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2007年5月21日

西都原古墳群

 宮崎へ行ったら、城以外で立ち寄ろうと決めていた場所のひとつが、西都市中央部の丘陵に広がる西都原古墳群。前方後円墳、円墳併せて大小311基の墳墓があるとのこと。

 数もそれなりに多いのだが、ここの中心は宮内庁所管の陵墓参考地に指定されている男狭穂塚と女狭穂塚。男狭穂塚が175m、女狭穂塚が180mという墳丘長を持つ前方後円墳だ。九州内で見れば1番と2番、日本全国では50番前後に位置する。50のほとんどが奈良と大阪にあり、それ以外で数えると女狭穂塚がちょうど10番目となる。

 九州で一番というのは重要。女狭穂塚より大きいのは、近畿以西でみても京都、兵庫、岡山に併せて5基が数えられるだけ。なぜ宮崎にという話になる。ここから先は最近何も調べていないので空想を交えた茶飲み話に話しを逸らす。


 古代日向の茶話として一番興味があるのは、神武伝説って何という話。なぜ神武東征の出発点が日向なのか。伝説はどういう経緯で出来上がったのか・・・

 1.実際に日向にあった勢力が東に進んで大和政権を建てた
 2.日向の有力者が政権に参加する過程で出来た伝説が、大和政権の伝説の中に組み込まれた
 3.100%作り話

 2が意外とありえるのかとか思ったりする。1は邪馬台国東遷説とも結びつく。私自身は、邪馬台国東遷説に今でも魅力を感じている。だからといって日向に邪馬台国とは言わない。北部九州に基盤のあった勢力の日向遠征軍が、本国に戻ってクーデターを起こし、さらに東征した・・・まったくの絵空事だが好きなストーリーではある。

 なお、男狭穂塚と女狭穂塚は5世紀前期から中期の古墳とされている。いわゆる倭の五王の時代にあたる。その点では、この墓の主かその子孫が東征して・・・ということにはまずならない。



鬱蒼とした木々に覆われた女狭穂塚


男狭穂塚の陪塚とされている169号墳。発掘後奇麗な円墳として整備されている。


横穴式石室が公開されている206号墳。


西都原古墳群周辺 → Google Map
中央の森北半が男狭穂塚、南半が女狭穂塚。

<参考>
西都原古墳群(宮崎県)
古墳とヤマト政権(白石太一郎著/文春新書)

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