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2007年9月30日

新 シルクロード 第5集

 3ヶ月ぶりの放送となる新シルクロードシリーズの第5集、サブタイトルが望郷の鉄路。対象となったのは、シリアの首都ダマスカスからヨルダンの港町アカバまで、ヨルダン川沿いの地溝帯東側に南北に続く割と狭い地域。鉄路とは、かつてダマスカスとサウジアラビアのマディーナを結び、今はダマスカスとアカバを結んでいる鉄道のこと。

 話の主軸は、この地域に暮すアラブ系の人々についての第一次大戦以後の悲劇というもの。オスマン帝国からの分離後のこととして、独立を阻んだイギリス、第二次大戦後の紛争のもととしてイスラエルが悪役として登場する。ダマスカス在住のユダヤ人、バグダットから避難してきたというイラク人も出てくるが、パレスティナ難民とゴラン高原の紛争に巻き込まれたシリア人が中心となる。

 彼らはいずれも悲劇の人々という話だが、単純に悲惨とか復讐とかいうのでなく、パレスティナ国籍にこだわる人、ヨルダン軍として戦った人、家族が分断されながらも懸命に生きる人とそれなりに多様。イスラエルが一方的に悪役と言えなくはないが、この多様さでかろうじてバランスが取れていたように思う。

 ここ数年のシリアやレバノンの問題など、イスラエルvsパレスティナ以外あまりニュースにならないことを考えれば、希少性のある特集ということもできるか。本シリーズを通しての傾向であるが、特定個人に寄ったミクロな構成は人臭くて面白いと思うが、情報不足な地域と考えるとミクロに過ぎていて自分はあまり評価していない。

 細かい点をひとつあげると、第一次大戦後の問題としてイギリスの名前が再三にわたって悪役として登場した。それに対してイスラエル、イラク問題と関わりの深いアメリカの名前が、ほとんど(まったく?)出てこなかったのにはバランスを欠くように感じた。

 また、これまで本シリーズについて再三言ってきたようにシルクロードという言葉は、今日の放送についてもこれといってまともな意味を持ち得ていない。その点は予想どうりなのでこれ以上コメントしない。

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2007年9月29日

西夏遺跡ほか

 久しぶりに西夏語の勉強会があった。仕事の忙しさと夏の暑さを理由にHPの更新もしばらくさぼったままなので、少し新鮮な時間だった。実りの秋到来とともに、少しはエネルギーを回さねばと思ってはいるのだが。


月刊言語 10月号
ISSN 0287-1696
大修館書店 2007.10

 荒川さんから頂戴した一冊。詳しくはリンク先を参照を、10月号の特集は東アジアの文字文化。わりと面白そうな小論が並んでいるので、近々か纏めて読む予定。

 

漢蔵合璧西夏「黒水橋碑」再考
 佐藤貴保・赤木崇敏・坂尻彰宏・呉正科著

 佐藤さんより頂戴した「内陸アジア言語の研究 XXII」掲載論文の抜き刷り。3月の中央アジア学フォーラムでの発表を纏めたもの。貴重な西夏関係論文。


20世紀中国文物考古発現与研究叢書
西夏遺跡
牛達生著
ISBN978-7-5010-2004-1
文物出版社 2007.1

 東方書店のリストを見て取り寄せた一冊。表題のとおり西夏関係の遺跡などをジャンル別に紹介したもの。網羅性は判断できないがわりと広めのようだ。下記の9章よりなる。巻頭のカラー写真は8点と少ないが、本文中に34点の図版が挿入されている。

1 概述
2 西夏碑刻
3 西夏陵墓
4 西夏城址及遺址
5 西夏窰址和窖蔵
6 西夏銭幣、官印和符牌
7 西夏寺廟和古塔
8 西夏石窟
9 西夏文書

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2007年9月27日

(書評)武田信玄と勝頼

岩波新書 1065
武田信玄と勝頼
---文書にみる戦国大名の実像
鴨川達夫 著
ISBN978-4-00-431065-5
岩波書店 2007.3

 武田信玄と勝頼が発給してた文書より、彼らの実像を探ろうという一冊。タイトル的にはそういう本だが、全5章の内最初の3章が主に信玄が発給した文書を基に、戦国時代に武将が発給した文書の形式や読み取り方を解説したもので、戦国時代文書入門といったもの。後半2章がその内容から何が読み取れるのかというもので、4章が信玄の人となりを読み解くもので、5章がより政治的な歴史解釈として当時の信玄、勝頼を巡る情勢について、文書から何を言うことが出来るのかというもの。

