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2007年6月18日

島津家墓参

 先月、宮崎を回った時に立ち寄った城跡は、先日紹介した飫肥と櫛間で全て案内し終わったのだが、城廻ばかりしていたわけでもないので、おまけをあと2回ほど。

 歴史の話を中心に旅行にでかけると城跡巡りや遺跡巡り、博物館・資料館巡りなどなどあるのだが、もうひとつ墓参りをすることもある。縁者でも知人でもないわけだが、よく知っている人物の墓前に立つと気が引き締り自然と頭が下がるとともに、当時のことを問いかけそうになってしまうのは、ちょっと思い入れが強すぎるかもしれない。

 今回は、戦国日向の島津氏というのがひとつのテーマだったので、立寄り先も島津氏関係にできるだけ絞った。以下、まだ紹介していない島津家の墓所について簡単に紹介しておく。



 これは、佐土原城の近くにある天昌寺跡にある通称前島津墓地。前島津とは、江戸時代の佐土原藩島津家に対して、戦国時代の佐土原城主で島津氏の九州制覇に活躍した島津家久。その息子で関ヶ原で討ち死にを遂げた豊久の親子を指している。現地の案内によれば、写真中央右に4つ並んだやや大きい墓石が、左から家久、豊久、家久の妻、家久の母のものであるという。
 →前島津墓地(電子国土地図)



 つぎは、飫肥に残る数少ない島津氏の足跡。豊州家島津氏で1500年頃飫肥城を中心に活躍した島津忠朝の墓。飫肥城外の安国寺跡とされる墓地の中にある。
 →安国寺跡(電子国土地図)


 宮崎で回ったのはこれに、先日紹介した佐土原藩島津家墓所の3カ所。次は、旅の最後に立ち寄った鹿児島市内にある島津宗家の墓所。


 島津家といえば、江戸時代にあっては加賀前田家に次ぐ石高を誇り、明治新政府の中でも強い影響力を持ち続けた。その島津宗家の墓所は、鹿児島駅近く、維新後の廃仏毀釈で廃寺となった福昌寺の跡にあって、広い敷地の中に歴史の教科書にも登場する名前が並ぶ。写真はそこに立つ案内板(クリックすると大きな写真が開きます)。


 その中でも自分にとっては戦国末期の島津氏が主役である。写真の奥から2番目、塔が沢山並ぶ区画の奥がその時の島津家当主義久の弟義弘の墓所。写真右手の区画が義弘の息子久保。写真には映っていないが、その右へ義弘の父貴久、義久と続く。
 →福昌寺跡(電子国土地図)



 最後に島津家とは関係のないおまけ。以前から地図の上で知っていて、近くに行ったら寄ってみようと思っていた後藤又兵衛基次の墓。後藤基次は、豊臣秀吉の軍師として名高い黒田孝高に仕え、後に出奔して大坂の陣に豊臣方として参戦、戦死を遂げたとされている。場所は、大分県中津市裏耶馬渓。大坂の陣に関わる落人伝説のひとつのようで、黒田氏が中津の領主だった時代の所縁の地であるという。
 →後藤又兵衛基次の墓(電子国土地図)

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