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2007年12月31日

2007年の御礼

 ブログ2年目の今年、アップのペースはだいぶ落ちましたが、年末まで続けることができました。玉石入り交じりというか石だらけでありますが、書きたいことを書き続けてきました。今年のご来訪を感謝します。

 懲りずに、新年もお立ち寄りください。新しい年が良い年でありますように。


 インドでベンガル湾を見ながら迎えた正月の一コマ、前の子年の話

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2007年12月30日

(書評)カメのきた道

NHKブックス 1095
カメのきた道
甲羅に秘められた2億年の生命進化
平山廉 著
ISBN978-4-14-091095-5
日本放送協会 2007.10

 カメとは何かということについて、進化の歴史から現代の多様な生態まで、かなり広い範囲を扱った入門書的な解説書。とくに亀に興味が有るというわけではないが、良く知らない生物について進化の歴史を含む入門書ならと惹かれて読んでみた。目次は以下のとおり。

第1章 カメの体の驚異的な仕組み
第2章 多様な環境に進出したカメたち
第3章 謎だらけの起源
第4章 恐竜時代のカメたち---世界への大拡散
第5章 海というもう一つの世界へ---最古のウミガメの姿
第6章 甲羅を力に変えて---哺乳類時代のカメたち
第7章 迷惑な保護者

 1章が解剖学的な話を中心とした亀の体のつくりについて、2章が現在生きている亀の多様な生態の紹介。筆者は化石爬虫類の研究を専門としているとのこと。自身が発見したものを含む多くの化石資料から、亀の進化の歴史を解説した3章以降が本書の中心といえそうだ。

 本文190ページと決して厚くないが、初心者的には未知な情報が盛り沢山だった。1章では、亀最大の特徴である甲羅はどうなっているのか、首はなぜ引っ込むのか。2章では、現生の亀にはどんなものがいて、どう暮らしているのか。3章では、亀の進化の上で何が分かっていて何が分かっていないのかという具合である。


 限られたページ数ながらそれほど詰め込んだという文章ではなく、専門用語もそれほど出てこない読み易い本だった。その裏返しで、既に亀についてある程度知識がある人には物足りないのかもしれない。ただ、進化の問題にまで踏み込んだ類書はあまり無いとのこと。

 特に興味を惹かれた点を書き留める。まず化石という点。亀は甲羅という固い部分があるために化石はかなり多く見つかるとのこと。しかも日本国内でかなり見つかっているという。この点は自分にはまったく意表を突かれた話。今まで恐竜の化石を見るようには亀の化石を見たことがない。化石の出土地や博物館に出かける機会を見つけて、是非じっくりと観察してみようと思う。

 白亜紀の終わりというと、恐竜がことごとく滅んだという大事件があったとされているかと思う。本書では、恐竜以外の爬虫類、とくに亀が生き残っている点から大絶滅の問題点を指摘している。亀は多くの種類が白亜紀の終わりを乗り越えて生き残ったとのこと。本書ではそういった点の指摘に留まっているものの、爬虫類の現存種について触れた上で、大絶滅の問題点を指摘したものを自分は初めて目にしたように思う。この点は特に興味を惹かれるので機会があればほかの本にもあたってみたい。


 本書は、今を生きる亀だけでなくその進化史までを広く扱っている。自分のような亀初心者が楽しく読める内容で、なかなかお薦めな一冊である。

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2007年12月29日

長江の普通客船を3年内に全面廃止

 さらば庶民の足! 長江の普通客船を3年内に全面廃止(中国情報局)

 私が初めて中国を旅した1990年、本格的に三峡ダムの工事が始まる前の長江を、重慶から湖北省の宜昌まで下った。一人旅の気楽さと途中で三国志関係の名所をゆっくりと見て回るために、観光船ではなくてこのニュースで言うところの普通客船を利用した。個室ではなくて四等の蚕棚で地元客と同室となった。

 

 約2400キロメートル余りの長江航路のうち、現在普通客船が運航している区間は、重慶市付近のおよそ600キロメート
 重慶から宜昌までを地図の上で計ってみると、直線で480kmほど。長江を下って丁度600kmくらいにも見えるが、ニュースがいうところの廃止になる区間がどこかは分からない。

