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2007年10月29日

新 シルクロード 第6集

 第6集は、“希望”の門 トルコとクルド・2つの思い。今年のシリーズの中では一番できが良いかなと思う。内容は、トルコ東部でのクルド人独立問題についてのもの。イスタンブール、アンカラ、ディヤルバクル、トルコ・イラク国境と回りながらクルド人とトルコ人にインタビューしている。

 第一次大戦後のトルコ独立をめぐる問題、クルド人ゲリラの活動が10年以上続いていること、イラク戦争後ゲリラの活動が活発化していること、今まさにトルコ軍の越境攻撃が問題になっていることなど、説明しておくべき背景も押えられていたように思う。

 ただ、シルクロードであるからと旅情を出すためにトルコを横断しているように見せたり、直接関係のない遺跡を見せたりするような部分には多少無理がある。純粋にクルド人問題を主題とした特集として作った方が、中身のあるものになったのに・・・とどうしても思ってしまう。

 その上で、トルコ軍の越境攻撃についてのトルコとアメリカのやりとり、そもそもクルド人が何者なのか歴史的なことも含めて詳細に解説するなど、するべきことはあったように思う。

 また、イスタンブールでのクルド人の活動、ディヤルバクル郊外でのクルド人とトルコ軍とのやりとりは、映像そのままに受け取っていいのかどうか微妙に疑問が残るところでもある。


<参考>
イスタンブール(アヤソフィア)、アンカラ乙女の城(クズカレスィ)、ディヤルバクルトルコ・イラク国境(Google Map)

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2007年10月28日

(書評)大清帝国と中華の混迷

興亡の世界史17
大清帝国と中華の混迷
平野聡 著
ISBN978-4-06-280717-3
講談社 2007.10

 私はまだ未読なのだが、清帝国とチベット問題(名古屋大学出版会)を世に出した著者が、どういう内容で清朝史を纏めるのかとても楽しみにしていた。先に感想を一言書けば、期待以上に面白い一冊だった。

 本書の集録範囲は、前史としての第1章にはじまり、第2章で清朝の勃興を説き、終章が辛亥革命で終わり時代的にはちょうど清朝史全般となっている。しかし上記リンク先にある目次で予想されるかとも思うが、型通りに清の歴史を順に追っていったという内容ではない。

 なによりも本書は、今日の中国にとって清朝がどういう意味があるのかという視点を重視し、歴史がどう流れたかよりも、その流れにどういう意味があり、後の中国にどう繋がっていくのか説くことに力点が置かれている。その点で一般的な通史ものとは異なる。紹介される人物は少なく、歴代の皇帝がどういう人物かなどはほとんど解説されず、太平天国は出てきても洪秀全は出てこない。また戦史も必要最小限しか語られず、サルフの戦いや三藩の乱など経過には触れずに政治史的な意味のみ解説されている。

 もうひとつ重要な点として、清朝が興隆していく中での内陸アジア、より具体的な意味でのチベットとモンゴルの重要性を説く。この点は既に先人によって説かれてきた観点ではあるが、本書ではチベットとチベット仏教により重心が置かれている。

 もう少し本書の特徴を列挙しておく。まず、導入としての序章に力が入っていて、序章と第1章、清朝史に入るまでに100ページ近くを費やしていること。また、清朝史といえば康熙帝と乾隆帝を中心に説くというのが一般的かとも思うが、著者は本書の意味において康煕帝ではなく雍正帝に焦点をあてている。また乾隆帝についても、政治的な役割以上に後に及ぼした思想的な意味を重視している。


 このように、本書は歴史上の事象の解説よりも、その意味をどう読み解くかに力点が置かれている。その意味で著者の考え方がかなり前面に出ている一冊と見れるのではないか。面白い本であるからこそ、今後内容の正否は都度に判断されていくことになるのだろう。また、清朝300年の歴史を250ページに濃縮しているので、単純化、簡略化があると考えなくてはならず、興味が向く分にはより深い内容を求める必要がある。その意味でも遠からず清帝国とチベット問題は読んでみようと思う。

 自分としては最初に書いたとおりとても面白い内容であって、途中であまり引っかかることなく読み終えた。中国史をどう見るかという観点は、自分にはかなり肯定できるものであって、論考にそれほど飛躍があったという印象はない。また、清朝史ではあるが、本書の語る日本の位置づけも面白い。

