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2008年1月30日

新s(あらたにす)

 「新聞こそが最も信頼性の高いメディア」、3紙共同サイトをアピール(INTERNET Watch)

 この記事によれば、日経・朝日・読売の3紙が共同のニュースサイト新sあらたにすを立ち上げるとのこと。明朝オープンらしい。

 何度か書いて来たことだが、ニュースを読むのにRSS機能とGoogleニュースを使っている自分には、母体の大きさは関係がない。見出しの集め易さが問題であり、次が記事の善し悪し。取捨選択の段階ではブランドは全く関係ない。

 使えるかどうかは、実際に立ち上がってからの話ではあるが、記事を見る限り自分の日常に変化がないように予想できる。記事を書いた人の問題なのか、発表した方の問題なのか今ひとつカビ臭い記事で、どうにも収まりが悪いので以下に揚げ足取りをしておく。

 「インターネットの普及をはじめ、メディアの多様性が進んでいるが、我々3社は新聞こそが最も信頼性の高いメディアであり、今後もそうあり続けたい」
 それは読む側が決めること、勝手に宣言されても困るので、中身で勝負して欲しい。
 読み比べることで、事件を多角的にとらえることができる
 見出しにひととおり目を通すので精一杯なので、大事件でもないかぎり読み比べることはない。それに読み比べなら今でもGoogleニュースでできる。
 独自のコンテンツとしては、各界の著名人が新聞記事を評論・解説する「新聞案内人」がある。
 看板には興味がないので、著名でなくて良いので唸るようなコラムを書ける人を。
 読者の意見をサイト上で紹介するコーナー
 読者とサイトの間に編集人が入るように読んでしまう。ブログや掲示板(承認制で多少タイムラグがあってもいいから)を直結するようなシステムでないと、まず読むことはない。
 RSSについては3社の取り組みが若干違うので、今後協議していきたい
 RSSが無いのは論外。Googleニュース経由で間接的にしかアクセスしないので、アクセスする機会は大きく減ることになる。


 「ネットで新聞復権を」 朝日・日経・読売が「新s」(あらたにす)(ITmedia)

 バックナンバーは1週間分掲載する。
 これも話にならない。過去ログは財産である。「10年前のあのニュースはどうだったか」というような検索ができるように蓄積が増えて行くのを期待しているのだが。半年や一ヶ月でも意味がないのに、一週間では紹介記事としてリンクを貼ることも躊躇する。

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2008年1月27日

竹島の地形図

 地理院、竹島の2万5千分の1地図作製…衛星資料をもとに(読売新聞)

 10日ほど前のニュースだが、国土地理院は人工衛星のデータをもとに竹島の地形図を作成したとのこと。これは、地理院のHPで見ることができる。

 →竹島(電子国土地図)

 ニュースにもあるとおり、最高地点で168メートルと97メートルという標高をもつ東西2つの島と沢山の小さな島があり、さほど大きくはない岩だらけの孤島であることが読み取れる。

 ところで、上のニュースには次の一文がある。

 韓国が設置した接岸施設や建物は、不法構築物として地図に記載していない。
 例えば以下のサイトを見れば、東島の西岸にある岸壁や東島の尾根の上にある建物が確認できる。

 →NUGUNI(韓国語)

 「不法建築物は地図に載せない」という考え方は初めて聞いた。本当に地理院の規則にあるのかどうか。この施設は、見た感じとして仮設のものではなくかなり恒常的なものと写真から見て取れる。それが如何なるものだったとしても、そこに実際にあるものが記載されていないという意味で、竹島の地図には間違いがあると言うこともできる。竹島の地図は、新しく作られたばかりなのに、最初から間違いがあるという宿命を背負わされた地図である。あるいは、描かれるべきものを描いてもらえない可哀想な地図というべきか。

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2008年1月26日

雪の安土城

 滋賀県の安土まで、安土城考古博物館で行われている企画展信長と安土城を見に出かけた。真冬の安土に出かけるのは初めて。京都ではさほどではなかった雪が数センチ積もっている上に、時折風とともに視界を曇らせる程に降って来た。雪と安土を結びつけて考えたことはなかったが、信長の記録やあるいはドラマなどの中で雪の描写というのはあったのだろうか。

 企画展はというと、信長とはあるが扱っている範囲はもう少し広く、信長に関係する羽柴秀吉、明智光秀、浅井長政、あるいは本願寺の顕如などの他、信長以前を含む戦国期の六角氏関係のものも展示されていた。

 手紙などの文書類の展示が多く、それぞれに解説、釈文、意訳が添えられていた。いつもながら草書が一朝一夕では読めないことを再認識する。かろうじて判読できたのは、惟任(明智光秀の名字)と羽筑(羽柴筑前守の略)くらいか。

