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2007年11月11日

(書評)中国を追われたウイグル人

文春新書 599
中国を追われたウイグル人
---亡命者が語る政治弾圧
水谷尚子 著
ISBN978-4-16-660599-6
文芸春秋 2007.10


 本書は、中国からの政治亡命を果たした10人のウイグル人(1章〜5章)と、中国で収監されたウイグル人東大院生の妻(6章)の証言をもとにしたもの。インタビュー記事というのではなく、聞き取りに基づいて著者が書き起こしたもの。彼らがどういう経緯で亡命にいたったか、その切っ掛けは何だったのか、それらの過程で何が起こったのかといったもの。10人のウイグル人が亡命を果たしたのは、1996年から2006年のことで比較的新しい話。亡命先は、アメリカ、ドイツ、イギリス、アルバニアと様々である。何人かは、中国での逮捕、投獄歴がありその証言は生々しい。

 彼らの多くに共通して影を落としているのが、3章で詳しく語られているイリ事件である。イリ事件(あるいはイニン事件、イーニン事件、伊寧事件など)で調べると、1962年の中ソ間の事件が出てくるが、本書で語られるのは、1997年に起きた暴動に関わるもの。この件は既に10年前のものであって、ネットで検索をかけてもニュース記事そのものは見つからなかった。編集記事では、例えばウィキペディアのウイグル人には、

 独立派による大規模な暴動や爆弾テロが発生。
 とあり、この一文が他のサイトでも見かけられることから、当時どこかのマスコミが流した情報に近いのかもしれない。本書を読んでの印象がこの一文と異なることは本書の要点のひとつと思える。


 本書を読み終えて、現在の新疆で少なくとも政治犯とされるような事例には、かなり厳しい状況があるのであろうと思う。しかし、本書だけではより踏み込んだ判断はできないというのが正直なところ。それは、本書で語られている証言が、どの程度客観的に価値があるのか判断できないからだ。この点については、序文に以下のように書いている。

 彼らの「語り」は、傍証となる資料を探すことがほぼ不可能で、客観的検証が非常に難しい。執筆時は常に、証言者の「語り」が本当に信頼に足るものなのか、自分自身が記している内容が正しいのかどうか、自問し続けている状態だった。だが、たとえ亡命者たちの「語り」の中に「語りたくない部分」があったとしても、それでもなお彼らの語れる部分に耳を傾け、彼らと痛みを分かち、それらを活字に残しておきたいと思った。(10頁)
 彼らの語りという面では、それぞれの経験そのものの他にも、伝聞、憶測が混在していてその内容が同列に書かれていることにも問題が残る。加えて、ここで証言している10人の存在が、現在の新疆のウイグル人にとってどの程度一般的なのか、彼らが特別なのかよくある話なのか何の判断材料もない。

 これらの点の内、彼らの語りの検証は確かに厳しいことと想像する。その意味では本書の内容について本書以上というのはあまり期待できないと思う。しかし新疆の現状という点では、より多面的な情報発信があるべきで、その意味でより広い視点から捕らえた続編が書かれることを筆者に期待したい。


 なお6章は、現在中国で収監されているウイグル人留学生の話で、他の章とは趣を異にする。詳しくは、次のサイトが参考になる。
 トフティさんを救おう(東京大学東洋史学研究室)

 1章で登場するラビア・カーディル氏は、現在世界ウイグル会議の会長を務めているが、先日来日し、併せて日本語のHPが開設された。
 国際圧力で中国と対話も=「人権」日本に協力要請(時事通信社)


<目次>
第1章 ラビア・カーディル
  ---大富豪から投獄、亡命を経て東トルキスタン独立運動の女性リーダーへ
第2章 ドルクン・エイサ
  ---「世界ウイグル会議」秘書長
第3章 イリ事件を語る
  ---アブドゥサラム・ハビブッラ、アブリミット・トゥルスン
第4章 シルクロードに撒布された「死の灰」
  ---核実験の後遺症を告発した医師アニワル・トフティ
第5章 グアンタナモ基地に囚われたウイグル人たち
第6章 政治犯として獄中にある東大院生
  ---トフティ・テュニヤズ