 本書は入門書という位置づけにはなく、清朝史をより深めるには本書のみでは完結しないし、本書のみを鵜呑みにすることには慎重であるべきとも思う。従来の内陸アジア史論や清朝史の予備知識がなくて楽しく読めるかどうかは判断がつかない。

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2007年10月27日

(書評)古代史おさらい帖

古代史おさらい帖
考古学・古代学課題ノート
森浩一 著
ISBN978-4-480-85787-3
筑摩書房 2007.10

 日本の古代史について数々の著作を残してきた著者が、これまでの研究の総括と考古学、文献学の双方から古代史の入門書を目して書き起こした一冊。入門書というよりは、筆者の観点によって古代史について押えておくべきポイントを纏めたもの。

 下に転載した目次のように3章、11節よりなる。自分的にはいまだに筆者の古墳研究についてのイメージが強いが、本書の扱う範囲(時間よりも空間的に)は広く、かつ古代史を考察する上で基本的な軸となる問題ばかりに思える。各問題について詳細に論述するのではなく、各節を更に小節に分けてコラム的に著者の考えを展開したもので、一般向けの解説書である。また、既に著者が既刊書で詳細に論じてきたことは、簡単な解説だけで詳細は既刊書にあたるようにとあり、話題によっては結論が書かれていないものもある。その点で、著者のこれまでの著作のインデックスとしての要素を含んでいる。

 自分としては、本書のひとつの視点である地方史を探求することで歴史を見直すというものが、所々に生きていて興味深く読むことができた。ひとつには、私が著者が地方をテーマにして書いたものを読んでいないということもある。本書には地方史のほかに中国史から見た部分も多く含まれていて、それらを既成概念に捕われることなくバランスよく見直していくことで見えてくるものが、多く浮かび上っているように思う。


 本書は概説というものではなく、あくまでも著者の考えを纏めたもの。必ずしもというよりは、かなり教科書的ではない内容を含んでいる。例えば邪馬台国についての考え方は、自分が今まで読んだ中では他で見た記憶のないものである。それでいて強弁しているわけではなく、穏やかに理路を述べられていて興味深く読むことができる。

 筆者がここで示している観点が、今後どのような重みを持ち得ていくか私には評価できないが、視点の広さとバランス感覚は評価されるべきと考える。既に筆者の本を多く読んだ向きには、やや浅くて物足りない内容とも思う。また上に書いたようにインデックス的な要素があり、結論が書かれていない部分でには不足を感じることもある。しかしながら、容易に楽しく読める内容であって森浩一的古代史入門書として著者の著作へ足がかりであって、古代史にのめり込んでいく入り口として面白い一冊だと思う。

 なお、著者はあとがきで

古代史関係最後になるだろう書物
古代史についてのまとまった発言は、たぶんこの書物で終わりになるだろう。
 と書かれている。来年80歳を迎えるとのことだが、著者の原点である古墳の問題について、深い内容のものを是非もう一冊とあえて書き足しておく。


<目次>
第1章 土地の見方
 1 海道と島々を考える
 2 変貌する河内と摂津---国産み神話の鍵
第2章 年代の見方
 1 時間をどう記述したか
 2 銅鏡の「年代」をめぐって
 3 諸所に刻まれた年号
 4 「暦」はどのように使われたか
第3章 「人」の見方
 1 『古事記』の構造
 2 倭人=「呉の太伯」の後裔伝承の重要性
 3 複数の「倭人」の存在
 4 南九州を考える
 5 海を渡る倭人たち

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2007年10月23日

ヴィンランド・サガ5

アフタヌーンKC473
ヴィンランド・サガ5
幸村誠 著
ISBN978-4-06-314473-4
講談社 2007.10

 11世紀初めの北欧を舞台にした壮大なヴァイキングもの。

 4巻発売から8ヶ月、待ちに待った一冊ということで初日に買ってきた。いやぁ、やっと続きが読めた・・・しかし、この流れでまた1年近く続きを待つのか。クヌート大王への道は遠いなぁ。