 文書類以外というと肖像画が目に留まる。原本と復元模写が半々くらいだったか。信長や浅井長政は本で見た覚えのあるものだったが、信長の嫡男信忠のもの2点のうち1点は初めて見るものだった。展示物のかなりの部分が2月26日で入れ替えになるとのこと。もう一度行こうかどうしようか。


 折角安土まで出かけたので、雪中ではあっても城に登らないわけには行かない。昨秋登れなかったという恨みもある。


 大手道を登りきったところから見下ろしたところ。下界、周囲とも真っ白。木々にかなりの雪が積もっていて新しく降る雪以上に木から落ちる雪に見舞われた。


 天主台跡を石垣の上から見下ろした所。雪の上に顔を出している大きめの礎石が、規則的に並んでいるのが解る。

 数日前ブログ泰巖宗安記の記事安土城の大手道は無かったで、伝本丸と伝二の丸が話題になったこともあり、雪の中ではあったがじっくりと見比べてきた。


 杉が鬱蒼と茂る伝本丸。奥に天主台の石垣が見えている。


 こちらが伝二の丸。ここには、秀吉が築かせたという信長の廟が建っている。

 現地を歩いたからといって、上の話題に大した答えが出るわけではないがそれでも考察してみる。地図とかで見比べてもそうだが、広がりとしては二つの間にさほどの優劣はないように思う。現地での印象は、本丸は杉が生い茂り、二の丸は真ん中に廟が鎮座していて良く解らない。ただ、二の丸の前に立った時、自分が立っている下の段と二の丸のある上の段との段差が印象に残った。地図を見るとその段差は4メートルほどで、そのまま本丸よりも高いことになる。また、二の丸の前には黒金門を含めて3つの門があったとされることもあり、石垣に二重に囲まれた二の丸の方が守りが固いように見えた。

 ということで今日の自分の判断は、これらの印象から本丸よりも二の丸の方が格上ということにしておく。その二の丸が、信長の居所なのか天皇の御殿なのかはまた別問題だが。


<今日の収集品>
開館15周年記念 第35回企画展
信長と安土城
---収蔵品で語る戦国の歴史---
安土城考古博物館 2008.1

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2008年1月24日

(書評)イスラーム農書の世界

世界史リブレット 85
イスラーム農書の世界
清水宏祐 著
ISBN978-4-634-34850-9
山川出版社 2007.12

 農書とは、農作業をどのように行うかを具体的に記した実用書のこと。中国の歴史を読んでいてそういう実用書を書いた人物を紹介しているのに出会った記憶があるが、農書そのものを採り上げて紹介しているものを読むのは初めて。全く未知な世界である。

 また、当然ながら本書は世界史シリーズの中の一冊なので、歴史上の農書であって、古文献研究の一端でもある。実用書の文献という分野も自分には珍しいが、本書はその中でもイスラーム世界で纏められ伝えられてきた農書の話。現存するものとしては、10世紀にイラクでアラビア語で書かれたものがあるとのこと。1章では、そのようなイスラーム世界で書かれた多くの農書が広く紹介されている。

 その中に、16世紀のヘラート地方(アフガニスタン北西部)でペルシャ語で書かれた『農業便覧』という農書があり、2章から4章ではその中から具体的な中身が紹介されている。それらは、土壌や灌漑のことから、種蒔きや収穫の季節のことまで全く現代でもそのまま使えそうな技術論から、一方で見ようによってはかなり頓珍漢な農業占いの話まである。中央アジアらしく、葡萄に95種類もの品種名があるといい、その名前の意訳が紹介されていたりする。


 本書は、なによりも普段読む機会の無い歴史的な実用書の紹介というだけで興味深い。読み終わって思い返せば、農業技術というのはなんら漠然としたものではなく、このような具体的な情報(紙ではないものも含めて)によって伝えられてきたという至極当然な点に立ち返らされた。

 また、これらイスラーム世界の知識はスペインを通じてヨーロッパに伝えられ、近代農学へと繋がることに触れられていた。日本における近代農学もその延長線上にあるわけで、学生時代に学んだことを奇麗さっぱり忘れているということかもしれない。小冊子ながらなかなか興味深く、かつ新しい世界を見せてくれる面白い一冊だった。


