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2008年2月29日

(書評)古代インド文明の謎

歴史文化ライブラリー 251
古代インド文明の謎
堀晄 著
ISBN978-4-642-05651-9
吉川弘文館 2008.3

 中央アジアの考古学を専門とする著者が、おもに先史時代中央アジアの考古学の成果をもとに、インダス文明とアーリア人の関係についての問題点を挙げ、それについて検討を加えたもの。

 本書は、表紙写真がインダス文明の人物石像なのに、古代インド文明となんだか良く解らないタイトルがついている。これは、インダス文明はそれ以後のインドと連続性のあるものであって、一連のものとしてインド文明と捉え、従来のインダス文明はインド文明の早期のものとして、インダス文化と呼ぶべきという筆者の考えに基づいている。

 筆者はまず、従来言われてきたとされるインダス文明は、中央アジア方面から侵入したアーリア系の遊牧民によって滅ぼされたというインド・アーリア人征服説に疑問を唱える。それに続く部分が本書の中心で、主にインダス文明や中央アジアの先史時代の考古学について解説している。それによって、インダス文明とその後のインド、および中央アジアの関係を考察して、征服説への反論としている。

 最後の章では、人類学、言語学、考古学などによってインド・アーリヤ人の起源を考察している。筆者は、8千年前の原初西アジア型農業の担い手にその起源を求め、インド・ヨーロッパ人北シリア起源論を提唱している。


 インダス文明が外来勢力の侵攻によって滅ぼされたわけではなく、以後の時代に継続性があるとう仮定について、自分にはさほど異論はない。インダス文明は滅ぼされたのではなく、徐々に衰退したという説はかなり有力ではなかったか。筆者は滅亡の反証として周辺の考古学について解説しているが、インダス文字や分銅、出土物の宗教的な要素などについてはかなり興味深い話だった。

 しかし、筆者が論を補う為に使っている考古学以外の部分の説明はちょっと簡略にすぎる。そのために、いいとこ取りであるようにも見えてしまう。また、インド・ヨーロッパ人北シリア起源論についても、結論にまで持っていく材料の提示と文章そのものに説得力が感じられなかった。

 その材料という点では、サテム群とケントゥム群、フィン・ウゴル語といった自分には触れられるべきと思える言葉が出てこないこと、古代セム語について簡単に片付けてしまっているように見えることに不満が残る。これは、自分が最近の研究を知らないからなのかもしれない。それでも文脈的に説得力がないことには変わりがなく、西アジア型農業を担ったのがインド・ヨーロッパ人であって、彼らが農業と共に拡散していったという説に説得力を感じないのも同様である。

 左の図は本書140頁掲載のもので、ニュージーランドの言語学者、R.D.グレイの論文からの援用と思われる(クリックで大きな画像が開きます)。自分にとっては今まで見た事が無いタイプの系統樹で、どういう根拠に基づくものか、どの程度の精度のあるものか興味があるのだが、どこかに解説がないものか。


 本書によれば、筆者は南アジアに関わるプロジェクトを立ち上げる最中にあるようだ。インダス文明やインド・ヨーロッパ人の起源といった問題は、ともて興味深いものであり今後面白い成果が出て来ることを楽しみに待ちたい。


<目次>
インド史の素朴な疑問---プロローグ
インド・アーリヤ人征服説の誕生
 インド・ヨーロッパ語族とは何か
 言語学と考古学
インドアーリヤ人征服説とは何か
 インドアーリヤ人征服説を検証する
 インダス文字の世界
 古代インドの都市計画
 中央アジアの考古学
 分銅から見た中央アジアとインド
 中央アジアにおける交易
インドアーリヤ人の起源
 南アジア人の人類学的位置
 インド・ヨーロッパ語の系統樹
 考古学の成果
新しいインド文明像を求めて---エピローグ

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2008年2月28日

景教僧の旅行誌

元主忽必烈が欧洲に派遣したる
景教僧の旅行誌
E.A.Wallis Budgw 著
佐伯好郎 訳補
春秋社松柏館 1932.9

 モンゴル帝国と長いその後(講談社)の参考文献に載っていた一冊。何となく興味が湧いたので、見つけた古本を注文したらもう届いた。便利なことこの上ない。

 500頁近い大著で、書体と旧漢字使い、外来語表記が戦前の本らしい。単なる旅行記でなくネストリウス派キリスト教や、関係するモンゴル帝国の状況にも触れている。読み付けない文章と思われるので苦戦しそうだが、思いのほか面白そうなので、どこかで一度気合いを入れて挑んでみようか。

 かなり長いが、目次だけでも面白いので書き出しておく。旧漢字は新字に変換し、フリガナは初出のみカッコ書きしている。写真と図版の目録は省いた。

<目次>
訳補者の自序
バッヂ博士著書目録
原序
凡例

一 概論
 1 景教徒と景教教理の大要
 2 景教の開祖ネストリウスの異端問題
 3 景教の進歩と発達
 4 土耳機斯坦の景教化
 5 支那に於ける景教教会の瓦解
 6 景教の信仰箇条及びその教理
 7 支那の景教僧掃馬(ソーマ)法師および馬可(マコ)法師の西域旅行
 8 蒙古の牌札(パイザ)(封冊)
 9 景教僧掃馬法師の欧洲旅行
 10 掃馬法師蒙古に帰る
 11 景教第五十八代の教父・法主雅八・阿羅訶・麿(パトリヤーク カソリコス ヤーワハ アーラハ マル)第三世
 12 波斯の伊児汗(イルカン)王朝
 13 中央亜細亜及び支那に於ける景教の衰亡
 14 近代の景教徒
 15 雅八・阿羅訶・麿三世の信仰箇条
 16 附記(第一)蒙古帝国盛衰記
 17 蒙古人と基督教
 18 蒙古語
 19 第十三世紀に於ける回教の勃興
 20 附記(第二)支那陝西省西安府大秦景教流行中国碑