 文書入門の部分では実際の書面が複数紹介されていて、どういう紙に書かれ、どの様に書かれているか、さらに真贋の見分け方や書かれた年の推定なども解説している。ついで文面をどう解釈するのか、相手の身分などによってどう書き分けていたのか、花押や印判をどう使い分けていたのかなどに触れている。この中には実際の信玄発給とされる文書が取り上げているが、たんなる解説に留まらず著者による解釈の見直しが複数盛り込まれている。

 4章では、信玄が自ら書いたと思われる文書を取り上げて、右筆を介さずに自筆で発給することの意味、彼の性格や人間関係、中でも春日虎綱を巡る三角関係に関わる文書などが紹介、解説されている。5章は、駿河攻め、遠江、三河攻め、勝頼による継承に関係する文書の紹介とその解釈になっている。とくに5章における解釈は、従来言われているような老獪な軍略家たる信玄による必然的な駿河併合と西上戦のようなイメージとは180度近く異なるもの。少なくともある程度はそう言えそうに思える説得力があり、とくに西上戦と言われてきたものが過大評価だったというあたりはとても興味深くかつ説得力がある。


 本書は、半分以上が文書とはどういうものかという解説であって、実際に信玄を巡る政治的な問題を大きく取り上げているのは5章のみ。その点で戦国大名の実像に迫るというには量的に物足りない。とはいえ、当時の文書の解釈に立ち入って歴史を見直すという世界に立ち入っていない自分には、前半の部分だけでも十分に面白く踏み入ったら面白そうと思わせる内容である。

 後半部分の内容の不足については、筆者も自覚していてなおかつ意欲が見られること。さらに、このように基礎資料を丹念に検討した上での冷静とも大胆とも取れる解釈にはとても興味深いものがあり、筆者の次回作を大いに期待しておきたい。

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2007年9月24日

(書評)世界の小国

講談社選書メチエ 397
世界の小国
ミニ国家の生き残り戦略
田中義晧 著
ISBN978-4-06-258397-8
講談社 2007.9

 本書は、人口100万人未満の44の独立国をミニ国家と定義し、それらの国々の成り立ちや現状を様々な角度から分析、解説したもの。生き残り戦略という副題のとおりミニ国家がどのようにして生き残ってきたのかというのは重要なテーマではあるが、全ての国がそこそこ上手く行っているというわけではないので、主体的に生き残りをかけてきたというよりは、結果的に生き残ってきたという現状分析が中心となる。日常的に報道される頻度が低い、あるいは皆無である国々のことなので、現状分析だけで十分に興味深い内容である。

 44の国は、アジア6ヶ国、オセアニア11ヶ国、アフリカ6ヶ国、ヨーロッパ10ヶ国、中南米11ヶ国よりなる。一人当たりGNI(国民総所得)6.6万ドルのルクセンブルクから390ドルのサントメ・プリンシペ、四国より大きいガイアナから1平方キロに満たないバチカン、人口98万人の東ティモールから822人のバチカンとその様相は多様である。したがって本書は、代表例の紹介という形はとっているが、極端に類型化しようというものではなく、総論もあるものの結果的に各論が中心となっている。

 ただ、当然ながら面積が小さいから人口も少ないので、島国、本書でいうところの小島嶼国家はひとつの典型であって、44の半数以上を占めている。その意味で小島嶼国家は、本書の中では重要なキーワドとなっている。オセアニアと中南米の大半がこの小島嶼国家に該当し、小さな島国であるが故の共通した問題があり、太平洋上に散在する国とカリブ海周辺に列島を作る国という地勢上の違いがあるといった点が解説されている。

 具体的な内容としては、各国誕生の歴史から近年ミニ国家が増えた経過、それぞれの経済、政治の状況、さらには国際捕鯨委員会における小国の役割、グローバルゼーションとタックス・ヘイブンといった話題が登場する。小国の典型的な武器だったタックス・ヘイブンに対して、脱税やマネーロンダリングの温床だとして大国から圧力がかかる一方、グローバスゼーションの中で小国が持てる当然の手段のひとつであるといった反論は、この様な話題に疎い自分には目から鱗だった。


 内容は盛り沢山であるが、44ヶ国全てを同等に紹介してわけではなく、テーマによっては典型的な国をあげているだけ。また地域別の紹介などは大半の国が紹介されているが、それでも網羅しているわけではない。また、統計上の数字を多く羅列比較したものでもない。これらの点で本書は専門書というのではなく、メチエシリーズの規格に合った一般向けの概説書である。盛り沢山な分底が浅いのは仕方がない。文章的にも難しい言葉が少なくメチエの中でも読み易い一冊と思う。