<目次>
1 農書の成り立ち
2 農書を読む
3 乾燥地と乾燥地農業
4 農書から広がる世界
5 農書写本の世界

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2008年1月23日

別冊歴史読本と歴史群像シリーズ

別冊歴史読本93号
事典にのらない戦国武将の居城と暮らし
ISBN978-4-404-03393-2
新人物往来社 2008.1

 戦国武将とあるが、扱っているのは戦国時代後半から江戸初期にかけての全国の武将70余人。彼らに関わりの深い城を一人に一城設定した属地的なコラム集。2ページから6ページと文字量はそれぞれ。築城や籠城にまつわる話もあれば、もう少し人物寄りの話もある。40人ほどの著者が執筆していて、オムニバス的な内容。

 巻頭に、「信長・秀吉・家康 洛中の居館と宿所」という企画があり、三者の寄宿した寺や屋敷について簡単に解説されている。

 豊泉堂雑記の河合さんが、小早川秀秋、福島正則、加藤嘉明を執筆されている。
 

 

歴史群像シリーズ
【決定版】図説 薩摩の群像
---鎌倉武士から幕末・維新まで 時代をかけ抜けた男たち
原口泉 監修
ISBN978-4-05-604834-6
学習研究社 2008.2

 開祖とされる島津忠久からの島津氏の歴史と西南戦争までの鹿児島の歴史を解説したもの。写真や図版、イラストが多く、タイトルに図説とあるとおり。全5章よりなるが、幕末を扱った第4章「動乱の時代」3分の1強を占めるが、第1章「関が原以前」は20ページ余しかない。江戸時代の薩摩、とくに重豪あたりは知らないことだらけなのでちょっと勉強を。

 膏肓記の桐野さん、橋場の日次記の橋場さんが寄稿されている。

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2008年1月22日

日本の新幹線建設は

 今や新幹線建設は、世界的な流れである。世界のどこかで建設が続いていて、いつの間にか新しい路線が開通している。新しいところではスペインだろうか。

 マラガに高速鉄道AVE開通(スペイン政府観光局)

 日本でも、3年後に東北新幹線が青森まで延び、九州新幹線の博多と八代の間が繋がる。だいぶ先の話だが、北陸新幹線が7年後に金沢まで、北海道新幹線が8年後に函館までの開通を目指して工事が行われている。


 北陸新幹線一括認可を公明党に陳情 福井県知事と県議会議長(産経ニュース)

 このニュースは、北陸新幹線でもまだ着工の目処の立たない金沢以南のもの。「金沢〜敦賀間一括認可」とは、関西から北陸へ向かう場合、敦賀で在来線の特急から新幹線への乗り換えを強いるということだ。これは、現在九州新幹線の新八代で行われていることの模倣ではあるが、不便であることに変わりはない。その不便をソフト面でカバーしている九州新幹線の真似事を北陸でできるかという点には疑問が残る。

 金沢以南の建設にはこの他にも大きな問題があり、北陸新幹線建設促進同盟会のHPには、東京と大阪を結ぶ「第2の東海道新幹線」と謳われているが、果たして自分が生きている内に実現するかどうかというレベルである。JR東海が自力でリニア新幹線を開通させてしまう方が先かもしれない。

 JR東海、リニア新幹線を自己負担で建設・総事業費5兆円(NIKKEI NET)

 北陸新幹線の問題点は、次の一文を参照されたい。

 北陸新幹線の福井以南ーフル規格での建設は無理だと心得た方が良い
 「北陸新幹線乗り換え案」は容認できない
  (整備新幹線の今がわかるページ


 新幹線でもうひとつ。建設の是非が長年争われてきた九州新幹線長崎ルートについて、突然認可されることになった。

 九州新幹線長崎ルート 長崎市までの延伸実現をもとめへ推進委員会が国に陳情(九州企業情報)

 自分には、なぜ長崎ルートが必要なのかいまだに良く解らない。新幹線ができれば人の流れは確かに活発になるが、宿泊客が増えることにはあまり繋がらない。長崎ルート上には、駅の名前として武雄、嬉野という昔栄えた温泉地が並んでいる。今国内で人気の温泉地の多くは交通が不便な所にある。それが良さなのである。武雄、嬉野に新幹線が開通すれば一部人気旅館以外には、閉めるか日帰り温泉に看板を変えるかの厳しい選択が待っている。

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2008年1月21日

(書評)ロシアとアジア草原

ユーラシア文化史選書
ロシアとアジア草原
佐口透 著
ISBN4-642-08003-1
吉川弘文館 1971.4

 一昨年お亡くなりになられた著者の佐口氏について直接のご縁は全く無いのだが、今の自分にとっては大陸の歴史に関心を持つ上で特別な存在の一人である。佐口氏と聞いて自分が思い浮かべるのは、モンゴル帝国史(ドーソン著、平凡社 東洋文庫)である。氏が訳されて膨大な注を追加されたモンゴル帝国史全6冊は、集史の全面的な邦訳が未だにないこともあり、今日でも自分のような在野のモンゴル好きには欠かせないシリーズである。