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2007年10月22日

(書評)加耶と倭

選書メチエ 398
加耶と倭
韓半島と日本列島の考古学
朴天秀 著
SBN978-4-06-258398-5
講談社 2007.10

 日韓双方の考古学の成果から出土品の系統や編年についての考証によって「古代韓日交渉史を見なおす」ことを目指したという一冊。本のタイトルに加耶と倭とあるが、内容的には2章が加耶と倭、3章が百済と倭、4章が新羅と倭という構成で、サブタイトルの方が内容に近いように思う。

 本書の中心である2、3、4の各章は、加耶、百済、新羅各エリアの考古学全般を扱うものではなく、古代韓日交渉史を考える上で筆者がテーマを絞った部分について光をあてたもの。2章が、金官加耶、阿羅加耶、小加耶、大加耶の変遷、3章が栄山江流域の前方後円墳について、4章が敵対的だったとされてきた新羅倭関係を見直すことについてといったところ。


 本書に関係するような考古学ものはほとんど読んだことがないので、残念ながら本書で述べられていることの正否の判断はほとんどつかない。ただ、著者の意欲作である部分は感じ取れるので、機会があれば本書を検証できるような類書には手を出してみたいと思う。そんな前提の内で、古代日本史に関わる部分について印象に残ったところを少し書いておく。

 2章では、最後のところで大加耶との関係で任那四県について触れていて、これは3章にも関わってくる。高校日本史の参考地図に書かれているのとはかなり違う話になるが、初めて読む話で興味深く結構納得のできる内容。3章、栄山江流域の前方後円墳の評価については、考古学的な部分は良く纏まっていると思うが、そこからどう歴史を復元するかについては、飛躍を含んでいて熟れきれていない印象を受けた。

 それから全体的な感想を。土器や金属器などの比較をとおしての古代史の復元の可能性という点は、かなり面白い内容だった。もう少し攻撃的な内容になるのかと思っていたが、日韓双方の成果を取り入れて、できるだけ飛躍の少ない仮説で古代史を復元しようと試みていたように思う。部分的には疑問符が付くが、もう少し関係する本を読んでみたいと思わせる一冊だった。

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2007年10月21日

豊国廟と豊国神社

 泰巖宗安記ブログの記事織田信長墓の中に秀吉の墓についての話がでていた。信長の墓と言われるものはいくつか見て歩いたが、秀吉のものに詣でた記憶がなく早速でかけることにした。

 秋晴れの昼下がり、京都東山の有名どころはどこも人だかりだが、豊国神社にはお隣ほどの騒ぎはなかった。欅が一部色づき出したとはいえ紅葉にはまだまだ早い。方廣寺、豊国神社を訪れるのは、いつ以来か覚えていないほど久しぶり。


 久しぶりのことなので、一枚目の写真は定番ということで、大坂の陣の原因として名高い梵鐘が掛かる方廣寺の鐘楼のもの。


 二枚目は、案内板によれば伏見城から二条城、南禅寺金地院を経たという豊国神社の唐門。

 豊国神社から秀吉の墓所豊国廟へは、狩野永徳展で賑わう国立博物館を左手に見ながら東側へと回り込む。15分ほど緩やかな坂を登って最後に石段を登ると、鳥居と拝殿、秀吉の孫国松のものと伝わる石塔がある広い空間へと出る。


 廟のある阿弥陀ヶ峰山頂へは、ここから延々と石段が続く。唐門が建つ中腹を経て延べ500段以上とか。奇麗に整備された幅の広い石段だがかなりの急勾配で、麓から上まで15分ほど。運動不足の体にはかなり応えた。


 頂上には、柵に囲まれた巨大な塔が立つ。桐の紋が由緒を偲ばせるほかには特に案内はなかった。阿弥陀ヶ峰は標高196mあり、登り口からでも80m、豊国神社あたりから見れば150mほどの標高差があり、そこそこ高い山なのだが、山頂は木々が茂っていて眺望はまったく効かなかった。


Google Map

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(書評)天皇陵論

天皇陵論
聖域か文化財か
外池昇 著
ISBN978-4-404-03478-6
新人物往来社 2007.7

 月刊歴史読本(新人物往来社)に2005年から06年にかけて連載されたものを加筆集録したもの。天皇陵論というと、どの前方後円墳がどの天皇のものかという古代史論が面白いところだが、本書は古墳ばかりでなく、明治、大正、昭和に至までの歴代天皇陵や聖徳太子などの皇族の陵墓も対象として、それらが今までどう扱われてきたか、これからどうあるべきかという話で、江戸時代以降の話が中心となる。