 自分的に本書の一番の面白さは、ミニ国家の現状を通して見る世界という観点。大国に翻弄される、小国の利点を武器に大国を翻弄する、様々な利害に巻き込まれる、また時にはイニシアティブを取るなどなど、その過程、結果は決して小さいものではなくてかなり多様だ。世界にはいろんな国があるものだと、それぞれの国の話だけでも面白いのだが、普段読む機会の少ないジャンルの本として、違った観点で世界を見つめてみるという点でも十分に興味深い一冊だった。

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2007年9月23日

周山城

 9月も下旬となり、ようやく涼しくなってきたので、趣味と運動不足解消を兼ねて山城巡りに出かけた。山を歩くのは、6月に愛宕神社に登って以来3ヶ月ぶり。今秋の山城歩き最初の城は、かねてから期待していた周山城。学研歴史群像シリーズ俊英 明智光秀によれば、明智光秀と本能寺の変後の豊臣秀吉が関係していたと考えられる資料が、断片的に残るだけの謎だらけの城であるらしい。また、同書では周山城を俯瞰したイラスト入りで解説しているが、その中に

東西が総延長850メートル、南北が600メートルの規模に及ぶ、京都府域有数の大規模山城(34頁)
とあり、この言葉と総石垣の山城として復元されたイラストに触発された次第。

 周山城のある旧京北町は、数年前に合併して京都市右京区の一部になった。山麓の周山町までは、京都駅から出るJRバスで1時間40分かかる。京北といえばなによりも北山杉のイメージだが、その本場に踏み込むのも初めて。沿道はもとより山城周辺に到るまで杉の植林地で覆われていて、バスの窓から杉天然出絞丸太、いわゆる天絞と思われる丸太を天日干ししているのも見かけた。

 周山城の登城口は、JRバスの終点から歩いて5分ほどの所にあり案内もある。周山城の本丸と山麓とは250m近い標高差がある。ひと夏怠けていた身体で登れるものかと心配していたが、登城口から本丸まで、途中の郭を見て回りながら1時間ほどでたどり着けた。要所に案内があり、思いのほか動いた足に一安心。学研の解説には、城の西にはかなり大きな規模の陣城(戦いのために一時的に利用された城)があるとのことで、それも含めて見て歩くのには4時間ほどかかった。



 これは、本丸の写真。本丸周辺の案内図が置いてあり、本丸の東の郭が二の丸、西が小姓丸、南が馬屋ノ丸と鷹屋ノ丸と書かれている。正面の盛り上がっている部分は、天守閣の基礎と言われている。随分と広いように思うのだが、時期を考えれば天守閣があったとしてもせいぜい三層程度のもどだろうと思うのだが、はたしてどうだったろう。


 二ノ丸から本丸方向を見た写真。総石垣と言われるだけあって、いたるところ大きな石がごろごろしている。ただ、本丸と二ノ丸は破壊が大きく、壮大さが想像されるばかりで原型を留めている所は僅かにすぎない。破壊の程度に東西で大きな差があることから、廃城後に意図的に破壊したものと想像している。


 こちらが、本丸から西へ伸びる小姓丸の北側の石垣。石垣を破壊する際に真っ先に壊すとも言われる角の部分も奇麗に残っている。西側の尾根上には、数段にわたって郭が築かれていて、北側と西側の石垣が良く残っている。高い所で10m近い高さが残るところもあるほか、本丸から順に下ってくる石段も確認できる。

 南側に続く尾根上も、西側ほどではないが石垣が残っていて、門の下にあったと思われる石段も見止めることができる。


 上に書いたように、城の西には陣城跡と想定される場所がある。本城と陣城との間の尾根には、深い堀切が今も明瞭に残っている。これは東側の堀切。


 陣城跡は、地形が周山城の本丸周辺よりもなだらかなことから、かなり広い削平地を確認することができる。作りはそれほど複雑ではないが、土塁や虎口などを確認できる。写真は陣城の真ん中にのこる土塁。


 一回り歩き回ってみて解説どおりに大きな山城だったというのが実感。今に残る石垣は積みが粗く見えるものの、本丸周辺については、総石垣だったというのが実感できる程度の残り具合である。400年の時間を経て石垣の残り具合は良い部類で、当時の緊張感が伝わってくるような城である。

 これだけの山城が記録にほとんど残っていないこと自体が謎と思える。明智光秀縁ということで、残さなかったということだろうか。周山町は、かつて篠山藩の代官所や北桑田郡役所が置かれた場所で、明智光秀が北桑田郡の押さえの城として整備したという説には違和感がない。その意味では、必ずしも不相応に大規模とも思わない。