二 本文
 本書をシリヤ語に翻訳せし人の祈祷及び序文
 1 掃馬法師の史伝
 2 景教の法主雅八・阿羅訶・麿第三世の史伝
 3 掃馬法師および馬可法師聖地エルサレム参詣を企つ
 4 馬可法師は京城(メトロポリタン)大徳に任命せられ名を雅八・阿羅訶・麿と改称せられ掃馬法師は巡錫総監(ヴィジターゼネラル)大徳に任命せらる
 5 雅八・阿羅訶・麿景教法主の位に即く
 6 アハマドの時代に至り雅八・阿羅訶・麿法主は誣告讒訴の為に危難に陥る
 7 掃馬法主は阿魯渾王陛下及び教父法主雅八・阿羅訶・麿の命を受けて羅馬に派遣せらる
 8 阿魯渾(アルゴン)王の崩御及び治績
 9 該哈図(カイハト)王と雅八・阿羅訶・麿第三世との関係
 10 掃馬法師の入寂並に該哈図王及び海都(バイドー)王の崩御
 11 雅八・阿羅訶・麿第第三世及び基督教徒等迫害せらる
 12 合賛(カサン)王陛下法主雅八・阿羅訶・麿第第三世に敬服す
 13 瑪刺希(マラグハ)に於ける再度の殺戮略奪
 14 阿裴拉(アルビル)(旧名アルベラ又はエルベラ)城砦に於ける反乱及び闘争
 15 雅八・阿羅訶・麿第第三世僧道院を建立す
 16 合賛王の崩御並に法主雅八・阿羅訶・麿第第三世に対する合賛王の寵愛
 17 ウルジャイト王と法主雅八・阿羅訶・麿第第三世との関係
 18 阿裴拉に於ける景教徒の虐殺
 19 雅八・阿羅訶・麿第第三世の永眠

附録
 1 元寇撃滅の世界歴史的意義
 2 支那に於ける景教
 3 基督各派概略一覧表(東方基督教を示し景教の位置を明にす)

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2008年2月26日

道州制について

 地域主権型道州制(PHP研究所)への反論かたがた、感想文の枠からはみ出る部分について少し書いてみる。

 自分は、道州制を導入するのであれば、一種の連邦制として地方主導で新しい地方自治の形を造る、という方向でなされるべきと考えている。このことは、以前に道州制特区広域行政推進法案の中でも書いた。これには、平成の大合併は中央主導による地方自治の破壊、という意味が大きかったという前提がある。ただし、この方向で突き詰めていくと、枠組みとしては道州制でなくても都道府県の再編で十分というところに行き着く。

 地域主権型道州制の中で著者は、効率的な行政の為には「12の州、300の市」が適当として、人口規模の平準化を示している。自分は、そういう意味での平準化が、地方自治にとってはそれほど重要ではないのではないかという疑問を持っている。wikipediaのアメリカ合衆国の州によれば、人口最大は3400万人のカリフォルニア州、最小は50万人のワイオミング州。カリフォルニア州は東京都の3倍であり、ワイオミング州は人口過少な県として問題視される鳥取県や島根県よりも少ない。一例に過ぎないが、規模の大小は枠組論として大騒ぎするような前提ではないと考えている。


 頑張っている市町村として、過去にニュースになり、記憶に残っているものを挙げてみる。10年前に住民直接参加が話題になり、昨今は国際スキーリゾートとして有名になった北海道ニセコ町。合併しない宣言など、自主独立路線で名を馳せた福島県矢祭町。最近、少子化対策の成功例として紹介されることが多い長野県下條村。柚子加工品の成功で知られる高知県馬路村。九重“夢”大吊橋の成功が話題になった大分県九重町など。平成大合併で合併しなかった所ばかり。意図的に挙げたというよりは、合併せずに話題になった所ばかり記憶していたという自分の主観による。実際に現地で話を聞き見て歩いた所もあるが、ほとんどはニュースとして読み聞いただけであり、今も本当に成功例であり続けているかどうかは不明。

 枠組み論への矛盾として常に気になるのが長野県。地域主権型道州制には12州の他に、9、11、13という案が紹介されている。長野県の合併相手は、9で茨城・栃木・群馬・新潟、11と13で茨城・栃木・群馬・埼玉、12では新潟・富山・石川・福井となっている。この中では、12だけが北信越という高校総体とかで使われる既存の枠であるが、あとは何の繋がりも想像できない枠ばかり。長野県は、限りなく新潟県に近い栄村からほとんど愛知県である根羽村までを含んでいる。最小限の言い回しとして言えば、長野県周辺については都道府県が合併するという形での道州制導入は無理がある。


 自分が道州制について問題に思ってる点は、とりあえずこんなところ。纏めにはなっていないし、それほど明確な方向性を持っているわけでもない。ただ、こうやって色々と考えてみると、今議論されているような道州制を導入するくらいなら、地方の努力によって、地道に分権を進めて行く方がまだマシなのではないか、というのが今の所の結論である。