 この3年後に廃止というニュースには少し驚いた。当時私が乗った船は地元客でいっぱいだった。

 近年の鉄道や高速道路の充実で利用者数が減少。
調べてみると重慶宜昌間で最大の町万州には鉄道、高速道路がともに4年前に開通していた。鉄道、高速道路いずれも重慶宜昌間を結ぶ路線の部分開通で、万州から東へ伸びるのは数年後のことであるらしい。また三国志で有名な白帝廟のある奉節でも高速道路の建設が進んでいるようだ。3年後の廃止というのは、これらが開通するのを見越しているのかもしれない。

 長江沿いに鉄道を建設する計画は、欧米列強が中国へ押し寄せた時代からのもだが、これまでに開通していなかったのはひとつに重慶宜昌間の地形の険しさにある。万州重慶間の鉄道は、長江からはだいぶ西に逸れたルートを通っているし、現在建設が進んでいる万州宜昌間は長江のかなり南側を迂回する。そのことが重慶宜昌間の地形の険しさを物語っているように思う。

 ダムが完成する前の三峡の風景や船内の喧噪などが懐かしく思い出されるが、それらもまた過去のものになろうとしている。17年という時間が今の中国では大昔であることを実感することが度々有るが、このニュースもまたその一つである。


 奉節を出航した船が三峡にさしかかった時に船内から撮ったもの

<参考>
上海—成都高速で世界最高のPC橋の建設進む 湖北(中国情報局)

重慶万州駅奉節、建設中の三峡ダム宜昌と葛洲■(土編に覇)ダム(Google Map)

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2007年12月28日

ブット元首相暗殺

 ブット元首相暗殺 パキスタン情勢混迷(産経新聞)

 今年もあと数日という年の瀬に大きなニュースが入ってきたものと思った。ブット元首相は、私がパキスタンを旅行した1995年夏当時の首相だった。強く記憶に残っているわけではなが、初の女性首相というニュースが数回足を運んだパキスタンの首都イスラマバードの近代的な風情とともに思い出される。

 それから12年、パキスタンの情勢はどちらかと言うと不安定な中にかろうじてバランスが取られてきたというイメージである。12年前の時点でも南部の都市カラチの治安は常に問題視されていたし、東部の都市ラホールでは2度目に訪れた後、自分が散策した下町の一角で爆弾テロがあった。常態というほど酷いわけではないが、国際ニュースに時々散見される程度には事件が続いていたように思う。

 ただ、当時旅行をしている限りではさほどの切迫感があったわけではない。危険情報は旅行者間で共有されていて、北部の観光地フンザ、北西部の地方都市チトラール、ペシャワールやラワルピンディ周辺の仏教遺跡を見て回るのにバスの故障と事故以上の障害は無かった。

 ここ5年間の状況は悪化の一途で昨年来、籠城事件、アフガニスタン問題、大統領選挙などと問題続きだ。北の大国中国、国境問題が振れ続けるインド、混乱ただ中のアフガニスタン、南アジア介入の足場にしているアメリカ、そのアメリカと険悪なイラン。対立する利害がない中国を除けば、パキスタンを取り巻く環境は改善の兆しが見えない。

 ブット元首相の存在感というのは、大きいのか小さいのか計りかねるのだが、来月の総選挙に直接の影響が出そうな状況。明るい兆しが見えることを願って止まないのだが。

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2007年12月24日

(書評)真説 レコンキスタ

真説 レコンキスタ
〈イスラームVSキリスト教〉史観をこえて
芝修身 著
ISBN978-4-902854-29-9
書肆心水 2007.5

 イスラーム関係の歴史の中でも類書が限られる地域のひとつ、イベリア半島を扱っている。通史ではなく、戦争、宗教を中心とした関係史を解説したもの。副題にあるとおり、キリスト教勢力によるイベリア半島征服事業レコンキスタを、宗教戦争として捉えることに疑義を唱えることを目指している。

 本書は、イスラーム勢力が進出した8世紀から、キリスト教勢力によるグラナダを除く大半の征服が完了した13世紀までのイベリア半島の歴史を扱った第1部レコンキスタの進展。宗教的な側面を中心としてレコンキスタの本質が十字軍的な宗教戦争だったのかどうかを検証した第2部レコンキスタとは何かよりなる。

