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2007年6月 4日

事件を機会に今の森と林業を思う

緑資源機構、前身の公団元理事自殺か(日本経済新聞)

 相次いで自殺者がでるというショッキングな事件だった。大臣のことをはじめ、政治的な話は既に多くの方がブログに書かれているので、自分は林業の現場のことを思い出して書いてみたい。


 もう10年以上前になるが、90年代前半に自分は山を調査して歩く仕事をしていた。当時、緑資源機構は農用地整備公団と合併(1999年のこと)する前で、森林開発公団と呼ばれていた。自分が山と関わっていた時期のことなので、この名前の方が馴染みがある。今回ニュースになっていたのは林道事業についてだったが、公団が直接関わっていた林道はそれほど多くはなく、公団といえば造林事業の方が自分にはより身近だった。

 調査して歩く中で様々な方々の話を聞くことができた。1950年代、戦争中よりも戦後の復興のために多くの木々が山から伐り出されたという。とある山の中で、30、40年生くらいの杉の林を指差しながら、ここら一帯は当時禿げ山になったという話を伺ったことがある。1960年代にはそういった山を緑に戻すべく、様々な事業を通じて植林が積極的に行われた。森林開発公団で水源林造成事業が始まったのが昭和36年というのも、そういう側面を持ってのことと思う。


 戦後、各地の復興事業を担った森だが、さらに将来は山村の将来をも担うと言われていた。森を抱えた村は、自ら積極的に林業経営を行った。村民の山を借りて村が資金を提供し、将来育った木の売り上げを土地所有者と村が折半するという(分収林という)契約を結んで行う植林が各地で行われた(森林開発公団も分収林契約であり、都道府県も直接、間接に分収林事業を行った)。木材が売れる頃にその収入で村の財政は豊かになり、やがて住民税が無料になると謳われたものだった。

 しかし林業は他の産業に先駆けて貿易自由化の矢面に立ち、1960年代から自由化と関税の引き下げが始まった。今はいくらくらいで売られているのか林野庁の統計資料を覗いてみて驚いた。( → 41 山本立木価格、丸太価格、製材品価格、山林素地価格)杉の立木が一本5000円にもならないのである(50年生くらいの杉で体積が1立方メートルくらいになるが、実際に利用できる部分はそれよりも小さいのでもっと安くなる)。

 杉が1立方メートル4400円という価格は1955年と同じで、一番高かった1980年の5分の1。丸太や板材の価格を見れば、製品価格がそこまで落ち込んだ訳ではないのは分かるが、もはや切り出すための経費を引くと、切った後を植林するための再投資の費用はほとんど残らないという数字ということだ。分収林造林が始まった当時、30年くらいで切って再造林する計画だったように記憶しているが、安くて売れないので切るのを先延ばししているという話だった。無税村は、とっくの昔に夢物語で終わっているのである。


 山を歩いていた頃の話として、木材の値段の話以上に危機を持って語られていたのが林業就業者、後継者の話だった。農業後継者は今でもニュースになる話だが、輸入自由化以上に就業者問題でも林業は農業の先を行っていた。15年前の時点で、ある地方の森林組合の作業者の平均年齢は60歳前後で、事業の活発なところでも50歳代だった。「10年後に作業者はいなくなる」「うちは5年後だ」「うちにはもういなくて、となりの組合に仕事をお願いしている」という悲観的な状況だった。

 この話が全国の平均的な話かどうなのかは知らないが、当時から危機意識はあり、就業者を増やすことについて行政を中心に様々な取り組みが行われていた。その成果がどの程度実っているのか、林業白書を見ると( → 2 林業労働をめぐる動き)成果はあげているようだが、総就業者数が10年間で9万人から6万人へ減少と依然厳しいことに変わりがないようだ( → 23 総人口及び就業者数)。


 今的な話題をもう少し。やや贔屓目も入るが、環境問題として二酸化炭素を固定する対策ということでは、植林が重要であることは多くの人が認めていることと思う。これに林業を加えることが重要である。計画的に木を植え、育てて伐り出すことを行えば、総量として木が減少することはない(もちろん全ての森で木を伐れという話ではない)。

 木が特に優れている点は、バイオエタノールのように使えばすぐに二酸化炭素に戻るという物ではなく、長く使い続けることができること。木造の家であれ、本であれ50年、100年と使い続けることはそれほど難しくない。活字中毒で未読の本を山のように積んだままという人は、それだけでも環境問題に貢献していると胸を張っていい。我が家にも床が抜けない程度に、木材数本分に相当する二酸化炭素が本として丁重に保管されている・・・というのは半分程度には冗談です。

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