 内容は下記の目次のとおりで、少し紹介を加える。第1章は、今日見られる陵墓の姿形と誰の陵であるかということは、19世紀以降の土木工事と論争を経たものであるということ。第2章は、天皇陵を巡る様々な問題について異なる角度から代表例を紹介したもの。第3章は、一度決定されたものであってもその後改められたり否定されたものがあったという話。第4章は、皇室、宮内庁における祭祀を採り上げたもので、陵墓が宮内庁によって皇室の祭祀の場として管理されているということから押えておくべき点ということ。第5章は、筆者が事典陵墓参考地---もうひとつの天皇陵(吉川弘文館)で紹介している陵墓参考地がどういうもので、どういう意味を持っているかを纏めたもの。これらを踏まえて副題と第6章にあるように、現在宮内庁によって文化財であることを否定されている天皇陵について、その問題を問い直すという所に至る。


 天皇陵、とくに古代の陵墓について発掘の可否を問う話は新しい問題ではなく、長く議論されてきたものである。また、神武天皇陵や仁徳天皇陵を巡る話、文久の修陵についての話など、既に筆者や本書にも引かれている森浩一氏ほか幾人によって考察、発表されてきた内容で必ずしも新しいものではない。また、比定の上での問題などを網羅しているわけでもない。

 本書はその上で、宮内庁が主張してきた祭祀の問題、陵墓参考地の問題を加えて、「聖域か文化財か」という論の上で必要な要点を総合的に纏めている。もう少し宮内庁を攻撃するような文言が含まれているかとも思っていたが、文章的には押え気味で思いのほか穏やかである。ただ、宮内庁管理の問題点を穏やかに指摘した上で、文化財として扱うことは祭祀と両立するものであって、公開は必要であるとしている。

 日本の古代史を考える上で、巨大な前方後円墳に誰が葬られたのかというのは避けて通れない問題であって、いろんな論を読んだり、古墳を実際に見て歩いたり、素人考えながら自説を展開してみたりと興味の尽きない世界である。その意味でも、天皇陵が早期に調査研究されることを願って止まない。そんな自分から見て本書は、発掘や比定、宮内庁の問題を含めた天皇陵全般を考える上での基本的な問題点を纏めたお薦めの一冊と評価しておく。


<目次>
はじめに---天皇陵と宮内庁---
第1章 創られた天皇陵
 1 江戸時代の姿
 2 文久の修陵
 3 神武天皇陵はどこに
第2章 天皇陵決定法
 1 仁徳天皇陵の探しかた
 2 決定陵と未定陵
 3 聖徳太子墓の謎
 4 明治天皇陵の謎
 5 「皇室陵墓令」と大正天皇陵
 6 長慶天皇陵を探せ
第3章 天皇陵の改定・解除
 1 天武・持統天皇陵の改定
 2 豊城入彦命墓のゆくえ
第4章 天皇による祭祀
 1 祭祀の真相
 2 式年祭とは
第5章 もうひとつの天皇陵
 1 昭和二十四年十月『陵墓参考地一覧』の発見
 2 安徳天皇陵と陵墓参考地
 3 陵墓参考地の断面
第6章 聖域か文化財か
 1 陵墓と文化財
 2 天皇陵研究法
おわりに---「聖域」としての天皇陵---

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2007年10月20日

ライスショック あなたの主食は誰が作る

 このまえのNHKスペシャルは、14日と15日の2回で米作りの話。14日が 世界がコシヒカリを作り始めた、15日が 危機に立つコメ産地というもの。大雑把に纏めれば、世界が日本市場の自由化をにらんで日本人の嗜好にあった安価な米作りを始めたという話と、自由化を待たずに崩壊しつつある国内の現状というもの。とくに関心があるのが今夜の放送だったが、失政、農協、流通、後継者問題、米作りの比重が低い農家の現状など今後の農家を考えていく上で前提とする必要がありながら、語られなかったものも多い。1時間では無理なのは承知している。限られた時間の中でやや単純と言えなくはないが、問題提起としては纏まっていたように思う。

 10年続いた街での暮らしで知らないことだらけなので、番組の内容や農業の問題についてコメントする気はない。ただ、集落で纏まって集団で大規模経営という政策を聞くと、今更ソ連や中国の失敗を真似してどうするんだろう、という少々くたびれた疑問が浮かぶ。番組の中でもあっさりと否定されていたが、行政当局はどう考えているのか。