 第1部では、イスラーム勢力の半島進出と、アストゥリア、レオン、カスティーリャと続く王国を主役とした半島征服の歴史が解説されている。両勢力ともに一枚岩ではなく、単純な対立抗争でなくて同盟、主従関係が複雑な政治色の濃い歴史であったこと。ピレネー山脈の北側、西ヨーロッパ世界からの孤立と半島の独自性が語られるほか、分裂時代のイスラーム勢力についても多く言及されている。

 第2部では、宗教的な側面として半島における実態の特殊性を説き、キリスト教を拠り所に庶民も含めた広汎な団結はあり得ないとする。また、必ずしも対立が劇的だったわけではなく、宗教を越えた同盟や征服時における降伏が穏やかに行われた事例なども紹介されている。

 筆者は、スペインの農業経済史を専門とし、その研究の過程で得た情報をベースに本書を纏めたという。その点で、本質的な研究書や概説書ではなく、意欲的な努力作品と見ることができると思う。


 イスラームに関わった世界の中でもヨーロッパそのものであるにもかかわらず、日本国内では特にイスラーム側の情報は少ないと思う。本書は欧米の主に過去数十年の多くの研究書を下敷きにしており、その点では貴重な情報が多く含まれている。中でもイスラーム勢力が分裂していた時代の各勢力や、キリスト教側を含めた詳しい関係史は初めて読んだように思う。

 読んでいる最中としては、筆者が政治史が本職ではなく、二次、三次資料である研究書を纏めたものという点が内容に現れている。意図的に書いたものか資料の制約によるのかは分からないが、やや独特な文学表現が散見され、具体的な表現の省略に内容の軽さを感じてしまう。

 文中にさほど言及されていないため、引用された研究書の妥当性は本書を読んだだけではなんとも評価できない。その点では、イベリア半島の歴史におけるレコンキスタの位置づけが、昨今どのようになされているのは朧げにしか評価できない。また、副題が意欲的に掲げられ内容的にもそれなりの事例が提起されているが、文脈的にはさほど強調されているわけではなくやや拍子抜けだった。

 直感的にはそれほど外れていないのではないかという印象を持ったが、細かい部分で具体的な内容を省いているため致命的な錯誤は少ないかもしれない。類書が少ないこともあり、第1部を中心に歴史経過をベースとしたイベリア半島におけるイスラームキリスト教関係史の、比較的読み易い解説書としては面白い一冊だと思うのだがどうだろうか。

 具体的な地名がそこそこ登場するが、網羅した地図が載っていないのは難である。電車の中で読むことが多い自分には、このような本には是非とも詳しい地図を添付してほしい。

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2007年12月23日

(書評)ヨーロッパとイスラーム世界

世界史リブレット 58
ヨーロッパとイスラーム世界
高山博 著
ISBN978-4-634-34580-5
山川出版社 2007.9

 地理的概念であるヨーロッパと文化的概念のイスラーム世界をあえて併記し、現代世界につながる問題の概観を説くことを目指した一冊。一般向け入門書シリーズである世界史リブレットの58巻で本文87ページ。

 筆者の著作については、中世シチリア王国(講談社)を読んだことがあり、イスラム支配下からノルマン人が奪取した頃、イスラム教、ノルマン人、地中海世界が不思議に融合したシチリア島の歴史が面白く描かれていたのが記憶に残っていた。

 本書は、以下の4段からなる。ヨーロッパとイスラム教の関係史という枠よりは広い範囲を扱っている。

 1 枠組み 集団と歴史
 2 比較 文化圏
 3 接触 交流と衝突
 4 統合 グローバル化

 1ではそれぞれの枠組みとして、ローマ帝国からフランク帝国までのヨーロッパ、マホメットからウマイヤ朝までのイスラム世界の成り立ちを解説。2では中世地中海の三大文化圏として、ギリシャ・東方正教文化圏アラブ・イスラーム文化圏ラテン・カトリック文化圏を設定し、10世紀前後の状況を解説。3では、接触事例の地域としてイベリア半島とシチリア島、事象としてルネサンスと十字軍を解説。4では、現代の状況として、文明の衝突論、イスラーム過激派といった問題を採り上げている。