 本書は、その氏が残された数少ない一般向けの単行本の一冊であるようだ。今読んでも名著であると聞き古本屋から取り寄せた。

 本書の扱う範囲は、16世紀の中頃から19世紀初頭までのトルキスタンの歴史。もう少し具体的にいうと、ロシア帝国がヴォルガ川流域を征服して中央アジアに接触するようになってから、ロシアが直接支配に乗り出すまでの間の中央アジアの歴史を解説したもので、タイトルにあるようにオアシス地帯ばかりでなく草原地帯に光が当てられている。下に書き出した目次のようにテーマ毎の章立てという体裁だが、大まかには年代順に記載されていて通史としても読むことができると思う。

 また、貿易という章があるように本書では、中央アジアを介した貿易についての話が重要な部分になっている。文献を駆使して貿易の具体的な中身が解説されていて、何がどこからどこへ運ばれたのか説明されている。自分としては、政治史よりは退屈に思いがちな経済史部分について、そう思うことなく興味深く読了できたのは本書の魅力のひとつではないかと思う。


 本書が世に出てから既に35年が過ぎているが、少なくとも情報量の多さにおいて本書の扱う時代を網羅して本書を上回る本はまだ無いように思われる。自分が持っている高校世界史的なイメージで言えば、本書が扱う時代はモンゴル帝国やチムール帝国が姿を消してからロシアの色が着くまでのあまりはっきりとした色が無い時代である。その時代の総合的な解説からひとつのイメージを持てるという点で、まず本書は貴重な一冊である。

 また、本書は単純な政治史ではなく、中央アジアらしく外交史、経済史の要素を多く盛り込んでなお読み易く纏められている。最近の本と比べるとやや纏まりの無いカタカナ表記に時代を感じるものの、内容的には前評判どおりの一冊だった。当然ながら、本書以降で各論として研究が進んだ部分は多々あると思うのだが、それについても本書を土台として手を広げて読み進めるという方法は良い一手と思われる。これらの意味で、古本としてしか入手できない一冊ではあるのだが、近世中央アジア史の入門書としてお勧めできる一冊である。


<目次>
序章
1章 ロシアと《絹の道》
 1 モスクワ国家の東洋貿易
 2 《カタイ》への道
2章 インドへ向かうモスクワの眼
 1 ロシアとカザーフ草原
 2 ピョートル大帝とインド
3章 ジュンガル王国と東西交渉
 1 ジュンガル騎馬民国家の興亡
 2 ジュンガル王国と定住文明
4章 乾隆帝と中央アジア
 1 清帝国領中央アジア
 2 清朝とイスラム
5章 アジア草原の国際貿易
 1 パミール周辺の中継貿易
 2 カザーフ草原の国際貿易

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2008年1月20日

給油法とアフガニスタン情勢

 給油新法、成立・衆院本会議で再可決(NIKKEI NET)

 いつの間にか決まってしまったという印象でいる。ニュースを読んでいないわけではないが、テレビのニュースを見なくなって数ヶ月、ネット上のニュースサイトでタイトルだけでも眼を通すものが毎日数百件、その中で国会関係はほとんど眼に留まることが無かった。自分が何を選んで読んできたかということなので、世間的になにがトップニュースだったのか必ずしも判っていない。ただ、関連ニュースを読み返す限り国内問題としての要素が強くて、小沢氏退席の本当の「理由」 (産経ニュース)あたりが賑わしとして眼につくところを見ると、法案の本質問題、詰まる所今後アフガニスタンがどうなるのかという点について、国会的にも世間的にも議論されたのかということに疑問を持ってしまう。

 自分としては、昨年10月に書いたアフガニスタンの中での

 日本政府の給油や国際貢献などの問題について、ことアフガニスタン関係では反対の位置に立つべき
という判断に今のところ変わりがない。このエントリー以来3ヶ月、アフガニスタンについては悪いニュースだけが断片的に伝わってくるという状況にも変わりがない。


 高級ホテルで自爆テロ、7人死亡 タリバーン犯行認める(CNN)

 このニュースの衝撃は、現在パキスタン在住のaokikenta氏のブログの記事、カブール・セレナホテルでの惨劇(アフガニスタン/パキスタン駐在日記)から伝わってくる。急激といえるかはともかく、悪化の一途という印象である。


 ブット氏暗殺犯は「メフスード司令官」米政府名指し(産経ニュース)