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2008年2月25日

(書評)地域主権型道州制

地域主権型道州制
日本の新しい「国のかたち」
江口克彦 著
ISBN978-4-569-69666-9
PHP研究所 2007.11

 本書は、道州制についての解説書ではなく、筆者が目指す地域主権型道州制の必要性を説くもので、「日本を救うために」導入すべきものとして筆者の考えを纏めたもの。

 最初に道州制、地域主権型道州制と、これまでの政治的な流れがについての解説がある。ついで、今の日本は東京だけが繁栄し人も金も集まるようになっていて、その原因は中央集権体制にある。今の体制には弊害が多く今後日本が発展していくためには既に限界にあると説く。また、地方自治が謳われていながら強力な中央のコントロールの下に有るため、地方は自立できなかったとする。

 解決策としては、昨今の行革で行われているような、中央の権限を小出しに分け与えて行く地方分権ではダメとする。必要最小限の小さな中央政府を強く打ち出し、財源や権限を大きく移譲した地域主権型の道州制が必要であり、その為には地方の再編を更に進めて12の州、300の市にすべきとし、中央、州、市の役割分担を説く。

 最後に、住民に根ざした道州制を実現するため、「民意を取り込む」「経営能力を高める」などが必要で、その実現の為にとして具体的な策が提起されている。以上によって地域主権型道州制を実現すると、筆者が序章に示した近未来の物語が実現されるという。


 以上はかなり単純化した要約ではあるが、読後感としてもさほどに違わずに単純なものに見えた。解決策として提起されている点も、いかにして行政を適正かつ効率的に運用するかという問題にすぎず、道州制を論ずる材料になっていないものが多いように思える。

 そもそもの話だが、自分はこの本を地域主導型道州制と勘違いして買った。道州制という制度として、枠組みや分担といった部分が先に立っていて、本書も中央主導型の道州制の亜流に過ぎないように思えてしかたがない。

 本書は、道州制に対して自分が持っている違和感に対してほとんど答えてくれることなく、かなり中途半端な本だった・・・と締めくくって感想文としては終わりとなる。ただ言い足りないので、性懲りもなくそのことについて次に改めて書いてみる。


<目次>
序章 20XX年、新しい日本のすがた
第1章 日本に『地域主権型道州制』を導入する
第2章 なぜ東京だけが繁栄するのか
第3章 中央集権システムの限界
第4章 いかに国が地方をコントロールしているか
第5章 「地方分権」では解決できない
第6章 『地域主権型道州制』はこうする
第7章 住民密着の『地域主権型道州制』

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2008年2月24日

(書評)モンゴル帝国と長いその後

興亡の世界史09
モンゴル帝国と長いその後
杉山正明 著
ISBN978-4-06-280709-8
講談社 2008.2
目次は、本書タイトルのリンク先を参照

 著者のものとしては、疾駆する草原の征服者(講談社)以来、2年半ぶりの新刊。モンゴル帝国の存在を世界史上における画期と捉え、その意義と後の歴史の流れを解き明かそうとするもの。通史的な要素も部分的にはあるものの、歴史観の解説が中心をなす。

 モンゴル帝国以後を概観しながら歴史の役割を問う序章に始まり、以下のような7の章よりなる。ユーラシアという舞台と歴史における遊牧民を解説した1章。14世紀初めにフレグ・ウルスで編纂された「人類史上最初の世界史」であるという集史と、ベースになる情報がモンゴル帝国時代に深く関わるという2つの世界地図を採り上げた2章。チンギス・カンについての3章。バトゥの西征についての4章。フレグの西征とフレグ・ウルスについての5章。モンゴル帝国時代の東西交流の話として、フランスの聖王ルイとサウマー使節団を紹介した6章。モンゴル帝国以後のいくつかの継承国家を「婿どの」の国として解説した7章。さらに終章として、現代に繋がる流れとして、筆者が「最後の遊牧帝国」とするドゥッラーニー朝から現在に至るアフガニスタンを取り上げている。

 1章は、筆者がこれまでいくつかの著書の中で書いてきた「遊牧民」「モンゴル以後」「世界史を見直す」というような視点について纏め直したもので、2章以下も「モンゴル帝国と世界史」というテーマが一貫しているが、既刊書と異なる視点が提起されていて興味深い内容だった。ただし、個々の話題は必ずしも新しいものではなく、わりと新しい先行書として、2章の世界地図について筆者が関わっているモンゴル帝国が生んだ世界図(日本経済新聞社)、7章の「婿どの」という点では川口琢司氏のティムール帝国支配層の研究(北海道大学出版会)などを挙げることができる。

 5章のサウマー使節団とは、内モンゴルに本拠を持つオングトの一族のラッバン・サウマーが長を務めた使節のことで、フレグ・ウルスから派遣されてローマからパリまで旅しているとのこと。さらに彼の弟子で同族でもあり、バグダードでキリスト教ネストリウス派法主ヤバラーハー3世となったというマルクが紹介されている。これは、自分には全く未知の話題だったが、この二人の存在自体が大変興味深い。修史官ちょくさんのHP修史官ちょくのアストロラーベ読書日記集によれば、著者が監修したチンギス・カンとモンゴル帝国(創元社)で二人について触れているとのこと。また、本書参考文献にサウマー使節団の記録の邦訳「元主忽必烈が欧洲に派遣したる景教僧の旅行誌」(春秋社松柏館)が紹介されている。調べてみると古本に出物があったので早速取り寄せてみたが、戦前のもので自分の手に負えるかどうか。