 むしろより謎なのは陣城のほうだろう。地形的に東南側の方が険しく、堀切から登って行く道はかなり急になっている。本城が険しい斜面に囲まれていることを考えると、陣城の西斜面は無防備に近い。二本の堀切を挟んで周山城と対するためのものと考えるのが自然である。そうすると一番ありそうなシナリオは、光秀敗死後に城に立て籠った光秀残党軍対秀吉軍というものだが、果たして如何なものか・・・


周山城周辺図 「この地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図(殿田、周山)を基に作成しています。」

 本丸から北へのびる二本の尾根について、学研のイラストにはこの尾根上にも郭が書き込まれていて、恐らくあるだろうと予想しているが、未踏破のため確認していない。


周山城周辺(Google Map)

<参考>
俊英 明智光秀(学研)

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2007年9月22日

(書評)植物の生存戦略

朝日選書 821
植物の生存戦略
「じっとしているという知恵」に学ぶ
「植物の軸と情報」特定領域研究班 編
ISBN978-4-02-259921-6
朝日新聞社 2007.5

 本書は、文部科学省科学研究費補助事業の特定領域研究の中のひとつ、植物の軸と情報について研究班が、研究の成果について一般に発信することを目的に纏めたもの。あとがきによれば、研究者自らの執筆ではなくてサイエンスライターが取材執筆したものを各研究者が監修校正したものであるようだ。

 10の研究テーマは下記目次のとおりだが、各章単位に書かれたもので全体としては必ずしも脈絡があるわけではない。これらのテーマは、新しい発見というものでなく高校生物レベルで教科書に載っているような植物の機能について、実際にそれが具体的にどのような仕組みで成り立っているのかを、細胞、遺伝、分子というレベルで解明して行くというもの。

 例えば、5章の受精のメカニズム。花粉が雌しべについて花粉管を延ばして受精するという仕組みは、高校生物で習ったとおりだが、その仕組みはこれまで断片的な状況証拠の集合として推測されていたにすぎなかったとのこと。本書では、実際にその一連の流れを動画として観察することに初めて成功したのだという。また、単に観察したに留まらずその過程を何が動かし制御しているのかということにも踏み込んでいる。

 このように、入り口はごく普通に高校生物レベルでその意味で懐かしい内容で、そこから入っていく先はかなり最先端の話というもの。この平凡な入り口と奥行きの深さが本書の面白さのひとつと思う。その意味でも大変楽しく読むことができた。タイトルだけ見ると、植物は何故動かないのかというようなやや哲学じみた内容も想像できるが、本書は極めて具体的な一般向け研究報告であって、科学雑誌の特集記事の集合体といってもよいような内容である。


 本書は、一般読者を強く意識して分かり易く、平易なものになっている。書き方も仮説を順に検証して行くというものでなく、どちらかというと研究の流れを追って行くという形に近い。専門用語は出てくるが多用されるわけでもなく、説明もされているのでそれほど問題にはならない。とくに突っ掛かることもなく楽しく読むことが出来た。

 研究の性質上内容は現在進行形的な新しい話であって、話題によってはまだ結論が出るまえの生情報という趣き。こんな研究をしているのかという面白さが先に立つが、もう少し結論に近い話が聞きたいという不満は残る。どちらかというと、生物系を志す中高生が一番の読者と思う。また、特定領域研究絡みで一般読者を強く意識した本を出した姿勢は強く支持したい。ただ、HPの更新がされてないのはちょっと気になる。


目次

1章 植物と動物 どこが違うのか
  田坂昌生
2章 葉の形を決めるもの
  塚谷裕一
3章 花を咲かせる仕組み 「花成ホルモン」フロリゲンの探索
  荒木崇
4章 遺伝子の働きによる花の形づくり
  平野博之
5章 受精のメカニズムをとらえた!
  東山哲也
6章 根 植物の隠れた半分
  深城英弘
7章 根における共生のいとなみ
  川口正代司
8章 4億年の歴史をもつ維管束
  福田裕穂
9章 成長をつづけるためのしたたかな戦略 頂芽優勢
  森仁志
10章 「第2の緑の革命」に向けて
  芦苅基行

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2007年9月17日

(書評)古代メソアメリカ文明

講談社選書メチエ 393
古代メソアメリカ文明
青山和夫 著
ISBN978-4-06-258393-0
講談社 2007.8

 7月に放映されたNHKスペシャル失われた文明 インカ・マヤ 第3集に触発されて、最新の中米モノを読んでみた。メソアメリカとは、中央アメリカの一部を指す地理的な概念で、本書では、