 少し違う話を少し書いておく。主食は一番の戦略物資であって自給するべきという論があって、その反論として、輸入が止まってしまえば食料生産そのものがどうにもならないと言う。自分は、今は反論の方が分があると思っている。日本は世界に冠たる高物価国なので、たとえ世界に余剰食料が少なくても優先的に食料が入ってくる。

 では、今年以上に穀物相場が高騰したらどうなるのか。これはかなり現実的な前提のように思う。すでに現実になっている問題だが、高価な穀物を買う金がない貧しい地域が優先的に飢餓になるということだ。このことは承知しておかなくてはならない。

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2007年10月14日

(書評)NHK問題

ちくま新書 635
NHK問題
武田徹 著
ISBN978-4-480-06336-6
筑摩書房 2006.12

 NHK問題とのタイトルだが、本書はどちらかというと放送における公共性、あるいは公共放送とはなにかを問う一冊である。受信料支払い拒否などNHK批判が噴出した後の出版なので、もう少し先鋭的に批判的な言葉が並ぶと思っていた。島、海老沢といった元会長を対象とした批判が見られるなど、そういう部分もあることはあるが、思いのほか普通の内容だった。

 NHKあるいは放送における公共性を問うにあたって、本書では過去の事例にそのヒントを求めている。第1章で戦前ラジオ放送時代のラジオ体操について、2章で敗戦直後にGHQ影響下でつくられ数年で廃止された電波監理委員会について、3章で1950年代に活躍した三木鶏郎を巡る出来事についてという具合。4章は放送技術の変遷についてのもので、テレビ放送が始まるにあたっての規格の問題から最近のハイビジョン、デジタル放送まで言及している。これらはNHKの歴史という意味が断片的にはあるが、それぞれのトピックスを深く掘り下げる中で公共性を考えていくことが中心となっている。

 その上で筆者のNHKについての公共放送論の肝は5章の終わりにあり、大雑把に言えば放送の公共性はNHKが単独で担うものではなく、放送全体によって成り立つとする。その基盤として受信料も否定していないが、経営陣がNHKを私物化し、公共放送であることと国営あるいは公営放送であることの違いが分かっていないことを批判している。


 自分的にはNHKに関心と不満があるとはいえ、NHK論や放送の歴史といった分野は未踏であって、その意味で断片的ではるものの初めて知る話が多く興味深く読めた。なかでもに電波監理委員会を巡る問題や、NHKエンタープライズが1982年の放送法改正によってNHKが営利事業への出資が認められてから設立されたものであったことなどは、とくに面白い部分だった。

 今のNHKをどう見るかについては、技術に走って公共放送になり損ねたとする点には共感できる。自分は、カメラや映像処理などのデジタル技術ばかりが進歩して、番組の取材力、編集力とアナウンサーの質はむしろ落ちていると評価していてその事が強い不満である。中途半端なバラエティー番組の存在など民放にもなり損ねているとも感じている。どう転んでも中途半端である。


 筆者は6章でより一般的な公共放送論を展開し、デジタル放送からインターネットまで言及した上で、ジャーナリズムと真の公共放送の必要性を述べている。現時点ではそれは正しいと思うのだが、民放を含めてもたかだか5、6社がそれを担っていくというのはどうなのだろう。今日時点でMacで動画ニュースが見られるのは、TBS日経ロイターの3つだけか。他にwindows限定がいくつかある。この種のサイトが増えて、さらに大型特集も見られるようになればテレビはもういらなくなるが。

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アフガニスタン

 アフガニスタンについて書いたら、タイムリーにペシャワール会の会報が届いたので、中村哲氏の報告を見ながらアフガニスタンについてもう少し書いてみたい。

 今号の中村氏の報告は、パキスタン政情の悪化により拠点をパキスタンからアフガニスタンへ移すことが決まったことを受けたもので、かなり緊張感のある内容になっている。<参考>パキスタンの拠点閉鎖へ(朝日新聞)

