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2007年12月 1日

1990年中国紀行 <瑞麗>

 11月中旬、麗江から大理に入った時点で次にどこへ向かうかが決まっていなかった。当時既に雲南南端の観光地として知られていたシーサパンナへと行くという案もあった。

 1990年が始まった時点では、雲南省内では外国人が観光できる街はまだまだ限られていた。蒋介石支援ルートとしても名高い、大理からミャンマーへ向かう街道に沿ったエリアに入れるようになったのが、その年の夏のことだった。これを機会にと勧められる声に従って大理を後にしたのが11月半ばのことだった。

 雲南西端にある瑞麗は、ミャンマーとの国境の街として当時既に鎚音高く発展をうかがわせていた。大理から瑞麗まで蒋介石支援ルートを逆に辿る。ラオス、カンボジア、ベトナムと流れるメコン川、ミャンマーを縦断するサルウィン川が造る深い谷を、人が走る速度で喘ぎながら登るバスの旅で、保山で一泊してバスを乗り継いで丸二日を要するハードなものだった。先の大戦で、このルートを辿った日本軍が保山あたりまで入っていたことに驚きもした。



 瑞麗はタイ族が多く住む街で、郊外を歩くと上座部仏教らしいパゴダ(仏塔)をいくつか見ることができる。写真はその中で恐らく一番有名な廣母賀卯。廣母賀卯はタイ語の音写だそうで、中国語では姐勒金塔と書かれる。現地の案内板には、現在の塔は1967年建立の七代目で、高さ36m、直径30mとあった。


 この写真についてはかなり記憶が曖昧だが、パゴダに隣接したお堂だったように思う。自分には初めて見る上座部仏教の寺院で、奇麗に飾られた仏像と釈迦のエピソードを描いた天井画に日本の寺院との大きな違いを見たことは良く覚えている。


 瑞麗はそれほど大きい街ではなく、少し歩けば長閑な田園が広がる郊外に出る。水牛を見たのはこの時が初めてだった。


 街の南を流れる瑞麗川を渡し船が行く。写真の位置は既にミャンマー領。大雑把には瑞麗川が国境なのだが、街の南から西南にかけては今の川の北側にあったかつての流れの跡が今でも国境になっていた。陸続きの国境にはそれを示すものがほとんど無く、ふらふらと散策をしていると気がつけば越境してしまっていたというものだった。自分が初めて経験した陸の国境でもある。

 ミャンマーとの国境については、中国周辺の国境でも少し触れている。


 →Google Map 瑞麗市街廣母賀卯:上から見ると中心のパゴダを小さなパゴダが円形に囲んでいるのがわかる、瑞麗川、瑞麗川の北岸に飛び出した国境:Ω形に見えるのが中国ミャンマー国境で北が中国、南がミャンマー

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