 メキシコ北部から中央アメリカ北部(グアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラスの西半分)にかけての100万平方キロメートルほどをその範囲とする。(10頁)
と定義している。

 本書は、このメソアメリカの歴史について、先スペイン期と区分される16世紀のスペイン征服以前の時代の歴史を扱ったもの。時代と地域の違いから6つの章を設定し、それぞれについて代表的な遺跡や遺物を紹介しながら歴史の流れを追う構成になっている。著者の専門および資料の制約から考古学的な情報が中心であるが、一部に碑文資料を使って王様の名前とその物語が出てくる話が含まれている。

 読後の印象として、基礎的な情報をきちっと扱うことを中心とした通史的入門書で、簡潔で読み易い本だったと思う。著者自身も入門書と明示している。農作物の話から多くの遺跡、マヤ文字、歴史解釈上の問題までと深さには限度があるもののメソアメリカ古代史という設定の中では広がりがあり、多様で読んでいて大変面白い。


 今までのところは自分のメソアメリカ古代史に対する認識は、高校世界史レベルにその後ランダムに加わった情報が散りばめられていた状態で、あまり体系建てられていないといったところだった。本書では、それがらがそれなりに整理されたうえに押さえておくべき地名や文化名が大幅に増強された。それだけでも十分に有用な入門書だったと思える。

 また、興味を惹かれた点でいうと、文字資料が圧倒的に不足していても遺跡資料を丁寧に組み立てて行くことで少なくとも本書のレベル以上に体系建てられるということ、それでも文字資料の不足という点では王朝史的な物語が欠けることは如何ともし難いこと、それでも多少なりともアンデス文明には無い文字を持っていたことで考古学との成果と合わせることでの歴史の復元が可能であること、というあたり自分なりに面白く読み解くことが出来た。

 今後ということでいうと、自分的にはあまり深入りする余裕はないのだが、あまり知らない世界のこと機会があったらまた関連書を読んでみたい。印象として概説書は他地域に比べてやはり圧倒的に少ないように思うが、南北アメリカ広くを見渡して面白い本が更に出てくることを期待したい。

 また、南北アメリカともまだ行ったことがない大陸で、マチュピチュなどいつかは行ってみた場所ではある。メソアメリカといえば、チチェン・イツア、テオティワカンくらいしか知らなかったが、面白そうな遺跡がメソアメリカ各地にあることを知ってしまった。さてどうしたものか。


 本書内には、ピラミットをなどを含む石造の都市遺跡が多く紹介されているが、以下にGoogle Mapで見ても面白そうな遺跡をいくつか紹介してみる。

モンテ・アルバン
 メキシコ南部、オアハカ盆地にあるメソアメリカ最古という都市遺跡

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テオティワカン
 メキシコ中央高地の代表的古代都市遺跡、中央が太陽のピラミッド

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チョルーラ
 メキシコ中央高地東部、テオティワカンと同時代の都市遺跡、遺跡の上に教会が建つ

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ショチカルコ
 トルテカ時代、モレーロス盆地の要塞都市遺跡

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エル・タヒン
 トルテカと同時代のメキシコ東部の都市遺跡、「壁龕のプラミッド」で知られる

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2007年9月16日

長篠城

 先週の夏休み中、10日は朝から長篠城へ出かけた。最寄りの長篠城駅へは、飯田線の電車で湯谷温泉駅から15分、豊橋からだと1時間ほど。長篠城は、豊橋から電車で豊川沿いを登って行くと平野が尽きて山地に入る場所で、豊川に湯谷温泉の方から流れてくる宇連川が合流する場所にある。東三河の要地だったこの城は、戦国時代に三河の徳川と甲斐の武田の勢力の間にあって、壮絶な争奪の場となったのは知られているとおり。


(写真をクリックすると拡大した写真が開きます)
 城の二面は二つの川が作る深い谷がそのまま堀になっていて守りは固そうだが、武田軍が攻めた北側の平地はさほど広くなく、しかも近くに山が迫っている。実際に武田軍が陣を置いたとされる山々で、けして広く無い城地をいくら深い堀で囲ったところで、見下ろされる山がごく近くにあるというのは守り難いものだったと想像する。


 写真は、今も残る本丸を囲った堀と土塁の跡。430年の時を経てなお立派に残る堀と土塁だが、それでも良く落城しなかったと考えるか、それだけ攻城戦が大変だと考えるべきか。二の丸には長篠城址史跡保存館がある。