 このニュース自体は、先日書いたブット元首相暗殺に続くパキスタン関連の続報である。ここで紹介されている司令官がアフガニスタンに関わる。何度か目にして記憶していなかったが、山本芳幸氏のブログの記事、メスウッド---遅れてきた青年(yoshilog 2.0)を読んで少しの驚きとともに覚えてしまった。34歳というのは私から見てもだいぶ若い。アメリカ政府発表はともかく、今後名前を目にする機会が増えそうなのでちゃんと覚えておく。

 この他にアフガニスタンの状況を伝えるものとして、昨年10月に書いたアフガニスタンの中で紹介した中村哲氏の報告とその続報が以下のリンクから読める。

 診療の拠点をアフガニスタンに(ペシャワール会報93号:2007年10月)
 迫りくる大凶作(ペシャワール会報94号:2007年12月)


 新しい給油法が、外交辞令以上の賞賛を得られるものなのかどうか。共和党政権の余命が一年の可能性が十分あるだけに、アメリカに対して切り札にならない可能性もまた十分にあるように思う。

 向こう一年、アフガニスタン情勢が劇的に動くとすればタリバン次第に思えるのだが、次のようなニュースもあり政情の安定は期待薄である。

 ブッシュ大統領、米軍3200人のアフガニスタン増派を承認(AFP)

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2008年1月19日

二つの独立問題

 たまたまではあるものの、洋の東西で独立が話題になっているので採り上げてみる。

 コソボ独立「決して認めない」 安保理協議でセルビア大統領(産経ニュース)

 コソボは、まだ名目上はセルビア国内の自治州だが、ユーゴスラビア崩壊とその後続いた紛争の結果として、9年近く国連監視のもとで実質的にセルビアから切り離す形で自治が行われてきた。このニュースによれば、コソボが正式に独立するのかセルビア国内に留まるのかについて、国連安保理で行われた協議において、

 セルビアのタディッチ大統領は、「コソボの独立は決して認めない」と改めて独立を承認しないと明言、安保理での交渉継続を訴えた。
とのことだ。これは、昨年行われた自治州議会総選挙の結果として、今月発足した州政府サチ首相が述べたという「数週間以内に独立を宣言する」を強く意識したものと思われる。

 その発言についての記事 → コソボ自治州で大連立政権発足(産経ニュース 1月10日)

 この問題について、現地を知らない自分に良否の評価はなく、ただ民族の自立を種にすることの限界を見るのみである。大国に翻弄されてきたとされる人々が自立するための民族という方便は、一度対立の火種へと転化されると簡単に静まることがないという結果に何を学ぶべきかと考える。


 「独立せず」、総統選候補者・馬英九が「三つのノー」政策を主張---台湾(Record China)

 この中に以下のような記事がある。

 国民党の総統選候補者・馬英九(マー・インチウ)氏は台中関係について、「統一せず、独立せず、武力行使せず」という「三つのノー」政策を採用すると話した。
今月12日に行われた国会選挙で国民党が大勝したが、馬氏は3月に行われる総統選挙におけるその国民党の候補なわけだ。

 国会選挙についての記事 → 台湾の立法院選挙、最大野党の国民党が圧勝(ロイター)

 台湾は、既に50年来実質的に独立国であり、独立に絡んで民族問題があるわけでもない。その台湾に看板として独立を称えないことに、どれほどのメリットがあるのだろう。台湾の独立が確定することで中国に暮らす人々が自治に目覚めることになれば、それは多くの人々にメリットを生むことになると考えているのだが、短絡に過ぎることは承知している。


 どちらも実質的には独立国だが、そもそもその実質に大きな違いがあり、今後数年間の変化にも大きな違いがありそうだ。とりあえず、どちらにもこれ以上の悲劇が起こらないことだけは願っておきたい。

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2008年1月16日

建設ブームが続く中国

 オリンピック前景気とはいえ、最近の中国からのニュースでは、鉄道や道路建設のニュースが毎日のように見られる。今年に入ってから、目についたものを並べただけで以下のとおり。

 幹線高速道路網ほぼ完成、今年さらに5000kmが開通---中国(Record china 1月5日)

 年内だけで5000km、総延長は既に5万km。日本が総延長9000km(全国高速道路建設協議会)。国の大きさが桁違いとはいえ、中国の高速道路のほとんどがここ十数年にできたもの。平野部が広いとはいえ、四川や雲南などの山間部にも伸びている。

 南京:第4の長江大橋を着工、2013年開通予定(中国情報局 1月7日)

 いつのまにか3本も架かったのかと思う。一本目の南京長江大橋は、それ自体が観光名所だった。

 市内からわずか16分に!空港エクスプレスが7月に開通---北京市(Record china 1月10日)

 北京空港から市内まで、高速道路を走るバスに乗ったときは便利になったと思った。市内から16分と聞けば羽田よりも便利かとも思うが、東直門は旧市街の北東端で、そこで地下鉄を乗り継ぐ手間と大きな荷物を考えれば直通バスの方が楽か。

