雪の安土城
滋賀県の安土まで、安土城考古博物館で行われている企画展信長と安土城を見に出かけた。真冬の安土に出かけるのは初めて。京都ではさほどではなかった雪が数センチ積もっている上に、時折風とともに視界を曇らせる程に降って来た。雪と安土を結びつけて考えたことはなかったが、信長の記録やあるいはドラマなどの中で雪の描写というのはあったのだろうか。
企画展はというと、信長とはあるが扱っている範囲はもう少し広く、信長に関係する羽柴秀吉、明智光秀、浅井長政、あるいは本願寺の顕如などの他、信長以前を含む戦国期の六角氏関係のものも展示されていた。
手紙などの文書類の展示が多く、それぞれに解説、釈文、意訳が添えられていた。いつもながら草書が一朝一夕では読めないことを再認識する。かろうじて判読できたのは、惟任(明智光秀の名字)と羽筑(羽柴筑前守の略)くらいか。
文書類以外というと肖像画が目に留まる。原本と復元模写が半々くらいだったか。信長や浅井長政は本で見た覚えのあるものだったが、信長の嫡男信忠のもの2点のうち1点は初めて見るものだった。展示物のかなりの部分が2月26日で入れ替えになるとのこと。もう一度行こうかどうしようか。
折角安土まで出かけたので、雪中ではあっても城に登らないわけには行かない。昨秋登れなかったという恨みもある。

大手道を登りきったところから見下ろしたところ。下界、周囲とも真っ白。木々にかなりの雪が積もっていて新しく降る雪以上に木から落ちる雪に見舞われた。

天主台跡を石垣の上から見下ろした所。雪の上に顔を出している大きめの礎石が、規則的に並んでいるのが解る。
数日前ブログ泰巖宗安記の記事安土城の大手道は無かったで、伝本丸と伝二の丸が話題になったこともあり、雪の中ではあったがじっくりと見比べてきた。

杉が鬱蒼と茂る伝本丸。奥に天主台の石垣が見えている。

こちらが伝二の丸。ここには、秀吉が築かせたという信長の廟が建っている。
現地を歩いたからといって、上の話題に大した答えが出るわけではないがそれでも考察してみる。地図とかで見比べてもそうだが、広がりとしては二つの間にさほどの優劣はないように思う。現地での印象は、本丸は杉が生い茂り、二の丸は真ん中に廟が鎮座していて良く解らない。ただ、二の丸の前に立った時、自分が立っている下の段と二の丸のある上の段との段差が印象に残った。地図を見るとその段差は4メートルほどで、そのまま本丸よりも高いことになる。また、二の丸の前には黒金門を含めて3つの門があったとされることもあり、石垣に二重に囲まれた二の丸の方が守りが固いように見えた。
ということで今日の自分の判断は、これらの印象から本丸よりも二の丸の方が格上ということにしておく。その二の丸が、信長の居所なのか天皇の御殿なのかはまた別問題だが。
<今日の収集品>
開館15周年記念 第35回企画展
信長と安土城
---収蔵品で語る戦国の歴史---
安土城考古博物館 2008.1
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コメント
武藤様
雪中の二の丸の信長廟お参り、お疲れ様でした。
その4メートルの差ですが、当時どの様に繋がってたか不明です。現在の石段は、当時のものと違いますし。
かといって、三浦氏の案には否定的に思ってます。
投稿: k2 | 2008年1月29日 19時32分
k2さん、こんばんわ
そそ、不明なんですよねえ。信長廟に登って行く石段の前に立って、
これって手が入り続けているから、往時にここに石段があった保証はなにもないな
・・・とかいろいろと想像を巡らしてしばらく眺めてました。
ただ、段差自体はたぶん当時からのものだろうと思うので、伝二の丸の存在感自体は変わっていないように・・・想像してます。
私も三浦氏の案よりも、伝二の丸が格上だったとしても、伝本丸が天皇の御殿だと思っているんですが・・・永遠に空想のままで終わるのかな・・・
投稿: 武藤 臼 | 2008年1月29日 21時41分