 中世を中心としたイスラーム・ヨーロッパ関係史解説ものとして、リブレットという規格の中で良くコンパクトに纏まっていると評価できるかと思う。前史的な要素の第1段を省いて関係史にしぼった方がより面白い内容になったのではないかとも思うが、基礎的な入門書として位置づけるすればそう言い切れないか。

 読んで面白かったのは3段で、イスラーム教の歴史が700年を越えるイベリア半島と200年に満たないシチリア島を並べているのが筆者らしく、シチリア島の部分には具体的な話がより多く含まれる。著者の前著が思い出される。

 文明衝突論や過激派、ヨーロッパにおけるイスラム系移民などの解説は、わりと適切と思われ、世界史の中から現代の問題を考えるという方向の入門書として手軽な一冊と見てよいかと思う。

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2007年12月16日

(書評)モンゴル年代記

アジア史選書 009
モンゴル年代記
森川哲雄 著
ISBN978- 4-89174-844-9
白帝社 2007.5

 本書では、モンゴル人の手により書かれたという年代記を紹介している。全11章よりなり、以下のとおり14作品が掲載されている。

 第1章 『元朝秘史』---北アジア世界における初めての年代記---
 第2章 チベット仏教のモンゴルへの再流入
 第3章 『チャガン・テウケ』
 第4章 『アルタン・ハーン伝』
 第5章 著者不明『アルタン・トプチ』
 第6章 『蒙古源流』
 第7章 『アサラクチ史』
 第8章 『シャラ・トージ』
 第9章 ロブサンダンジン『アルタン・トプチ』
 第10章 十八世紀前半のモンゴル年代記
  『ガンガイン・ウルスハル』、『蒙古世系譜』、『アルタン・クルドゥン・ミンガン・ケゲストゥ・ビクチ』
 第11章 十八世紀後半のモンゴル年代記
  『ボロル・エリケ』、メルゲン・ゲゲン『アルタン・トプチ』、『アルタン・ナプチト・テウケ』

 各年代記について編纂時期、著者、写本類の来歴、研究史などの紹介があり、各書の内容については特徴的な部分の引用紹介がなされている。13世紀には成立していたと考えられている元朝秘史は、その成立の早さのほか、内容も含めて特別な存在であることがわかる。チャガン・テウケが16世紀末、アルタン・ハーン伝が17世紀初成立と推定されていて、元朝秘史以外は明朝末から清朝の時代にかけてのものとなる。各年代期は、一部を除いてほぼ成立順に紹介されている。

 本書によれば、チンギス・ハンの生涯を中心に描いた元朝秘史、チベット仏教やチンギス・ハンの祭祀などについて書かれたチャガン・テウケがむしろ異質に映る。それ以外の年代記は、チンギス・ハンの一族を中心とした通史というのが基本形で、各書ごとに範囲や分量の差異はあるが、チンギス・ハンの先祖、チンギス・ハン、その子孫のことを順に並べていることが大筋で共通している。また、チンギス・ハンの先祖をチベット、さらにはインドへと求めていていることもほぼ共通している。したがって、上記2作品を除く12作品は、時代々々をそれぞれが別々に記録したというものではなく、新しいものが古いものと内容的に重なっているほか、多くのものに古い年代記を参照した形跡残っているとのこと。

 これらの点から、本書で紹介されている年代記の二次資料としての価値は、各書の比較的新しい部分を除いてはさほど高くないことがわかる。上記のようにアルタン・ハーン伝以降チベット仏教が大きく影を落としており、モンゴル帝国史を趣味として齧っている自分は、年代記を素材として北元以降の歴史に踏み入ることにさほど魅力を感じられないのは仕方が無いことと思う。


 本書のなによりの特徴は、元朝秘史以降の年代記をおよそ網羅的に紹介していることにある。内容的には、多大な論文集や重厚な解説書ではなく、一般読者が手軽に読めるレベルに簡潔に纏められた概説書になっている。波乱や大きな展開があるわけではないので、読み物としては淡々とした感じではある。ただし原典は基本的にモンゴル語であって、邦訳がそろっているわけではない状況で、どのくらい地道な作業を経れば本書が成り立つのかという点では、自分などには窺い知れない深さを持っているように見える。