 従来から著者が書いてきた西洋中心、あるいは中国史という枠組みから脱し、モンゴル帝国の存在を肯定して世界史観を見直そうという姿勢は、本書でも変わることがない。大筋においては、興味深い話であり反論があるわけではない。より新しい世界史観を積み上げていく上で、このような姿勢を強調することも必要だったと思うが、いくつもある世界史観の中の一つと位置付け直して、より広汎な理解が得られる方向へ切り直してもよいのではないか。遊牧民から見た世界史(日本経済新聞社、文庫版として同社より再刊)が世に出てから10年、そろそろ違う展開を期待したいと一面的には思う。

 本書の具体的な部分という点では、モンゴル帝国の影響をどう評価するかについて。帝国解体にともなう14世紀末以降の「衰退」という問題(あるいは本当に衰退したのか)、また、ロシア、ムガール、清などが実際の政治史の面でモンゴルとの繋がりにどれくらいの意義があるのかなど、本書の中で筆者が肯定的に書いていた点は、まだまだこれから検証されていくことではないかと自分には思える。

 より細かい内容について。検証という点では、扱う世界があまりに広く、資料という点でも集史をはじめ一般には活用し難いものも多く、手に追いかねるというのが正直なところ。ただあまり根拠無く肯定されているところも見受けられる点、一歩下がって見ざるを得ない。例えば、バトゥの西征とフレグの西征について、途中で中断された事について後者の方が影響が大きい旨書かれている。自分には面白いと思える内容なのだが、断定できるほどなのかという疑問は残る。


 従来の常識に挑戦するという方向性があるため、読む立場によりかなり面白く読める内容であると思う。また自分のように遊牧民やモンゴルの歴史に興味がある者に新しい材料や視座を提供し続けており、本書もその期待に応えてくれた一冊である。細部については上に書いたように微妙なところがあるものの、ほかの本で触れられていない内容を含んでいて興味深いことは確かである。

 西洋中心史観に挑むあまりに、各所に他の歴史観を批判する文言が散見されるのもこれまでと同じ。ただいくつかの面でそれが邪魔に見えるので、それを抜きにした解説書があっても良いのでないか。そういう期待もしてしまうが、本書で大きく取り上げられた集史に邦訳が無いという、モンゴルの時代を理解する上での大きなマイナス解消にむけて、予てからの取り組みが前進することを切に期待したい。


 シリーズ次回配本は、12巻「インカとスペイン 帝国の交錯」、5月下旬予定とのこと。

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2008年2月23日

神戸遠征

 桂堂徒然のhsdさんの招聘で、久しぶりに神戸まででかけた。とりあえず宴会前になにか見物ということで、UCCコーヒー博物館へ。愛飲者ではないからというだけでなく、コーヒーについては知らない事が多い。思いのほか勉強になって面白かったが、残念ながら博士までは出世できなかった。

 宴会は、三宮駅南にあるタン・カフェへ。久しぶりのベトナム料理。2000円のコースに2品追加し、ビールをおかわりしてお腹いっぱい。過度のパクチー中毒なので、無理を言って多めに添えて頂いた。やっぱりフォーにパクチーは欠かせない。

 出がけには、窓が唸るほどの大風、帰宅したら雪で真っ白だった。春はもうすぐだと思ってたのだが、最後のあがきだといいな。


 ポートライナー南公園駅から見た博物館。モスクをイメージってちょっと無理でない?


 コーヒー豆選別の説明のところに置かれた機械。これって手動式計算機?



 タン・カフェは、さんプラザの地下。


 ベトナム風お好み焼き? お好み焼きというより具入りの薄焼き。とっても美味しいかったです。


<頂き物>
 待兼山論叢 第31号/大阪大学文学部/1997年
 待兼山論叢 第32号/大阪大学文学部/1998年
 いずれもhsdさんからの頂き物、31号には松井太さんの「カラホト出土蒙漢合璧税糧納入簿断簡」、32号に森安孝夫氏の「ウイグル文契約文書補考」を集録。


<Google Map>
タン・カフェUCCコーヒー博物館

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2008年2月22日

2月の購入書籍

 2月も下旬となり、少し春めいて来たような気配がした。そんな陽気とはもちろん関係ないが、ここのところ興味を惹かれる新刊が相次いで本屋に並んだ。全部というわけにはいかないので、それなりに厳選はしたつもりなのだが。必ずしも中身を全て見て買ったわけではないので、当たり外れは読んでみてのお楽しみ。

 それにしても既にある分も含めて未読本の山がまた高くなった。ということで、これからしばらくを未読本退治強化月間とする。

 5冊並べてみるとジャンルや時代は全くばらばら、随分と趣味悪といえなくもないな。


地球研究叢書
黄河断流
---中国巨大河川をめぐる環境問題
福嶌義宏 著
ISBN978-4-8122-0775-8
昭和堂 2008.1

 歴史ものではないが、興味深いテーマだったので取り寄せてみた。

 

スラブ・ユーラシア叢書
国境・誰がこの線を引いたのか
---日本とユーラシア
岩下明裕 編著
ISBN978-4-8329-6661-1
北海道大学出版会 2006.6

 新刊ではないのだが、モンゴル帝国と長いその後(講談社)で紹介されていたのを見て買ってみた。テーマ的にも惹かれたが、昨年読んだ岩下明裕の中・ロ国境の旅が面白かったというのもある。そういえば、中・ロ国境4000キロ(角川)も未読だ。