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コメント

この書評は何のため?全くの無意味。

「それぞれの経験そのものの他にも、伝聞、憶測が混在していてその内容が同列に書かれていることにも問題が残る。」

証言集なら当然のこと.そのように語れていること自体が問題なのではなく、それを解釈しなけらばならないときに、傍証や客観的検証が欲しくなるのであって、それも法廷問題として扱うのでもなければ,まず多くの記述について証言しかよりどころはない筈。証言者が又聞きしたとかの注がある場合やその傍証等がある場合は別問題。

是は,証言を忠実に記録し伝えようとしていること自体に意味があるのであって、迫害や,非人道な扱いを受けたこと等の証言は、その他にも多々ある中国当事者達の非道な処置を生々しく浮き彫りにするに十分な資料である筈。

「新疆の現状という点では、より多面的な情報発信があるべき」としているが、それは別問題。その何がこれらの証言にどのように影響するというのか?

投稿: 洋一 | 2009年4月 3日 22時59分


洋一さん
コメントありがとうございます

本書については、私は厳密な意味での証言集とは考えていません。
証言そのものを収録したわけではなく、著者による編集がはいっています。
したがって、著者による著述として客観性を持たせてより信頼性の高い内容とすることの方が、本書の意義としてより大きいのではと考えます。

私は、中国において非道なことが行なわれていないとは考えていません。むしろ本書において語られれていることは、最低限の評価としてもかなりの真実を含んでいるのだろうと想定してます。ただし、その問題の大きさについては情報を持っていません。

非道なことということは、大なり小なりどこにでもあることです。問題点を浮き彫りにするために、そのことの大きさが示された方がより説得力を持つだろうと思います。

本書は、研究書ではなくて新書ですので、限られた紙面でそういった情報を盛り込むことに限度があることは承知しています。ですので、「新疆の現状という点では、より多面的な情報発信があるべき」ということについて、著者がより広い観点から続編を書かれることを私は期待してます。

投稿: 武藤 臼 | 2009年4月 4日 18時52分

私は非道•非人道なことについては(誰の非道の基準かに依るのですが)、間違った法の執行等とは全く異なった扱いが必要で,あなたのように「非道なことということは、大なり小なりどこにでもあることです。問題点を浮き彫りにするために、そのことの大きさが示された方がより説得力を持つだろうと思います。」と言うのは,悠長で、迫害や非道な扱いを受けた事のない者の言い草のようにしか思えません。まるで数が多ければ,問題だが、少なければあたかもそれはより軽い問題となるかのようです。その点が、私には不快に思われる理由です。(もちろん数が多ければそれはより大問題といえるでしょうが。)

貴方のそのもの言いは犠牲者の方々にむしろ大変失礼なのでは?

非道•非人道なことはたとえ一件でも見過ごすべきではなく、それに政府機関や正規の治安組織が関わっていた事自体が問題なのです。或る程度の事例が確認できる以上、それを正当化できる処罰として実行している人間達がいることは,確実なのですから。この場合実数等は不適当な尺度です。

違法な(彼らの観点から)処置が行われたのとは、状況が違います。国際人権法等からすればもちろん違法なのですが。

これは、新疆の現状を著者に続編として望むという一見論理的にも思えるまことしやかな書評とは別物です。

投稿: 洋一 | 2009年4月 4日 20時33分


洋一さんこんにちは

この記事が事件について触れたものであれば、そのような指摘は的を射ているのかもしれません。
ただの読書感想文ではありまあすが、書評を名乗っているようにあくまでも事件についてではなくて、本の内容について自分なりに評価したものです。
本としての評価ということになれば、多少なりとも距離を取った上でのことになると考えます。

中国政府の公式発表以外の情報が出てき難い地域のこと、より多くの情報が必要とされていますが、なんでも良いというわけにはいきません。
もちをん、本書が「なんでもいい」の部類に入ると言っているわけではありません。
しかしながら、情報が足りないからこそより多くの人に説明すためには、具体的な裏付けを付加して行く必要があると考えます。

事件についてどう考えるかということであれば、おっしゃることに対して良否の判断はし得るかとおもいます、
しかし、自分には情報があまりにも不足しているので、今のところおっしゃられていることに直接お答えすることもできません。

投稿: 武藤 臼 | 2009年4月 5日 16時42分

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