 モンゴルについての教科書的な歴史ではなく、モンゴル人によって描かれた歴史という点で、モンゴルのことを知る上で本書は基礎的な概説書である。類書が無い一冊であり、このような内容を一冊で纏めて読めるという点でも貴重である。読み物として見ると必ずしも楽しいというものではないが、研究史や写本の来歴、編纂時期の推定過程など興味深く、年代記の内容以外の部分でも未知の内容が沢山あって面白く読むことができた。


 本書で紹介されている年代記の内、全文邦訳されたものとして、『元朝秘史(岩波文庫ほか、平凡社 東洋文庫シリーズではモンゴル秘史)』、『蒙古源流(刀水書房)』がある。

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2007年12月 9日

西夏學 2

西夏學 第二輯
中国蔵西夏文献研究専号
杜建録 主編
ISBN978-7-227-03536-7
寧夏人民出版社 2007.8

 昨年から出版が始まった西夏學の第二集。副題のとおり、今号は中国にある西夏関係の文献についての論集になっている。西夏らしく仏教関係が多い。

 掲載論文は以下のとおり。編集委員には荒川慎太郎さんも名を連ねている。

西夏文献整理研究的里程碑(代序)
 陳育寧

中国蔵西夏文文献新探
 史金波

中国蔵西夏文献概論
 杜建録

中国蔵西夏文献綜述
 史金波等

莫高窟、楡林窟西夏文題記研究
 史金波、白濱

西夏文蔵伝続典《吉祥遍至口合本続》源流、密意考述(上)
 瀋衛榮

北京大学図書館所蔵《華厳経》巻42残片考
 孫伯君

甘蔵西夏文《聖勝慧到彼岸功徳宝集偈》考釈
 段玉泉

中国蔵西夏文《大智度論》巻第四考補
 彭向前

中国蔵西夏文《菩薩地持経》残巻九考補
 楊志高

莫高窟北区出土西夏文残片補考
 載忠沛

内蒙古博物館蔵西夏文《瑜伽集要焔口施食儀》残片考
 黄延軍

西夏仏教著作《唐昌国師二十五問答》初探
 索羅寧

西夏遺文録
 聶鴻音

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2007年12月 3日

(書評)アイヌの歴史

講談社選書メチエ 401
アイヌの歴史 
---海と宝のノマド
瀬川拓郎 著
ISBN978-4-06-258401-2
講談社 2007.11

 蒸しぱんさんがブログで“お薦め”の一冊として紹介されていたが、私も楽しく読了することができた。

 タイトルを見るとアイヌについての通史という印象を受ける。自分としては、通史というよりは北海道、あるいはアイヌの歴史について著者が設定したいくつかの問題点について、一般読者向けに解説したものと捉える方が分かり易い。本書の特徴は、蒸しパンさんも言われているようにその問題点を考古学的な成果から説き起こしている点にある。

 従来自分が読んだことがあるアイヌ関係のものといえば、文献資料をベースにして本州や大陸との関係を本筋に説いた関係史というものが中心。それに比べると考古学ベースに主体的にどう見えてくるかという論は新鮮だった。

 本書は七章よりなる(目次はこちらを参照)。アイヌ前史としての縄文時代にはじまり、オホーツク文化、擦文文化を経て江戸時代の鮭交易についてまでを扱っている。また逆に、考古学ベースであるため交渉史、関係史、あるいは戦争や江戸時代以降の日本人との関わりといった話は相対的に薄くなっている。


 自分的に興味深かった所をふたつ。まず、考古学の報告書となると遺跡とか出土品の分布や分類などの専門的解説が並び、入門者には退屈になることはままあるが、本書には必要最小限しか紹介されていない。本書的な解説のポイントとして、アイヌの有力者が収集した、日本向け高級矢羽根として取引された鷲羽、擦文文化以降に集落の分布にも大きな影響を与えた鮭漁などが設定されていて、文脈的に分かり易く纏まっている。

 もうひとつは、オホーツク文化とアイヌの樺太進出の具体的な位置づけについて。恐らく専門書をあたればより詳細な解説があるのかとも思うのだが、自分としては本書くらいのサイズでの解説が読みたいと思っていたので、その点で重宝する内容だった。