 

歴史文化ライブラリー 251
古代インド文明の謎
堀晄 著
ISBN978-4-642-05651-9
吉川弘文館 2008.3

 これは、タイトルではなくて目次を見て買った。1章がインド・アーリヤ人征服説の誕生、2章がインド・アーリヤ人征服説とは何か、3章がインド・アーリヤ人の起源。ここら辺の民族起源問題にはかなり興味がある。ちょっと過大に期待している。

 

学研新書 021
秀吉の接待
---毛利輝元上洛日記を読み解く
二木謙一 著
ISBN978-4-05-403468-6
学習研究社 2008.2

 あと2冊は日本史もの。毛利と秀吉という組み合わせも面白そうだが、輝元の日記を読み解くというのに釣られた。

 

歴史文化ライブラリー 249
飛鳥の宮と藤原京
よみがえる古代王宮
林部均 著
ISBN978-4-642-05649-6
吉川弘文館 2008.2

 そういえば古文書をベースにした古代日本史ものは最近ほとんど読んでいないように思う。タイトルを見ると怪しそうに見え、読んだ時間が無駄になるのが怖くて避けて通っている。本書は考古学ベースらしいので買ってみた。

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2008年2月21日

ダビング10

 ダビング10はデジタルTV放送録画の福音となるか(日経BP社)

 ダビング10とだけ書いてもあまりピンとこないが、デジタル放送のコピー制限の話。コピーワンスをどうするのかが問題になっているというニュースは、ここ半年か一年くらい時々目にしていたので内容は一応わかるが実感がない。この記事を読んで具体的にどこに不便があるのかがやっと解った。

 何故実感がないかと言えば、それは我が家にデジタル録画機がないからだ。録画はいまだにVHSだし、TVもまだ地上デジタル未対応。そのビデオも今年はまだ一度も使っていない。一日に一度もテレビを見ない事が普通になったので全く不便がない。以前であれば番組表を見て見たい番組を見逃すまいとしたが、追わなくなってしまえば見逃してももう悔しくない。

 かなりテレビを見ていた数年前に、裏録ができてキーワード録画もできるのを買おうかと一度考えた。しかし、どうしようかと思っているうちに要らなくなってしまった。いたって流行には無頓着で、回りに溢れていても買わずにいたら回りからも消えた、というものが今までにも色々あったが、デジタル録画機がその一つになるのはまず間違いない。

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2008年2月19日

(書評)シリーズ藩物語 盛岡藩

シリーズ藩物語
盛岡藩
佐藤竜一 著
ISBN978-4-7684-7107-4
現代書館 2006.11

 本書は、シリーズ藩物語の中の一冊で、前史として南部氏の歴史を簡単に触れた後、盛岡築城から戊辰戦争敗北に至る盛岡(南部)藩の歴史を解説したもの。

 このシリーズは、2004年の長岡藩を皮切りに11冊が出版されている。これまでに年2冊から4冊とゆっくりしたペース。巻末に江戸末期の各藩として、300弱の名前が挙げられているが、全部出版予定だとしたらなかなか遠大な計画だ。これまで出されたものを見ると、幕末の石高で盛岡よりも大きいのは会津藩だけ。小藩あるいは地方重視かという面白い選定である。

 その中から盛岡藩を選んだのは、自分が以前に暮らした街という縁からなのだが、実は江戸時代の盛岡の歴史はほとんど知らない。もともと江戸時代の歴史が守備範囲外である上に、暮らしていた当時は東北の歴史にあまり関心が無かった。今から思えば全く勿体無い話なのだが。そういうわけで本書が目に留まったのを期に勉強し直しである。


 あとがきに筆者自ら書かれているとおりに読み易い入門書で、200頁の厚さがあるが歴史ものとしては気軽に読めるという分量である。内容は政治史に留まらず、社会、経済、文化全般を広くカバーしていて、意図された事なのだろう比較的広く浅く纏められている。藩主であっても本文に登場せずに、一覧表に名前があるのみという人がいるという配分で、興味がある部分について物足りなさが残る内容である。それがこの本の企画であって、より深くは参考文献などを頼りに次の本でということであって、本書の善し悪しには関わらないと考える。

 本書の特徴は、戊辰戦争で賊軍にされたことが強調されている部分だろう。序文にその事を絡めて、原敬の復讐という一文を持って来ている。また、その延長でアンチ薩長的な内容を含んでいる。歴史の評価ということになって来るが、もう少し押えてもと思わなくはない。

 ほかの本を見ていないのでシリーズを通しての傾向かどうか判らないが、偉人伝的に岩手出身者を紹介したコラムが6頁に詰め込まれている。この人も盛岡だったのかという人と、初めて聞いたという人が入り交じっている。コラムタイトルにあるように、ややお国自慢な内容。


 歴史ものとしてどうかという点では、私の知らない事ばかりなので判断できないのだが、比較的浅い内容なのでアンチ薩長の評価を除けば無難な内容に見える。本書はあくまでも起点であって、深めて行く段階で理解して行けば良いことだろう。それ以前のこととして、本書に書かれている歴史地理的な背景を知らずに盛岡に暮らしていたことが悔やまれる。盛岡の街を見る目という点で十分に自分の中に残るものがあった一冊である。


<目次>
第1章 南部氏のおこり
第2章 盛岡城の築城と藩政の安定
第3章 城下町の形成と武士の生活
第4章 城下の人々の生活と文化
第5章 農民の暮らしと信仰
第6章 藩政の揺らぎと改革
第7章 戊辰戦争の敗北と盛岡の人材