 こちらは、城の北1kmのところにある医王寺の裏山にある陣城の跡。資料には武田勝頼が陣を置いたところとあり、3つの郭からなる立派な縄張りが今も残っている。写真左端に写っているのは復元された櫓。地図を見ると長篠城とは70m程の標高差があり、当時は城内の様子が良く見えたのではないかと思うが、今は木々が茂っていて見通しは効かない。


(写真をクリックすると案内板の拡大写真が開きます)
 こちらは、医王寺の陣城よりも長篠城に近い天神山。今は、三河の守護だった一色氏縁の神社になっている。案内板によれば、武田が攻めた際は真田信綱や土屋昌次が陣を置いたとのこと。


 保存館で購入した地図によれば、長篠城周辺から設楽原の戦場跡にかけて、各武将が陣を置いたとされる場所や多くの武将に関わる墓や碑があるとのこと。長篠城跡を見て回った後、半日をかけて時間が許す限り見て回る予定でいたのだが、時間が経つにつれて雲行きが怪しくなり小雨をついて設楽原歴史資料館へ逃げ込んだ後大雨となってしまった。


 これは唯一回ることができた、長篠城跡近くにある馬場信房の殿戦忠死之碑。右の細いのが墓とされる。「殿戦忠死」とは、武田軍が設楽原から撤退する際に信房が最後尾を守って討ち死にを遂げたことに因む。実際に信房最期の地はここではなく、豊川を少し上流へ行った所であるという。

 設楽原を見て回れなかったのは少し心残り。長篠城の南の対岸から設楽原の北にかけては第二東名高速道路の通過予定地になっていて、数年後には工事が始まると思われる。古戦場の東に新城インターができ、織田信長の本陣跡とされる茶臼山の北を回って山の西にはパーキングエリアができるとのこと。長篠城跡と古戦場の中心を苦心して避けた線形のようにも見えるものの、工事が始まれば雰囲気が大きく変わると思われる。

 湯谷温泉の適度に鄙びた雰囲気も良かったので、古戦場を再度回ることを含めて、工事が始まるまでに最訪を考えねばなるまい。


長篠城跡

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医王寺武田勝頼陣城跡天神山陣地跡馬場信房殿戦忠死之碑(Google Map)


<収集資料>

ガイド
長篠の戦い
戦いの概要と見学案内
 長篠城址史跡保存館

 

東三河の史跡めぐり
---戦国時代・長篠 設楽原の戦い---
 鈴木健 著

 

設楽原歴史資料館 研究紀要 第7号
  陣城はあったか---設楽原からの報告---
    設楽原陣城研究会
  設楽原レポート
   長篠・設楽原の戦い 松山越の踏査
    熊谷昇吾
  設楽原報告
   設楽原の検証---七つの疑問と七つの謎
    小林芳春
  ルックイン設楽原歴史資料館
 新城市設楽原歴史資料館

長篠の戦い史跡案内図
 鳳来町立長篠城址史跡保存館

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2007年9月11日

湯谷温泉と古戦場

 台風一過、暑さも少し和らぎすっかり秋空なのだが、残っていた夏休みを取って湯谷温泉まで行ってきた。湯谷は、愛知県東部、豊橋から飯田線で1時間山の中に入った所にある。温泉とはいえ色や臭いのあまり無い塩化物泉で、温度が低くて加温しているので、湯にこだわる人には物足りないかもしれない。

 ただ、関西や東海に多い大温泉地やリゾートホテルとかでない山奥の静かな温泉地、それでいて電車でのんびり行けるところで良さげな宿があるところ。加えて近くに歴史的に見て歩くモノがあるところ、という過剰なる条件にあてはまる場所。


 豊川の支流宇連川の谷間に緑に包まれてひっそりとある温泉という風情だが、連日の雨で濁流が轟々と流れている状況。川の音が聞こえるというのはかなり好みなのだが、眠れないほどではなかったがちょっとした騒音だった。


 湯谷温泉から飯田線で3駅目、長篠城駅から歩いて10分ほどの所にある長篠城跡。写真は正面が長篠城跡で、左から流れる豊川に右から宇連川が合流する崖の上になる。

 長篠城といえば武田と織田徳川連合軍との戦い。今年の大河ドラマは、主役の山本勘助がそれよりもだいぶ前に亡くなるので関係ないが。


 長篠城跡から直線で3、4km離れた設楽ヶ原の古戦場。織田徳川連合軍が堀代わりに利用したという連吾川の今の流れ。左の森が連合軍が陣を置いたという弾正山、右には武田軍の内藤昌豊陣を置いたという天王山がある。山と呼ばれているがどちらも比高20、30mの丘陵で、その間が連吾川の流れる谷間になっている。


