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2007年8月25日

本能寺跡

 まだまだ残暑の厳しい炎天下だったが、少し前にニュース『本能寺の無防備覆す 信長が“城塞並み”防御か(京都新聞)』で話題になった本能寺跡へ行ったきた。関西に移り住んでもう6年を越えたというのに、本能寺跡を訪れたのは初めて。信長フリークという看板も偽り・・・というより単なる出不精だったりするが、旅行好きの出不精というのは不思議と矛盾していない(笑)。とはいえ、本能寺跡は堀川通に近い所にあるので烏丸から西へは滅多に出かけない自分からみると遥か彼方である・・・


 →(碑文の拡大写真
 この写真は、本能小学校の跡地に建てられた老人ホームの西手に新しく整備されたと思しき本能寺跡の石碑。石碑の向こう側がその老人ホーム。蛸薬師通の南に位置するこの一角は本能寺の境内だったという説があったが、老人ホーム建設前の発掘で境外であることが分かったとのこと(『本能寺の変/新歴史群像シリーズ(学研)』参照)。


 この写真は、蛸薬師通を西から見たところ。右側が件の老人ホームで、左側が本能寺跡ということになる。今はごく普通の住宅街で、少なくとも地上には往時を偲ぶものはなにもない。本能寺の変の際にはこの通りに明智軍が満ちていて、恐らくはこの先にあったと思われる門を破って境内に突入したわけだ。


 こちらが、各種本能寺の変ものの本で紹介されている本能寺跡の石碑。背後の塀が新しく作り直されたので趣きがだいぶ変わっている。老人ホームの北東角にある。もし本能寺の門が南側の真ん中にあったなら、この石碑の前あたりということになる。


 上で紹介したニュースの発掘現場は、写真のように早くもただの工事現場となっていた。街中の発掘現場らしい現実ということか。違うところでまたなにか発見があることに期待しておく。

 下の地図に見える、蛸薬師通、油小路通、六角通、西洞院通で囲まれた百数十メートル四方が本能寺跡という(北は三条通までという説もある)。地図にあるように地名として名前を留めているが、住宅街で何が残っているというわけではない。現地にさして見るものがなくても、現場で往時を想像するだけでなんとなく充実感が得られるのは歴史好きの特権である。


拡大地図を表示

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コメント

本能寺,いいですなぁ。

箕輪城の長野氏関係の史跡に行ってきましたが,地元のせいか,夏休みは不完全燃焼です。夜間のETC割引を使い,大坂城で「真田太平記」関係の展示会(~9月2日),それと九度山の真田庵にも行きたいですが,腰があがりません。

投稿: まんじゅ | 2007年8月26日 22時02分

箕輪城今夜でてましたね。
機会があれば一度訪ねてみたい城跡のひとつですが。
・・・上州で城といえば、岩櫃も登ってみたい

>大坂城で「真田太平記」関係の展示会
ほほ−ーー、真田ねえ・・・

・・・夏休みはまだまだこれから(^^;

投稿: 武藤 臼 | 2007年8月27日 01時15分

>・・・上州で城といえば、岩櫃も登ってみたい
いつでも車でご案内しますよ。東京から余裕で日帰りできますし。私も前は通るけれど,20年近く登ってないデス。いつでも連絡下さいな。

投稿: まんじゅ | 2007年8月28日 01時04分

>いつでも連絡下さいな。

是非お願いします。
次の上京(っていつだ?)までに足腰鍛えておかないと。
もう少し秋らしくなったらまた山城行きます。

投稿: 武藤 臼 | 2007年8月28日 23時35分

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