 その中でアフガニスタンの現状について、

 9月20日現在、アフガニスタン南部・東部・北部の各州で、戦闘は激しくなっています。欧米軍は増派されて5万人以上の大兵力となり、他方「タリバーン勢力」の面の実効支配は、徐々に、確実に首都カーブルを包囲しつつあるように思われます。
 と報告されている。戦火が拡大していること、その影響がパキスタンの政情を悪化させていることは、先号で報告されていたが、ここまでアフガン情勢が悪化しているというのはショックですらある。

 ショックであることの第一義は、情報の不足。氏の報告以外で情勢の悪化を伝えるニュースを見たことがなかったからだ。記憶に残っている最近のアフガン関連のニュースといえば、ドイツ人誘拐、韓国人誘拐、度々の爆弾テロ、アルカイダが捕まらないなど、アフガニスタン情勢を間接的にしかうかがえないニュースばかり。自分が見落としているのだろうとGoogleニュースで検索をかけてみて、6ページ目でやっと出てきたのがAFP通信アフガニスタン各地で戦闘、タリバン兵約70人が死亡とスイス放送協会アフガニスタン、国の半分以上が戦火に覆われるだった。AFPの記事だったら間接的に見る機会があってもよさそうだが、スイスまでは押さえていなかった。

 9・11をきっかけにアメリカ軍とイギリス軍がアフガニスタンに侵攻してもう6年になる。開戦当時、アメリカの動きに対して賛否どちらが多かったか記憶定かでないが、情勢を見続けていく必要があると自分でも思ったし、マスコミ関係でそのことを述べた人は何人もいたように思う。自他ともに惨憺たるものだ。


 中村氏は報告の後半で、

 欧米諸国の軍事介入、「対テロ戦争」の結末は既に結論が出たと言えるでしょう。武力介入は、良き何物も、もたらしませんでした。アフガン民衆の現状を抜きに進む先進諸国の議論に、忍耐も限界に近づきつつあります。
と纏め、日本が国際貢献の名のもとにアフガニスタンへ対応することについて、慎重であることを訴えられている。アフガニスタンなら良くてイラクはダメという議論になっているが、単に無知だったということ。日本政府の給油や国際貢献などの問題について、ことアフガニスタン関係では反対の位置に立つべきというのか今日の自分の判断になる。


 ペシャワール会報について、中村氏の報告については今日10月7日の時点で、ひとつ前のを会のHPで読むことが出来ます。

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2007年10月13日

イランとアフガニスタン

犯行グループと交渉か 地元有力者示唆 イラン誘拐(朝日新聞)

 中村さんを同州の古都バムで連れ出し、約250キロ東のザヘダンに潜伏している可能性が高いという。

 私が今回事件があったエリアを歩いたのは1996年の春、アフガニスタン南部を拠点としたタリバンが首都カーブルへ攻勢を強めていたころだった。私も誘拐された中村さんと同じく、パキスタンのクエッタからイラン国境までバスで一晩走り、更にザヘダン経由でバスを乗り継いでその日の午後にはバムまでたどり着いた。

 中央アジアがまだまだ安定していなかった10数年前、パキスタンからイランへ抜けるルートは、北のシベリア鉄道とならんで、旅行者がアジアの東西を直に行き来できる貴重な道だった。当時、クルド人問題で度々事件があったイラントルコ国境に比べて、イランパキスタン国境はニュースになる事件こそ少なかったが、荷物検査などは東部の方が厳しく、自分が経験した国境の中では最も緊張感があった。それでも旅行者が事件に巻き込まれたという話は聞いたことがなく、冬の寒さが緩み始めた4月のイランで日本人旅行者も途絶えることはなかった。

 先日のニュースで、ペシャワールの会の中村医師がアフガニスタンの現状を訴えていた。もはやテロとかというレベルではなく完全に戦争状態にあるとの旨を言われていたように記憶している。10年前にタリバンが全土をほぼ制圧することで築かれたアフガンの安定は、6年前に壊されたまま悪化の一途にあるということか。もはや自民党案でも民主党案でもないレベルにあると思えるのだが。誘拐のニュースでも報じられているように、イラン、アフガニスタン、パキスタンの三国が接する地域の安定は、一にアフガン情勢の安定にかかっている。一日も早く、旅行者にも最低限の安全が保証される時が来ることを切に願うばかり。