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2008年2月18日

春遠からじ

 昨日は、奇麗な青空と曇天の下風とともに雪が舞う天気が数時間ごとに繰り返すという一日だった。今朝も窓を明けると外は白一色。鴨川を渡る通勤風景も寒々としたもの。

 去年の2月は、3度も山城歩きに出かけるほどに春の陽気に恵まれていた。そろそろどこの山城へ行こうかと算盤を弾きたくなる頃なのだが、後どのくらいで春がやって来るのだろう。

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2008年2月17日

西夏の二つの官僚集團

西夏の二つの官僚集團---十二世紀後半における官僚登用法---
 東洋史研究 第六十六巻第三號
 佐藤貴保/東洋史研究會/2007年

 佐藤さんより抜き刷りを頂戴した。ありがとうございます。

 金史に載っている西夏から金への朝貢の記録を基にした論文で、西夏の官僚制度について考察したもの。金史、宋史などの漢文資料のほか、ロシアに所蔵されているものを含む西夏語文書を駆使したかなりな力作と思う。

 漢族系とタングート族系という二つの官僚集団の存在という考察も興味深いが、文献に恵まれない西夏について、政治制度などの論文を纏めるのにどういう資料に当たればよいのかという見本としても興味深い論文。

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2008年2月16日

(書評)カナート イランの地下水路

カナート イランの地下水路
岡崎 正孝 著
ISBN978-4-8460-0171-1
論創社 1988.11

 私のように中央アジアの歴史に中国側から入った者には、カナートというよりカレーズと言った方が通りが良い。本書によれば、カーリーズ(カレーズ)は、一説にペルシャ語の掘るが語源であるという。TVなどでも何度も紹介されているので、カレーズがどんなものかはだいたい知っている。自分はまだ見ていないが、中国のトルファンに行けば現役のカレーズを見ることもできる。ではカレーズ、本書に合わせてればカナートは、どうやって造るのか、どの位の費用がかかり、いつ頃からあってどこにあるのか、本書はその事を教えてくれる。

 本書は、タイトルにあるとおりイランのカナートを紹介するものであるが、それに留まらずにカナートの起源や広がり、イランの水利についての社会、歴史までを扱っている。カレーズというと、山麓にある地下水を地下水路によって利用する灌漑用水路と覚えているが、本書によれば河川水を導水する暗渠のこともカナートというとのこと。カナートの語源には、アッカド語、ヘブライ語、アラビア語などの諸説があるという。また、起源の点では少なくとも古代アッシリアの時代まで遡るという。広がりとしては、可能性ということも含めて東は日本から西はメキシコまで類似のものが有る、あるいはかつて有ったとのこと。日本の事例は全く知らなかった。これは是非現地へ見に行かなければならない。

 カナートの技術論では、11世紀に遡るというキャラジーの書いた実用書水書と筆者の現地調査に基づいて、水源の探し方から、測量のやり方、穴の掘り方など具体的な解説が並び、必要な人員から経費、期間も紹介されている。長さが数キロメートルから場所によっては数十キロメートルに及ぶカナートの建設費は莫大で、数年がかりの大事業だった。また、巣掘りのトンネルは崩れ易く、維持にも大きな費用が必要になるとのこと。

 このようなカナートは、イランの東半のように灌漑なくして農業が成り立たない土地では、社会的にも重要な存在だった。一つの村の興廃はカナートと共にある時があり、ボネという独特の制度を生んだとのこと。また、農民はカナートの興廃に合わせて移動する遊民だったともいう。


 本書には、ペルシャ語などの文献と多くの研究を引きながら、筆者による現地調査の成果が盛り込まれている。上に書いたようにカナートそのものの話に留まらず、イランにおける灌漑農業にかかわる歴史、政治、経済、社会までを解説するもので、見た目の厚さよりも豊富な内容を含む。具体的な事例が多く紹介されているが、読後感としてはそれほど詰め込みという感じもなく、興味深く読む事ができた。カレーズ、カナートについてこれほど纏まっていて読み易い解説書は、他にまだ見た事が無い。私の疑問に答えてくれる以上に面白いお薦めの一冊である。


<目次>
序章 イランの水文化
 第1節 水の民俗学
 第2節 イラン人と水

第1章 沙漠とカナート---沙漠開発の主役・カナート
 第1節 水に支えられた文明
 第2節 沙漠とカナート
 第3節 カナートの語源と起源
 第4節 カナート技術の伝播

第2章 カナート技術と文化---キャラジーの水書『地中に潜在する水の開発』を中心に
 第1節 11世紀の水書---『地中に潜在する水の開発』について
 第2節 地下水の探査
 第3節 測量法
 第4節 カナートの作業工程
 第5節 カナート掘り職人---カナート掘りの労働組織
 第6節 カナート浚い---ラールービー
 第7節 カナートの工期と工費
 第8節 カナートの法制

第3章 水の論理と土地制度
 第1節 伝統的用水配分
 第2節 ターレババードとボネ制
 第3節 地主的論理とボネ制

第4章 カナートとイラン社会の構造
 第1節 カナートの脆弱性
 第2節 農民の「遊牧」的性格
 第3節 カナートと小権力
 第4節 水と政治

第5章 水利開発の思想と歴史
 第1節 王権思想と水利
 第2節 水利開発の担い手


<参考>
 鈴鹿山脈東麓のマンボについて(三重県立図書館)、愛知県の事例紹介

<Google Map>
各地で見つけたカナート列
イラン テヘラン郊外ケルマーン郊外バムマシュハド郊外
アフガニスタン カンダハル郊外
パキスタン クエッタ
アルジェリア アドラル
モロッコ マラケシ

