« (書評)中国を追われたウイグル人 | トップページ | 高取城2 »

2007年11月17日

高取城

 奇麗に晴れ上がった一日。だいぶ寒くなってきたが、年内にあといくつ山城を征服できるか。日本三大山城といえば、岐阜県の岩村城、岡山県の備中松山城と奈良県の高取城を挙げるのが多数意見らしい。まだいずれも未踏なのでまずは一番近い高取城に挑む。

 最寄りの駅は、近鉄吉野線壺阪山駅。駅から城の登り口まで3kmあまり、本丸がある高取山の頂上まではさらに2kmの道のり。標高でみると、駅周辺がおよそ110mで頂上が583.9m。踏破する長さといい、470mという標高差といいかなり歩きでのある数字だ。

 三大に数えられる所以は、高い山の上にあって平山城のように石垣で囲われたその姿からだろうか。恐らく戦国時代には普通の山城だったのだろうが、筒井順慶、豊臣秀長の時代の改修され、石垣を纏うことになったと思われる。また、戦国時代の難攻な山城としては珍しく、江戸時代にも植村氏2万5千石の居城として存続した。もっとも平時には不便だったようで、建物こそ明治まで残ったものの、藩政の中心は早い時期に山麓に移ったという。


 駅から城へと続く道は小規模ながら城下町風情で、格子窓の平屋や長屋門も残っている。写真は、田塩家長屋門。来週11月23日には城まつりがあるとのこと。


 あちこちと写真を撮ったり寄り道して、黒門跡という最初の門跡にたどりつくまで1時間かかった。そこから杉の木立の中を抜ける山道を登って、濠と言われている池の端にある二の門まで40分、石垣で囲われた立派な虎口を4つ抜けて写真の大手門にたどり着くまで更に15分かかった。


 大手門の奥には、東西250m、南北100mという広さに石垣で覆われた本丸と二ノ丸の跡がある。大手門から本丸まで、4つの立派な虎口と30mあまりの標高差を覆う石垣が続く。写真は、本丸南側の石垣。欅、楓、桜などが紅葉の盛りを向かえようとしていた。


 標高が高いだけに眺望も悪くない。写真は月見櫓跡とされるところからの眺め。だいぶ霞んでいるが、写真正面やや右に畝傍山、その右に耳成山が見えている。



高取城周辺図「この地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図(畝傍山)を基に作成しています。」

 緑色が城地らしく削平されている場所。植村氏の菩提寺という宗泉寺の周りもかなり造成されている。また、登城道の左右にも削平地が点々としている。登城道は、やや荒れているところもあるが迷うような道ではなく、秋晴れの今日は自分以外にも多くのハイカーが登っていた。

 城地が広いぶん郭も沢山あるが、広すぎて薮に埋まっている場所が多く、郭の中まで歩き回れるのは本丸、二ノ丸周辺だけ。規模こそ小さくなるが、横垣郭でも石垣が見られる。石垣だらけの城だが、尾根を断ち切る堀切まで石垣が覆っている。

 広い城地は、とても全てを見て歩くことを許さなかった。本丸、赤土郭、横垣郭まで見て回って、山を降りる頃には5時間以上過ぎていた。かなり膝にきたが、まったく三大山城の期待は裏切らなかった。


高取城岩村城備中松山城(電子国土地図)

<参考資料>
大和 高取城
高田徹・谷本進 編
城郭談話会 2001.11

|

« (書評)中国を追われたウイグル人 | トップページ | 高取城2 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/162739/17104998

この記事へのトラックバック一覧です: 高取城:

« (書評)中国を追われたウイグル人 | トップページ | 高取城2 »