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2007年6月 8日

佐土原城

 ゴールデウウィークからひと月が過ぎたが、宮崎遠征報告がもう少し残っている。

 高鍋城の次に向かったのが佐土原城。戦国時代、日向を制した伊東氏にとっては都於郡と並ぶ拠点だったが、薩摩の島津氏が奪取してからは、島津義久の弟家久が入城、島津氏にとっても日向における最重要の拠点だったと思われる。豊臣秀吉の九州遠征後は、家久の子豊久が佐土原城主となったが、豊久が関ヶ原戦で戦死したため一旦幕府領となった。1603年に島津以久が入城してからは、幕末まで佐土原島津家の城として続いた。ただし、17世紀の前半には城の中心が山上の本丸から山麓の二の丸に移されたとのこと。

 城は最高所でも標高75mで、二の丸との標高差65mと山城としてはさほど高くはない。しかし斜面は意外に急で、本丸から4方向に伸びる瘠せ尾根上に配置された郭は、土塁、土橋、堀切を巧みに組み合わせていて防御力はかなり高いと思われる。


 城跡は、平成に入ってから本格的に発掘調査が行われ、二の丸には写真のように御殿様建物が推定復元され、歴史資料館「鶴松館」として公開されている。

 資料館から山上へは、各尾根筋を登る道が整備されていて、案内板や解説板が各所に立つ。二の丸から本丸までを一回りして30分ほど、南に張り出した郭まで見て回っても1時間もあれば見て回れる。


 山上に建っていたとされる天守は、古絵図に書き込みが見られるものの存在自体が疑問視されていたらしい。しかし1996年からの発掘調査で石垣、瓦、金箔鯱瓦片などが出土し、最低でも数層の櫓様建物が建っていたことが確認された。瓦が安土桃山時代のものとされるので、豊久時代に建てられたものだろう。写真はその天守台跡。

 山城全体に渡って、深い堀や複雑な虎口などが良く残っているので、戦国末期の山城を手軽に体感できる城のひとつではないかと思う。


 城跡の北、高月院には歴代佐土原島津家藩主が眠る墓所がある。


佐土原城位置図
この地図は国土地理院発行の2万5千分の1地形図(佐土原)をもとに作成しています。

佐土原城周辺(Google Map)
 矢印周辺の木が無い所が本丸とそれを囲む郭の跡。矢印が天守台跡で、拡大してみると方形に色が変わっているのがわかる。

佐土原城周辺地図(電子国土地図)

<参考>
佐土原歴史資料館パンフ
佐土原町の文化財(佐土原町教育委員会)
佐土原町文化財報告書 第6集 佐土原城址概要報告書1(佐土原町教育委員会)

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