 悪いニュースでしかニュースにならないのは、イランについて日本における現状である。バムが前回ニュースになったのは、4年前の地震の時。昨日見たニュースにはバムの映像が出ていた。何時撮影されたものか良く分からなかったが、いたるところに地震の爪痕が残っていた(4年前の映像の可能性もあるのか)。GoogleMapからでも良く分かるが、バムは乾燥地帯のただ中にあり、ザヘダンから沙漠の中をバスに揺られるてたどり着くと緑の奇麗さが特に印象に残る街である。一日も早く中村さんが解放されることを願いたいが、たまには良いニュースでバムの名前を聞いてみたい。


→GoogleMap バムザヘダン
 バムは右上に古城遺跡が見える

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2007年10月10日

アイハヌム2007

アイハヌム2007
加藤九祚一人雑誌
加藤九祚 編訳著
ISBN978-4-486-03704-0
東海大学出版会 2007.10

 <目次>

 加藤先生のアイハヌム、今年版が出たので早速購入。今号は、全144ページとややスリムだが、加藤先生が携わっているカラテパの発掘報告がメインで、中心の7章は加藤先生とS.ピダエフの共著になっている。

 積んでおくとそのまま放置してしまいそうなので、今月中には気合いを入れて読まねばなるまい・・・

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2007年10月 9日

激流中国〜チベット

 一昨日の放送だったNHKスペシャル、激流中国〜チベット 聖地に富を求めて。このシリーズ、各回のサブタイトルにさほど魅力を感じなくていままでまともに見ていない。今回は、今の中国でも特に問題の多いチベットを扱うということで見てみたので感想を。

 内容はいたってシンプルなもの。チベットの区都ラサにある今一番と言われるホテルのオーナーと一従業員の話。昨年の青海チベット鉄道を契機に変わりつつあるチベットということで、四川省から乗り込んで昨年ホテルをオープンさせたオーナーと、現金収入を求める出稼ぎ労働者であるというチベット人従業員の二人を追うことで、その変化を見て行こうというストーリー。

 背景として説明されたこととして、この一年で観光客が増えたこと。その中には日本人も含まれ、それと思しき人達が画面に現れ、日本人対策はオーナー氏の戦略のひつとであるらしいこと。オーナー氏は客集めとしてホテルを博物館にするとして、仏像、仏画や古民具買い漁るほか、チベット人楽団を雇い、僧侶による法要を見せ物にしようする。楽団員として雇われたチベット人は、能力給への移行とともに大幅に給料を減らされたことに反発してホテルを辞めていく。

 二人の存在もホテルのことも私は知らないが、ストーリーとしてはありきたりで別段驚きはない。第一感として、独裁者として振る舞う横暴な漢族オーナーと自由経済に巻き込まれて戸惑うチベット族労働者、あるいはチベット文化破壊を意に介さない漢族オーナーというような印象を受けてしまう。しかしながら、そういう対立軸が今のラサの一般論として存在するのかどうか、番組を見た限り何とも言えないし、そもそも最初の印象はおそらくかなりいい加減に頓珍漢であると思う。

 チベット人にも商人は昔からいたし、漢族がラサに入って既に半世紀、番組の中にもラサ生まれという漢族がでていた。極端に単純化すると、漢族とチベット族それぞれに余所者と在来者、豊かな者と貧しい者がいて、それで最低8つのカテゴリーに分けられる。峻別できるとは思っていないが、彼らが多くの人々のたった二例に過ぎないことは事実だろう。

 ラサでの資本家は漢族だけなのか、余所者が中心なのか。ラサに暮してきたチベット族はどうしているのか、チベット族と漢族以外の人達は。新疆にはウイグル族の民族音楽団があったが、チベットはどうか、彼のように個人単員で雇われるしかないのか。などなど疑問はいくらでも出てくるが、番組からは何も読み取れなかった。チベット族の暮らしはどう変わっていくのだろうという見る前からの疑問にも答えがでなかった。

 先週の新シルクロードもそうだったが、ミクロな視点で背景の説明が不足した作りでは、少しでも一般化できそうな話を読み取るということが、自分にはできなかった。チベットの方が予備知識がある分思い込みで一般化してしまいそうな事が恐ろしい。NHKスペシャルをいつも見ているわけではないが、こういうミクロな作りは今流行なのかな?面白いことは否定しないので、誤解を生まない程度の解説は是非とも省かないでほしい。