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2008年2月13日

(書評)多民族混住地域における民族意識の再創造

多民族混住地域における民族意識の再創造
---モンゴル族と漢族の族際婚姻に関する社会学的研究---
温都日娜 著
ISBN978-4-87440-989-3
渓水社 2007.10
(目次は上記リンクを参照)

 本書は、前書きによれば

 島根県立大学の北東アジア研究科の第1号博士論文
とのこと。内モンゴル出身である筆者が、故郷周辺に設定した調査地での資料収集、アンケート、インタビューをもとにした論文で、モンゴル族と漢族の間の結婚、本書が言うところの族際婚姻について分析、検討したもの。

 内モンゴル自治区東南部の赤峰市は、本書によれば人口447万人(モンゴル族82万人、漢族349万人)で、1983年にジョーオド盟から市へと変更になっている。筆者が設定した調査地は、その中の本来の赤峰の中心地である紅山区(人口31万人)、巴林右旗の中心地大板鎮(6万人)、敖漢旗西部の薩力巴郷(2万人)、阿魯科爾沁旗の北部で大興安嶺の丘陵にかかる巴音温(彦)都爾ソム(9千人)の4か所。赤峰市は、民族の人口割合や生業形態の分布などに内モンゴル全体に似た傾向があるとのこと。この4か所は、その中でも中心的な大型都市、半農半牧地の小都市、農耕中心の村、牧畜中心の村で、

 赤峰市並びに内モンゴル自治区の特徴を代表している(27頁)
とのこと。

 筆者は、この4地域で有効回答884人分のアンケート、83人へのインタビューに加えて、1995年から2004年にかけての3万組(内族際婚姻約7千組)におよぶ婚姻登録書の集計を行った。この結果に基づいて本書2章から7章で、族際婚姻の地域・民族差と推移、文化的背景、政策的背景、意識的背景、家族文化と親族関係の変化、民族構成の多様化と民族意識の変化というテーマを設定している。

 分析によれば、4つの地域には族際婚姻と各民族内婚姻の割合や推移に顕著な違いがあり、言葉、祭祀などのほか国の政策の結果などの背景が説明されている。その上で、最終章で民族意識の再創造という問題を検討している。その中では、新たな民族意識の基本的要素として、血縁関係による血統的民族、国の法律に基づく法的民族、言葉などの文化的な特徴による文化的民族、社会の中でイメージ化された社会的民族の4種を想定し、その意味や相互関係を検討して本論を終えている。


 本書は、以上のように概説書の類では無く、文化人類学的な現地調査に基づくかなり生に近い論文である。1995年から2004年という中国が大きく変化した時代の中で、少子化や少数民族優遇といった政策がどのように影響したのかを、具体的な事例として紹介している。それは漢族からモンゴル族への民族変更、族際婚姻後の子供のモンゴル族選択、民族構成比の変化といった形で明瞭に現れている。

 特に民族変更という点では、親族にモンゴル族と結婚した人がいるだけでモンゴル的な要素がなくてもモンゴル族に変更した人、モンゴル族との付き合いが長く血統的に漢族でありながら文化的にほとんどモンゴル的な人、あるいはその逆など興味深い事例が紹介されている。少数民族優遇策が、かつて何らかの理由で漢族を名乗った人のモンゴル族復帰以外に、最初の事例のような法的にだけのモンゴル族をも増やしたとすれば、相対的にモンゴル的な文化を薄めたという皮肉を見ることも可能かもしれない。


 本書は、アンケート部分を除いても300頁近い厚みがあるものの、検討事項が多岐にわたることもあり各論の深さという点では物足りなさが残る。また、アンケートを用いた分析で分母がそれなりに大きいものの、地域別、民族別のほかに年代別や性別とかなり細分化がなされ、それによる傾向判断が妥当なのかという疑問が残るなど、数値的な分析には再考の余地も見られる。しかしながら、地道なフィールドワークによって大きな情報を収集しているので、さらに深い分析が可能ではないかと思う。なによりも、民族混住という状況での具体的な実態を映す話はとても興味深く、より深く掘り下げた続報を期待したい。


<Google Map>
紅山区(赤峰駅周辺)、巴林右旗大板鎮、敖漢旗薩力巴郷、阿魯科爾沁旗巴音温都爾ソム

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2008年2月11日

天龍菜館

 かつて舞台を共にした仲間達のコンサートがあり、この連休は久しぶりに上京した。折角の上京なので、特に長のご無沙汰となっている古友に連絡を取り、演奏会を前に寝る間を惜しんで喋り、食べ、飲んだ。ここ数年の上京には珍しく、歴史関係抜き、神田神保町行かずという日程だった。

 昨日は、古友の案内で横浜中華街近くの中華料理屋天龍菜館へ。普通の中華料理屋より面白かろうという友人の提案。広東へ行っていない自分には少し馴染みがないが、看板にあるように広東家庭料理であるらしい。とくに飾りはないが、とても美味しい大皿料理が並んだ。12時に店に入って、順に出てくる料理を食べながら、お互いに積もりに積もった身の上話を喋り倒し、8皿に紹興酒、しめに肉まんを食べ終わった時には3時を回っていた。