 簡単に総評を付け加える。本書は一般向けの入門書として本文250ページほどの内容。時代的にも扱っている範囲がわりと広いので、広く浅くなるのはやむを得ないと思う。その意味で興味が向くテーマ、例えば何をもってアイヌ文化とするかといった点については、物足りなさが残るのも当然であり、著者の次回作期待、あるは機会があったら他の本にもあたってみるべきなのだろう。

 しかしながら、著者が序文で次のように示した疑問については十分に解説されていたように思う。

 アイヌ社会はほんとうに「自然との共生」「平等」「平和」の社会だったのだろうか。かならずしもそうではなかった、と私にはおもわれる。
その点でも、考古学から北海道とアイヌの歴史について、新しい視点を得られる一冊としてお薦めできるのではないかと思う。

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2007年12月 2日

新 シルクロード 最終集

 第7集、最終回は祈り 響く道。シリアとレバノンを舞台にした今回は、次のアナウンスで始まった。

 古代から神々が生まれ行き交ったシルクロードは
 この地に世界でも珍しい宗教のモザイク地帯を生み出しました
テーマで察せられるとおり宗教がテーマだ。

 宗教、宗派の異なる四つの街に訪れ、宗教を中心とした今をレポートしている。

 最初が、シリアのマールーラ(マアルーラ)、番組中ではキリスト教としか紹介されなかったが、東方教会系と思われる。険しい谷間に拠って古代より宗教を護ってきたという。

 次がレバノン、ベカー高地にあり、ローマ時代に遡る遺跡のある街バールベック。アリーの孫に因むシーア派の聖地、シーア派の街。昨年の紛争で民兵に志願して戦死した息子を持つ老夫婦が登場。

 次いでレバノン山脈を越えてカディーシャ渓谷にある街ブシャーレ。マロン派キリスト教の街、レバノン杉を観光資源とした街。紛争により観光客が激減、不況のために家族と分かれて出稼ぎに出る男が登場。

 最後がレバノンの首都ベイルート。スンニ派の街、シーア派とスンニ派が対立する街。シーア派に子供を殺されたスンニ派の父親が登場。


 現状の紹介としては大雑把には間違いではないのかもしれない。だが、宗教が対立、紛争の主因という流れは単純に過ぎる。シーア派に子供を殺された父親が内戦時代の経験から共存を説き、「宗教の違いを乗り越えた共存」というアナウンスもある。父親の行動自体は評価できるものの、アナウンスには決まり文句が出たという以上のインパクトはない。

 「(シーア派は)殉教の精神を大切にしています」というアナウンス、イスラム教主流の地域で迫害と戦ってきたキリスト教というのもどうもステレオ的で誤解のもとではないか。また、冒頭からエンディングまで多宗教な現状を「神々」と表現しているが、イスラム教、キリスト教いずれも一神教なうえに、解釈としては同一の神である。神様が対立しているわけではないのだが。

 細かい部分に不満が残るがこのくらいで。やや偏った前提でアナウンスに配慮が足りないのは本シリーズでなんどもでてきたこと。見終わって残ったのは、マアルーラ、バールベック、カディーシャ渓谷という自分に馴染みがなかった地名と、宗教対立というテーマはこのシリーズでは無理だなという感想だけ。


 今日で新シルクロード第二部が終わったので、総評を書こうかと思ったが、既に何度か書いてきた愚痴の繰り返しになるので止めておく。


<参考>
マアルーラバールベックレバノン杉の森ブシャーレベイルート
(Google Map)

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2007年12月 1日

師走の東山

 数日前、遠方の友人に京都にはまだ紅葉の最中なのかと驚かれた。師走最初の一日、紅葉どのくらい残っているのかを見に東山を歩いた。午前中は良い天気だったのだが、午後は少しずつ雲が広がり3時頃には日差しもほとんど無くなった。

 東山の麓でも紅葉は既に盛りを過ぎてだいぶ褪せてきているが、高台寺や清水寺界隈は今日も賑わっていた。どうも人混みは苦手なので、表通りを避けて人気の無い寺院へ向かう。表通りから標高差で60m、10分ほど登るだけで京都を見下ろす人気の無い寺院にでる。