 「京滬高速鉄路」:18日に着工へ、工期は5年(中国情報局 1月14日)

 昨年買った時刻表に載っている一番早い列車で北京上海間が10時間。これでも少し前と比べるだけでかなり早いが、5年後には更に半分の時間になる。オリンピックはどうでもいいが、これが開通したら乗りに行ってみようか。


 北京オリンピック開催が決まったころ、経済発展の様を捉えて日本における東京オリンピックと中国での北京オリンピックという比較を適当にしていた記憶がある。テレビとかでも採り上げていなかっただろうか。最近はさっぱりする気はおきないし、コラムとかで読んだ記憶もない。

 発展のスピードに違いを感じるということもあるが、東京オリンピックから44年という時間はかなり大きいと感じる。数年前に中国を歩いていて思ったことなのだが、東京オリンピック当時の日本は、ようやくカラーテレビの普及が始まったところで、新幹線が500km、高速道路は180km。インターネットはおろか、携帯電話もパソコンも夢の世界の代物だった。

 今の中国はそれらが全部一度にとても早いスピードで普及している。回線電話の普及する前に携帯電話が普及したという世界だ。それってどうなのだろう、ついて行けるスピードなのかな。現地で浮かれたように華やいだ雰囲気の街を歩きながら、それでバランスが取れるかなと漠然と、たいした根拠もなく思ったという落ちとしては締らない話。

 そういえば、その華やいだ街を歩いたのは2005年5月、反日運動の最中といわれた時だった。一地方都市には反日の欠片も無く、人民服を着た老人と日本人と見分けがつかなくなった女の子を見比べたり、ネットカフェで映画を見ながらチャットをする子供を見ながらそんことを考えていた。

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2008年1月14日

海路 第5号

海路 第5号
「海路」編集委員会 発行
ISBN978-4-87415-659-9
海鳥社 2007.11

 巻頭特集が面白そうなので、海路という雑誌を初めて買ってみた。編集後記によれば、当5号より、昨年7月に発足した「九州学」研究会の機関誌という位置づけになったとのこと。2004年創刊の不定期刊行誌のようだ。3号以降は海鳥社からの出版だが、1、2号は石風社より出ている。

 巻頭特集は、「九州の城郭と城下町[中世編]」というもので、特集のみ目次を書き出すと以下のとおり。

 16世紀のBungoと大友宗麟の館 鹿毛敏夫
 筑前国秋月氏の城郭 中村修身
  ---巨大規模城郭とそれを支えた組織
 戦国期北部九州の政治動向と筑紫氏・勝尾城 堀本一繋
 大津山関城と鷹ノ原城をめぐる若干の問題 丸山雍成
 シラス台地の広大な城 三木靖
  ---南九州における有力領主層の本城
 中世城郭の終焉 宮武正登
  ---豊臣秀吉による名護屋城築城の意味

 秋月氏や筑紫氏について山城の話を絡めながら紹介されているのが興味深い。山城の話が多く、以下の各城の縄張り図が添えられている。

 筑前国秋月氏の城郭
  荒平城郭群、古処山城郭群、益富城塞群

 大津山関城と鷹ノ原城をめぐる若干の問題
  藟嶽城、鷹ノ原城

 シラス台地の広大な城
  伊作城、清色城、市来鶴丸城、伊集院城、穎娃城、志布志城、高山城

 中世城郭の終焉
  名護屋城、人吉城

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2008年1月12日

何度目かのGoogle Mapで中国

 GoogleMapで見られる航空写真は、ここで既にいくども採り上げてきた話ではあるが、今でも初めて見る所についての驚きや新鮮さは変わらない。解像度の低い写真が使われているところがまだまだ多く、特定の場所を探してがっかりすることもしばしばだが。

 日本国内についは、県庁所在地など解像度の高い写真を使っているところが最初に比べて増えたとはいえ、最近更新がなされていないように思う。中国では、最近高解像度の写真に切り替えた場所が増えた。以前がっかりした場所を中心にいくつか見てみる。

 1990年中国紀行 <洛陽>で紹介した、洛陽の東郊にある白馬寺。門前あたりから境内の様子まではっきりと判る。

 敦煌の南郊にある映画『敦煌』のセット。以前はギリギリ範囲外だった。今でも自分が訪れたころとさほど変わらずに維持されているのだろう。

 トルファンは新疆地域でも代表的な観光地なのに、なかなか解像度の高い写真にならなかった。ようやく奇麗な画像で見られるようになったのがかなり嬉しい。1990年中国紀行 <トルファン>で紹介したときには、場所を特定するのに苦労したところばかり。トルファン市街中心部。建設ラッシュの続く今の中国にあっては、市街地の広がりはまだ小さいように思う。写真が少し古いのか、トルファンが時代から取り残されているのか。塔が奇麗に映っている蘇公塔。トルファンで一番好きな場所、交河古城の中心部。前に紹介した時には、微妙にずれていたことが判明したベゼクリク千仏洞も簡単に見つかった。郊外を見ればカレーズの縦穴の列まで奇麗に見える。

