はほとんど無く、改変が大きくて趣きに欠ける気もするのだが、巨大な山城をイメージすることはできた。麓からの標高差300mというのはかなりいい運動で、明日に疲れが残らないといいのだが。


<参考資料>
戦国 三好一族(洋泉社)
戦国の城 <中>(学研)

|

« 4月14日購入書籍 | トップページ | 新シルクロード 第1集 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/162739/14696287

この記事へのトラックバック一覧です: 飯盛山城:

» 山頂行記(サンチョウコウキ) [山頂行記(サンチョウコウキ)]
いつでも「山登りしたい病」に罹る芳咲(gyuichi)のブログです。 [続きを読む]

受信: 2007年4月16日 22時49分

« 4月14日購入書籍 | トップページ | 新シルクロード 第1集 »