 古戦場周辺には、戦いに因む石碑があちこちに立てられているようで、時間の許す限りそれらを見て回る予定だったが、残念ながら途中で雨に降られてしまい、復元された馬防柵の写真を撮って引き上げた。飯田線三河東郷駅の南には、山本勘助の次男信供のものと言い伝えられた墓もあるとのこと。

 長篠城周辺は、あらためてもう少し詳細に報告する予定。


湯谷温泉

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連吾川(国土地理院)

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2007年9月 9日

(書評)生物と無生物のあいだ

講談社現代新書 1891
生物と無生物のあいだ
福岡伸一 著
ISBN:978-4-06-149891-4
講談社 2007.5


 本書は、生物とは何かというテーマを細胞生物学の研究史から解き明かそうとするエッセイである。専門家が書く理系らしい本だろうと予想して中はあまり見ずに買ったので、この“エッセイ”という点が意外だった。自分が読んだ講談社現代新書シリーズの自然科学系の中では極めて異色な一冊だった。

 書き下ろしではなく、講談社の月刊情報誌に一昨年から今年にかけて連載されたものを纏めたもの。筆者は現役の分子生物学者だそうだが、単に科学者が書いたエッセイというだけなら珍しくないが、ここまで文学性の強い文章は珍しいと思う。情景表現など大仰でも取って付けたようでもなく普通に小説のようだが、唐突に専門用語がちりばめられていて、主筋はあくまで生物学研究の進展についてであって、リアリティーはそれなりにある。

 内容としてはタイトルのとおりではあるが、これはやや文学的なタイトルでもう少し具体的には、「生物は無生物とは何が違うのか」といったところ。自己複製動的平衡が二つの柱となっている。前半がDNAとその二重螺旋の発見を巡る研究史そのものの物語で、後半はタンパク質を巡る研究から、筆者が関わった細胞内にある小胞体表面のタンパク質研究を巡る物語へと遷る。タンパク質の話でどう「動的平衡」なのかと振り返ると不自然に見えるが、その上でなにがどう平衡なのかという点はそれなりに語られていて、読んでいる最中ではさほど違和感は感じなかった。


 生物と無生物の違いということは、既に多くの人が語ってきたことであって目新しいものではない。その中でも自己複製という観点は珍しくないが、動的平衡という観点をこのテーマに持ち込んだことは自分的には新鮮だった。この点で著者の主張はっきりしているのだが、エッセイである分周りの物語が面白く中心がややぼやけてしまうのは仕方が無い。また、科学的な裏付けが必ずしも示されてはおらず、筆者の主張や判断が軽卒でないかどうかの判断は本書だけでは無理で、その意味でこの本だけではなにも結論が出ていないとも言える。参考文献の案内がないので読者の発展性という点でも難が残る。

 分子生物学あるいは細胞生物学の本としては、極めて読み易くまた十分に面白い内容であり、この分野の最初の一冊、あるいは軽く触れてみる一冊としては面白いと思う。自分的には、最後の方に出てくる特定の遺伝子の機能を欠落させたマウスの実験が、なぜうまくいかなかったのかというところが結論を含めかなり面白かった。ただ、その実験の主題であったタンパク質の役割が解明されたのかどうか語られておらず、本の主題とは必ずしも関係ないとはいえ最後まで語ってほしかった。


目次
第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダークサイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム
第13章 膜にかたちを与えるもの
第14章 数・タイミング・ノックアウト
第15章 時間という名の解けない折り紙

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2007年9月 6日

(書評)ティムール帝国支配層の研究

ティムール帝国支配層の研究
川口琢司 著
ISBN978-4-8329-6676-5
北海道大学出版会 2007.4

 予想以上に重厚な論文集で読破するのに大分エネルギーを使った。本書は、通史的なものではなく特定のテーマを設けて深く掘り下げる方向にあり、その中心はペルシャ語で書かれたティムール朝の宮廷年代記の分析にある。ここが本書の魅力のひとつでもある。

 序文によれば、本書が対象とした年代記は以下の5つとのこと。

 タージュッサルマーニーの『美の太陽』
 イスカンダルの無名氏の史書
 『ムイーン史選』
 ハーフェズ・アブルーの『歴史集成』
 シャラフッディーン・アリー・ヤズディーの史書