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2008年1月 9日

歴史群像 2月号

歴史群像 2008年2月号 No.87
雑誌 09677-02
学習研究社 2008.2

 橋場の日次記の橋場さんの一文が掲載されていたので購入してきた。特集のタイトル「再考 桶狭間合戦---浮上する“迂回奇襲”の可能性」。信長好きの自分にはとても気になる特集。従来とは異なる新しい迂回奇襲説を提起されている。

 巻頭には別企画で「“奇襲”を演出した野戦築城 尾張 桶狭間付城群」がある。桶狭間周辺の鳥瞰図のほか、付城群のイラストも付く。じつはまだ桶狭間周辺は歩いたことがない。今年はひとつ尾張遠征を企画しようか。

 この他に、スペインで見つかったという秀吉所縁の甲冑の話、大河ドラマに被る島津斉彬久光兄弟の話が載っている。

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2008年1月 6日

2008年の大河ドラマ

 今年も大河ドラマが始まった。幕末史というのは自分には守備範囲外なので、歴史うんぬんという話はほとんど抜き。見ていて面白かったら、辞典でもひっくり返すか、ネットででも調べるか、よほど気に入ったら原作でも読もうかという体制。それと、詳しい方々がブログで解説されるのを楽しみに待つというところ。

 今日の第一話は、1時間が短く楽しく見終わった。初回だからというものかどうか、前半に活躍する人達に配されたベテラン俳優が贅沢に働いていた。長編ドラマの配役の難しいところか、設定年齢よりもかなり役者の年齢が高かったなあ。50歳を前に亡くなった斉彬に、高橋英樹よりも適役はいなかったのだろうか。久光役の山口祐一郎と親子みたい。

 平幹というと1988年の大河ドラマ武田信玄の武田信虎役の少し怪しいイメージ。適度に年を取って複雑な顔を見せる面白い演義だった。次回?で退場するのがもったいないか。

 堺雅人はいまだに4年前の新選組の山南のイメージのまま。徳川家定の設定は極端すぎないのかな??


 昨年の勘助は、秋頃まで粘って力尽きた。日本の戦国史はそれなりに五月蝿い目で見るので、勘助のような設定の人物が主役というのは、いろんな意味で見ていて厳しかった。

 あまりツボを押えていない分、今年は純粋にドラマの面白さが出れば後半まで見られるかもしれない。ベテラン俳優が退場した後にだらけなければ。

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2008年1月 3日

選挙の年

 新年らしい話をひとつ。社会、政治の分野で今年一年を見通して今一番気になる話題は、といえば自分は選挙をあげる。何よりも今年は4年に一度のアメリカ大統領選挙の年。イベントとしてのスポーツにほとんど関心の無い昨今、開催地が北京であってもオリンピックそのものにはあまり関心が湧かない。

 何故アメリカ大統領選かといえば、ブッシュが選ばれていなかったらこの8年の世界はどうだったのかという所に行き着く。それに答えが出せるわけではないのだが、この8年間、アメリカを、ブッシュ大統領を起点に結果論的に肯定できない事件が随分とあったと思っている。

 アメリカ大統領選挙は一年がかり。
 民主、共和とも接戦模様、大統領選のアイオワ州党員集会(CNN)


 アメリカ以外でも気になる選挙がいくつかある。気になる順に挙げて行くとまず台湾。
 台湾の陳水扁総統「住民投票、中止せず」・米に反発(日経ネット)

 陳水扁の後任がどちらになるのかという問題もあるが、国連加盟の是非を問う住民投票が気になる。自分は、今後の中国台湾関係がどうなるかの前に、現状肯定として台湾は独立国として認められるべきと考えている。住民投票の結果としてその道が簡単に開けるわけではないと思うのだが、とりあえずどういう答えが出るのか。


 混乱の中で、選挙の結果よりも選挙が無事行われ、それが安定に繋がって欲しいという意味では、パキスタンの総選挙の行方も問題となる。そもそも2月に実施可能やいなや。
 パキスタン総選挙実施は2月下旬(AFP)

