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2007年5月27日

勝軍山城

 5月最初の山城攻めは、4月に登った如意岳城と白川を挟んで向かい合う勝軍山城。先日読んだ戦国 三好一族によれば、戦国時代、京を追われた将軍が立て篭る城のひとつで、京都市内で細川氏、三好氏、六角氏などを巻き込んだ戦いが繰り広げられた主戦場のひとだった。

 勝軍山城は、地図では瓜生山と書かれている山の頂上を中心とした山城。まずは山の北側の谷にひっそりとある狸谷不動院へ向かうため、叡山電車の一乗寺駅へ向かう。駅からは東にほぼ一本道。山麓から結構な登りが続く道を30分ほど歩くと立派な本堂が聳えるお不動さんへとたどり着く。


 狸谷山不動院本堂。斜面にあって清水のような舞台の上に建つ。

 山城へは、境内の一番奥から上へと続く階段を登る。そこから三十六童子を祀るという祠が36並ぶ巡礼道が続いている。わりと歩きやすいこの道を登って行けば、15分ほどで36を巡り、その先の山頂に建つ奥の院へとたどり着く。


 山頂に建つ奥の院。ここが本丸だったと言われている。

 本丸自体はそれほど広くはないが、東(建物の裏側)に向かって階段状の郭が連なっていて、さらに東西4本の尾根上に出城的な郭が点在。全体で1km近い広がりを持っている。


 本丸の東には、幅の広さ、深さ、長さで存在感のある空堀が残る。


 山頂周辺に点在する郭を結ぶ尾根道はところどころかなり細くなり、人手で築き上げたとみられる土橋になっている。

 この他にも一番西の郭や東の尾根の分かれ目などに高さ50cmから1m程度の土塁が残っている。各郭へは、尾根筋を巡るハイキングコース(京都一周トレイル)から薮をかき分けて進むことになる。中には、平均台の上を歩いているような高さのある土橋があったり、帯郭から折れ曲がった道が土塁にぶつかる虎口があったりと防御施設が明瞭に残っているところもある。

 下りは北東の郭の先から林道を下った。白川通りまでのんびり歩いて1時間。林道は場所によって獣道に戻りつつあるような状態で、歩くのには十分だがバイクなどで乗り入れるのは厳しい(入り口の門も閉まっている)。


 勝軍山城は、残り具合は良いように思う。常駐の城だったわけではないので、各郭の広がりはさほどではないし、石垣が使われている所も無い。しかし、大規模な山城の無い京都市街周辺では最も戦国の山城を楽しめる場所ではないかと思う。山全体が赤松、杉、クヌギなどの木々に覆われていて、一番西の郭で木々の間から市街を見下ろせた以外、眺望はほとんど効かなかった。

 先日買ったばかりのデジカメのデビュー戦で、いつもより写真は奇麗だったと思うのだがいかがでしょうか。



勝軍山城位置図
この地図は国土地理院発行の2万5千分の1地形図(京都東北部)をもとに作成しています。

勝軍山城周辺地図(電子国土地図)

<参考>
戦国 三好一族(今谷明 著/洋泉社 )
勝軍山城(落穂ひろい)

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