 これらは宮廷年代記とあるとおり比較的同時代に近い時代に纏められた歴史書である。例えば「イスカンダルの無名氏の史書」。著者不明だが、ティムールの孫イスカンダルに献上されたものとのこと。ティムールの孫といっても非主流のイスカンダルの名前を見てもピンとこない。彼は、ティムール朝3代目の王シャールフに反乱を起こして破れたが、この年代記はその彼を称揚する内容になっているという。

 本書には、この他にも「ヤズディーの史書」の一部をなすものと考えられているヤズディーの『勝利の書』、ヤズディーに先行するニザームッディーン・シャーミーの『勝利の書』、チンギス家とティムール家の系図集という『ムイッズルアンサーブ』も度々登場し、原文の雰囲気を残す訳が多く引用されている。


 そんな本書の扱う範囲は、第2章がティムール朝のほぼ全体を対象としている他は、ティムールからシャールフにかけての時代が中心になっている。しかし、テーマ設定的に時代順に追っていく形ではなく、各章のテーマや扱う年代記が中心にあり、その点で年代的にはかなり重複している。

 また、テーマの結果として多くの脇役に光を当てるようになっている。ティムール以下の歴代の王以外では、上にあげたイスカンダル、ティムールによって後継者に指名されたというムハンマド・スルターンとピール・ムハンマド、またシャールフに仕えたアミールの代表格としてのシャーマリクなどが登場する。自分にとってあまり馴染みのない、あるいは忘れてしまった名前ばかりで、この時代についてのイメージを作りなおす上でかなり有効な内容と思う。


 興味深かった部分を思い返してみるとなかなか魅力的な一書だったと思うのだが、ティムール朝を扱った専門書を読むのは久しぶりで、イメージがだいぶぼやけてしまった状況で読むのはかなり厳しくもあった。本書は個々のテーマが深く更に重複してもいるので、時代の流れはその分解り難くくもなる。

 ひとつ気になる点をあげると、本書は宮廷年代記を対象としているが、歴史書として同時代性が高いように見えるとはいえ、編纂資料であってその意味で二次資料である。著者はその点十分に承知の上と思うのだが、年代記の比較だけで断定的に書かれている部分が気になる。年代記の魅力は十分に伝わってくるのだが、この時代の一次資料というのはどうなっているのだろう。

 ただ、本書で利用されている内容もこれら年代記の一部にすぎず、その点でティムール朝の研究はまだこれからということのようだ。その意味では、これから研究がどの様に進展して次にどんな内容の本がでてくるか楽しみに待ちたいと思う。


 目次はについてはこちらを参照

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2007年9月 2日

1990年中国紀行 <トルファン>

 敦煌から列車で一晩、早朝にトルファンの駅に着くが、盆地の縁にある駅から底に近い市街地までは、さらにマイクロバスで1時間近くかかる。一番低い所で海面下150mを下るという盆地で、トルファンは中国一低い所にある街という代名詞を見ることもあるが、市街地の標高はわずかに海面より上である。

 トルキスタン東部にあって区都ウルムチからでもバスで3時間ほどと、中央アジアを感じさせる街としては一番訪れ易い。紀元前から中国の歴史にも登場するという長い歴史を持ち、遺跡、現役を含めて見所の豊かさは今更ここで書き立てることではないかもしれない。


 数ある見所の中でも一番好きなのがこの交河故城。高さ数十メートルの河岸段丘を掘り込んで作られた城塞都市の跡。市街地の西10kmほどの所にあり、自転車でのんびりと散策しながら出かけられるのが良い。遺跡の通りを歩きながら、且つてここを歴史上の有名人が幾人も行き来したと想像すると実に楽しい。



 街の東40kmほどの場所に土の城壁が残るのが高昌故城。玄奘三蔵が逗留した街として知られるように、唐以前からモンゴルの時代まではここがトルファン盆地の中心だったという。17年前のこの時すでに建物の復元が始まってはいたが、広い城内は子供が羊を追うのどかな場所だった。今はどうなっているだろう。



 高昌故城の北10kmほどの谷間にあるのがベゼクリク千仏洞。敦煌より西に残る仏教遺跡としては一番の規模というが、莫高窟を見た後なのでほとんど印象に残っていない。



 トルファン市街の東南にあるモスクに建つミナレット、清朝時代のものとされ蘇公塔と呼ばれている。街中から歩いていける場所にあり、沿道の家々や元気な子供たちを見ながらの散策が楽しかった。

 安物のカメラで大した腕が無くても、奇麗な青い空が映える写真が残せるあたりトルファンらしいと思う。


 →Google Map トルファン市街交河故城高昌故城ベゼクリク千仏洞蘇公塔(ベゼクリク千仏洞と蘇公塔は、画面中央付近と思われるが正確な位置は特定できず)

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