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2007年9月30日

新 シルクロード 第5集

 3ヶ月ぶりの放送となる新シルクロードシリーズの第5集、サブタイトルが望郷の鉄路。対象となったのは、シリアの首都ダマスカスからヨルダンの港町アカバまで、ヨルダン川沿いの地溝帯東側に南北に続く割と狭い地域。鉄路とは、かつてダマスカスとサウジアラビアのマディーナを結び、今はダマスカスとアカバを結んでいる鉄道のこと。

 話の主軸は、この地域に暮すアラブ系の人々についての第一次大戦以後の悲劇というもの。オスマン帝国からの分離後のこととして、独立を阻んだイギリス、第二次大戦後の紛争のもととしてイスラエルが悪役として登場する。ダマスカス在住のユダヤ人、バグダットから避難してきたというイラク人も出てくるが、パレスティナ難民とゴラン高原の紛争に巻き込まれたシリア人が中心となる。

 彼らはいずれも悲劇の人々という話だが、単純に悲惨とか復讐とかいうのでなく、パレスティナ国籍にこだわる人、ヨルダン軍として戦った人、家族が分断されながらも懸命に生きる人とそれなりに多様。イスラエルが一方的に悪役と言えなくはないが、この多様さでかろうじてバランスが取れていたように思う。

 ここ数年のシリアやレバノンの問題など、イスラエルvsパレスティナ以外あまりニュースにならないことを考えれば、希少性のある特集ということもできるか。本シリーズを通しての傾向であるが、特定個人に寄ったミクロな構成は人臭くて面白いと思うが、情報不足な地域と考えるとミクロに過ぎていて自分はあまり評価していない。

 細かい点をひとつあげると、第一次大戦後の問題としてイギリスの名前が再三にわたって悪役として登場した。それに対してイスラエル、イラク問題と関わりの深いアメリカの名前が、ほとんど(まったく?)出てこなかったのにはバランスを欠くように感じた。

 また、これまで本シリーズについて再三言ってきたようにシルクロードという言葉は、今日の放送についてもこれといってまともな意味を持ち得ていない。その点は予想どうりなのでこれ以上コメントしない。

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コメント

ミクロの声を集め、声なき声を綴るのが、ジャーナリズムの勤めなのでは? そういう意味で、私は番組の趣旨を評価しています。

投稿: キース | 2007年10月 2日 21時46分

キースさん、こんばんわ

便利な言葉として使ってしまいますがバランスということですね、自分としては。

上にも書いたように、今回については、立ち位置が違う人を3人並べたことで、変に感傷的にならずに見ることができました。その意味でバランスがとれていたと思っています。パレスティナ難民といえど立場はそれぞれという多様性を、一部なりとも提示していたことには意義があったと思います。

しかし、 50年来紛争が続いている地域であるのにも関わらず、この地域の情報は不足していると自分は感じています。イスラエルとレバノンの間で紛争があったときは取り上げられましたが、レバノンの内政問題とシリアの関係が報じられることはほとんどありません。それでもレバノン、シリアについてはネットをあたれば情報を拾ってくることは出来きますが、ヨルダンのこととなると自分にはさっぱり掴めていません。

詰まる所、彼らが語った言葉の背景がなんなのかという情報がまだまだ不足している、相対的にそういうアンバランスを感じています。ミクロな情報にも意義がありますが、その背景が理解できなければ役に立ちません。

ここら辺りのバランスを強調するのは、最近のNHKのニュースについて、当事者、あるいはただの野次馬のインタビューを垂れ流して、それでニュースを発信したつもりになっているのではないか、という自分の持つ憤懣が背景としてあります。

投稿: 武藤 臼 | 2007年10月 3日 00時45分

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