 先王の死去以来混乱の続いたネパールがこれで落ち着くのかどうか。カトマンズの王宮は新も旧も街の象徴である。次にネパールへ行く機会があるとしたら、カトマンズはどう変わっているのだろう。
 ネパール主要7党、共和制移行で合意王政廃止へ(CNN)


 立憲君主制へ前進、ブータンで初の議会選挙(AFP)
 ブータンの場合、今年の選挙に注目しているわけではないので、話としてはおまけとなる。このニュースを見るとブータンも変わっていくんだなと思うが、そのペースはとてもゆっくりだ。仕事といわず短期間で結果を求められる時勢ではあるのだが、国内で出会った30年、50年のスパンでの夢を語る人を思い出すと時勢に乗りたくないなと思ってしまう。

 ロシアでも3月に大統領選がある。こちらは選挙にも結果にもあまり関心が向かない。ネット上の情報を見る限り、大統領選挙自体は出来レースの公算が強そうで、その後のプーチンについて色々と憶測が飛んでいる。


 意図して海外の話ばかりではある。国内でいえば大阪府知事選が人気投票にならなければ良いがとか無駄な心配をしてしまう。とかく話題となる解散総選挙は、早くても来年の春、予算案成立後、遅ければ7月ころと予想している。

<参考>
 2008年選挙カレンダー同海外(JANJAN)

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2008年1月 2日

1990年中国紀行 <三峡下り>

 ミャンマー国境の街瑞麗を離れた後、大理、昆明と回って、当時はまだ四川省第二の街だった重慶へと移動した。先日のブログでも触れた三峡を下るのが目的だった。重慶には3日滞在したて街を少し歩いた。今まで食べたものの中で一番辛かった火鍋と安くて美味しいみかんが妙に記憶に残っている。

 三峡は、長江の中流、重慶市奉節から湖北省宜昌の間にある渓谷、瞿塘峡、巫峡、西陵峡のこと。その雄大な景観が長江下りのハイライトとなる。実際に下ってみて広くて高い峡谷の眺めは大陸的で期待を裏切らないものだった。私が長江を下ったのは1990年12月2日から5日のこと。改めて日付を書いたのは、既に三峡ダムが完成してダム湖が重慶市にまで広がり、Google Mapを見ただけでも大きく変わってしまったのが解るから。現地で見る三峡の風景はどのくらい変わっただろう。

 重慶から長江を下る時には、専用の観光船を利用するのが普通と思うのだが、途中の奉節に滞在して三国志関係の名所のひとつ、白帝廟をゆっくりと見て回るため一般の旅客船を利用した。重慶を早朝に出る船には、前夜から乗り込むことができた。奉節まで丸一日、24時間ほどかかり朝まだ暗い内に到着した。奉節から宜昌までは12時間ほどだったが、奉節を出たのが昼過ぎだったために宜昌への到着が深夜となり、今度は船内泊の後に下船した。宜昌入港直前に葛洲ダムの閘門を下がるところも見所だった。


 奉節の街から5kmほど下流、長江河崖の上に立つ白帝廟の門。劉備がここで亡くなったということだが、どのような城があったのだろう。


 白帝廟内に展示されているのが、床に伏せて死期が迫った劉備と取り巻きの人々を再現した塑像。中央奥に劉備、その左に諸葛亮、右に立つのが趙雲、さらに右に李厳。手前の二人は劉備の子供。


 船上からの瞿塘峡の眺め。正確な場所は不明。


 暮れなずむ三峡。時間的に巫峡と思われる。

 <Google Map>
 奉節白帝廟瞿塘峡巫峡西陵峡三峡ダム宜昌と葛洲ダム

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2008年1月 1日

初詣

 初詣は、今年も祇園さんこと八坂神社へ。4時過ぎともなると人通りも半減以下、四条通りの歩行者天国も解除され境内への入場制限もない。それでも人波は絶えず露天も盛況だった。


 夜の花見小路。さすがに人通りは少なく、赤い光が微妙に怪しくて昼間より好きかもしれない。


 いつの間にか改修の終わっていた祇園さんの西楼門。


 明るくなるのを待って初日に染まる街を見に散策に出かけた。今朝は思いのほか冷え込み、水たまりに氷が張っているのを見たのはこの冬初めて。


 つらつらと歩くうちに清水寺まで行ってしまった。東山が影になる京都の街は、西側が先に日の出を迎えていた。

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2008年新春

 明けましておめでとうございます。

 お酒のおかげで不覚にも、新年はうたた寝の中で迎えました。
 さてさて、今年がいかなる年になりますことか。


京都在住3年目で初めて見た八坂神社前、四条通りの歩行者天国、神社は入場制限中とのことなので自分の初詣は人通りが少なくなってから出かける予定


四条通り沿いのコンビにで仕入れてきた豚まん

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