 チベットが今後5年、10年で大きく変化することはまず間違いない。新疆のカシュガルあたりの街がこの10年、20年で経験したことを、その半分以下で経験することになるのではないだろうか。それでもラサへの訪問は今の内と考えるべきか・・・。

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2007年10月 7日

真田三代

新・歴史群像シリーズ 10
真田三代
戦乱を“生き抜いた”不世出の一族
ISBN978-4-05-604832-2
学習研究社 2007.10

 真田三代とは、真田幸綱、昌幸、信之、信繁。今年の大河ドラマでは、随所で真田幸綱(幸隆)が活躍しているが、大河ドラマの感想を書かれている各ブログを拝見していると、真田関係の話には突っ込み所が多いようだ。ただ、その話にはあまりついていけないので、各ブログの主も筆者に名を連ねている本書にてちょっと勉強を。

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2007年10月 5日

戦国の山城

歴史群像シリーズ戦国の山城
山城の歴史と縄張を徹底ガイド
全国山城サミット連絡協議会 編
ISBN978-4-05-604899-5
学研 2007.11

 歴史群像シリーズの新刊、山城ということで買ってきた。「全国山城サミット連絡協議会 編」とあるとおり協議会とのタイアップ本というところ。

 簡単な山城の歴史解説が最初にあるが、中心は各山城のガイドページ。北は山形県の左沢楯山城から南は沖縄県の浦添城まで、協議会関係の城90弱を掲載。各城1ページまたは見開きで、図面や写真に解説が添えられている。

 協議会に加盟している市町村が偏っているので、掲載されている城も偏り、静岡県と滋賀県が多くを占めて、あと北関東、北陸、兵庫県あたりも多い。協議会関係ということで、著名な山城かどうかは関係ない。

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2007年10月 1日

1990年中国紀行 <成都>

 トルファンを後に、いったんウルムチに出てから列車で四川省の省都、成都へと移動した。直通の急行列車があり当時は3泊4日、72時間を要したうえ、さらに1時間遅れて73時間という長旅になった。シベリア鉄道に乗っていない自分には、これまで最長の乗車時間だ。最新の時刻表を見ると、少し経路が違うが丸一日短い49時間で走る急行が走っている。丁度一日短縮というのに驚いた。


 今よりも三国志の時代に関心があった当時、成都は楽しみにしていた街のひとつだった。真っ先に訪れたのが劉備が眠る漢昭烈皇帝陵。観光地としては、劉備の軍師だった諸葛亮の廟である武侯祠の一部の様になってしまっている。自分はどちらかというと、魏延を使いこなせなかった諸葛亮より、抜擢した劉備の方が好きなので劉備を立てておく。とはいえ劉備関係者40人余りの像が並ぶ武侯祠は、三国志好きにとっては楽しい場所だ。



 劉備が活躍した時代から700年の後、10世紀の初めに四川盆地に独立国を築いた王建。彼も成都の街中に大きな墓を残した。写真は、その陵墓の傍らに立つ王建のものとされる石像。成都永陵博物館のHPによれば、私が訪れた1990年当時は陵墓の発掘整備が終わった頃だった。奇麗に忘れてしまったのか、それともまだオープン前だったのか、博物館や陵墓の内部を見学した記憶は全くない。



 何がきっかけだったのか覚えていないのだが、成都の西北郊外にある都江堰に興味があり、成都に行く機会ができたら是非行こうと思っていた。都江堰は、今から2000年以上前、中国の戦国時代に遡ると言われる灌漑施設で、恐らく幾度もの改修や拡張を経て写真のとおり今も現役。写真左が本流で右が導水路。



 四川、成都と言えばパンダということで、本場成都動物園へも出かけた。ところが昼前のパンダはゴロゴロと寝ているばかり。寝返りうつこともなく、少し汚れた大きなぬいぐるみが横たわっているのと大して変わらない。そのため、写真にちゃんと収まったのは、数年前に国内でもブレイクしたレッサーパンダだった。


 →Google Map 漢昭烈皇帝陵王建墓都江堰成都動物園

 漢昭烈皇帝陵は、真ん中に見える緑の丸い部分が陵墓の本体で、右に並ぶ建物群が武侯祠。都江堰だけギリギリ解像度が落ちるが、中央、扇状地の扇頂的な場所、山地から下ってきた川が三本に分かれるあたりが堰。

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