 真ん中やや右に八坂の塔が見えている。常緑樹の間に楓の紅、銀杏の黄色が広がる。紅色がだいぶ斑にに見えるのは、褪せ始めたせいかはたまた今年の天気のせいか。

 ついで清水寺界隈から将軍塚を目指した。東山山中にはあちこち散策路がつながっていて歩き易い。標高差100mほどの将軍塚まで、のんびり歩いても30分とかからなかった。


 将軍塚は、大日堂の庭の一角にある。由緒書きによれば、平安京を護るために武具を埋めた場所という。大日堂の庭園には何種類かの楓が植えられている。まだ盛りの色香を残してはいたが、やはり褪せてきている。

 将軍塚からは粟田口へと下った。杉林の中に続く道を麓まで20分ほどだった。

 曇り空で光が足りないのに加えて、色褪せていて奇麗な絵はほとんど撮れなかったが、せっかくなのでその中から3点添えてみる。


 これは、近所にある楓。グラデーションをかけたように斑。紅でも黄色でもないオレンジ色。例年はもう少し奇麗だったように思う。


 2点目は、大日堂の楓。写真の見た目よりは褪せ始めているのだが、奇麗に見えるように近寄って撮ってみた。


 最期は、尊勝院の銀杏。これは、今日東山で見かけた銀杏の中では一番奇麗だった。どのくらい奇麗に撮れているだろうかと思ったが、わりと見た印象に近い萌黄色に見える。


GoogleMap → 将軍塚尊勝院

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1990年中国紀行 <瑞麗>

 11月中旬、麗江から大理に入った時点で次にどこへ向かうかが決まっていなかった。当時既に雲南南端の観光地として知られていたシーサパンナへと行くという案もあった。

 1990年が始まった時点では、雲南省内では外国人が観光できる街はまだまだ限られていた。蒋介石支援ルートとしても名高い、大理からミャンマーへ向かう街道に沿ったエリアに入れるようになったのが、その年の夏のことだった。これを機会にと勧められる声に従って大理を後にしたのが11月半ばのことだった。

 雲南西端にある瑞麗は、ミャンマーとの国境の街として当時既に鎚音高く発展をうかがわせていた。大理から瑞麗まで蒋介石支援ルートを逆に辿る。ラオス、カンボジア、ベトナムと流れるメコン川、ミャンマーを縦断するサルウィン川が造る深い谷を、人が走る速度で喘ぎながら登るバスの旅で、保山で一泊してバスを乗り継いで丸二日を要するハードなものだった。先の大戦で、このルートを辿った日本軍が保山あたりまで入っていたことに驚きもした。



 瑞麗はタイ族が多く住む街で、郊外を歩くと上座部仏教らしいパゴダ(仏塔)をいくつか見ることができる。写真はその中で恐らく一番有名な廣母賀卯。廣母賀卯はタイ語の音写だそうで、中国語では姐勒金塔と書かれる。現地の案内板には、現在の塔は1967年建立の七代目で、高さ36m、直径30mとあった。


 この写真についてはかなり記憶が曖昧だが、パゴダに隣接したお堂だったように思う。自分には初めて見る上座部仏教の寺院で、奇麗に飾られた仏像と釈迦のエピソードを描いた天井画に日本の寺院との大きな違いを見たことは良く覚えている。


 瑞麗はそれほど大きい街ではなく、少し歩けば長閑な田園が広がる郊外に出る。水牛を見たのはこの時が初めてだった。


 街の南を流れる瑞麗川を渡し船が行く。写真の位置は既にミャンマー領。大雑把には瑞麗川が国境なのだが、街の南から西南にかけては今の川の北側にあったかつての流れの跡が今でも国境になっていた。陸続きの国境にはそれを示すものがほとんど無く、ふらふらと散策をしていると気がつけば越境してしまっていたというものだった。自分が初めて経験した陸の国境でもある。

 ミャンマーとの国境については、中国周辺の国境でも少し触れている。


 →Google Map 瑞麗市街廣母賀卯:上から見ると中心のパゴダを小さなパゴダが円形に囲んでいるのがわかる、瑞麗川、瑞麗川の北岸に飛び出した国境:Ω形に見えるのが中国ミャンマー国境で北が中国、南がミャンマー

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