 8皿の料理は次のとおり。古友が事前に頼んでおいてくれたもので、酒は別で一人5000円。よく食べれたものと思うほど満腹だった。面白い店を案内してくれた古友に感謝感謝。

 豚足の煮物
 酢豚
 羊肉の煮込み
 干し貝柱の煮物
 二種類の鶏の煮物、足付き
 車海老の炒め物
 薬膳スープ
 鹹魚と豚肉の煮物



 看板の他に飾り気無し。店内は少し前の中国の地方都市にありそうな装飾の無い大衆食堂ふう。なに気に覗くと食堂に見えないかもしれない。


 パイナップルは勿論、野菜も一切入いらない本場の酢豚。黒酢を使っているらしく、少し色黒。以下全て4人前。


 湯葉や葱、クワイの入った羊の煮込み。普通に羊臭くて懐かしい味。


 この日一番の驚きの一品。発酵した塩漬け魚、鹹魚と豚肉を煮た(蒸した?)もの。魚は少々塩辛く、一切れでどんぶり飯一杯はいけそうだが、豚肉の味が格別。おすすめの一品。


天龍菜館
横浜市中区山下町232
JR根岸線関内駅南口から歩いて10分
料理内容、料金など事前に予約、相談するとよい。
<位置図>

大きな地図で見る

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2008年2月 4日

大雪

 茶の木まるごと氷塊の中、高山茶畑で大被害---広西(中国情報局)

 大雪のニュースというと、昨日今日くらいは首都圏が中心だろうか。ここ一週間ほどの海外ニュースでは、圧倒的に中国での雪害の話題が流れ続けている。半世紀ぶりの大雪に加えて、今週7日が旧正月ということで混乱に拍車かけているというニュース。被害は、長江流域の湖南、湖北、安徽あたりから広東まで広域に広がっているとか。長江流域は北緯30度内外と屋久島辺の緯度だが、12月にかなり冷え込むことを一度体感した。その意味では大雪が降っても驚かなかった。

 このニュースの被害地は、広西壮族自治区賀州市昭平県。と言ってもピンとこないが、水墨画の世界として著名な桂林の南、というと随分南なんだと思われることだろう。北緯で24度の少し北、廈門や石垣島とほぼ同じ緯度。雲南もほぼ同じ緯度にあるが、こちらは1500mを越える標高があり、雪は珍しくないという。昭平県の正確な標高はわからないが、山に囲まれているとはいえ川沿いは100mより少し高い程度。

 上記のニュースによれば、

 雪とみぞれが交互に降り気温も上下したため、解けかかった雪が再び氷結して、茶の木全体を覆った。同茶園にとって、過去50年最悪の雪害という。
とのこと。雪の重みによるのではなく、南国であるがために昼間に溶けた雪が夜の冷え込みで氷結したことによる被害ということ。日本でも起こりうることだが、このニュース写真のほどに大きくなるものはあまりないのでは?


<Google Map>
 昭平県漓江(桂林の少し南あたり)

 桂林は、今のところ縁が無く訪れたことがない。Google Mapで見るのも初めてだったが、Google Mapで見てもそれとわかる奇岩にはちょっと驚いた。

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2008年2月 3日

中国のGDP

 以下は、最近のニュースを種にした本日数時間の勉強の成果であって、どちらかというと纏めることが目的の備忘録です。数字数字とはいえ所詮統計であって、出どころ如何でどこまで正しいか、比較をするのにそもそも質が揃っているのかという話にもなる代物。出所どおりに引用計算しているものの、以下の数字は、大雑把なイメージを持っておくためのものです。


 中国GDPは11.4%増、世界3位ドイツに迫る(読売新聞)

 このニュースによると、

 (中国の)名目GDP総額は24兆6619億元(約364兆5000億円)で、米国、日本に次いで世界3位のドイツに迫った。
とのこと。1ドル=7.186元で換算すると3兆4319億ドル。2006年のドイツが2兆1860億ユーロ(外務省の各国・地域情勢より。以下特に触れたもの以外はここのデータによる)で、昨日朝の相場(1ドル=0.675447ユーロ)で換算して3兆2364億ドル。一年前のドイツは越えているらしい。

 これを凄いと見るかどうか。とりあえず人口でいうと、ドイツが8千万人で中国が13億人なのでこの差はかなり大きい。一人当たりGDPだと、ドイツの41,472ドルに対して中国は2,000ドルに過ぎない。これは、ロシア(6,859ドル)、トルコ(5,477ドル)、ルーマニア(4,850ドル)、タイ(3,179ドル)よりも低く、ウクライナ(1,520ドル)、インド(736.5ドル)、ベトナム(715ドル)よりも上という位置になる。


 1995年に中国を歩いた時に持ち歩いていた地図帳は、高校地理の参考書だった二宮書店の高等地図帳だった。自分の通った高校は、何故か世間一般でより知られた帝国書院ではなかったが、デザイン的に今でも二宮書店の方が好きだ。旅行中は、話の種にとても重宝した。

 同地図帳の1995-96年版には、1992年の1人当たりGDPとして以下のような数字が載っている。中国(380ドル)、ドイツ(23,030ドル)、ロシア(2,680ドル)、タイ(1,840ドル)、インド(310ドル)。対2006年比で中国の伸び率はダントツである。具体的な数字にイメージ的な感想になるが、自分が知っている1990年、1995年の中国と比べると随分伸びたと思う。反面、2005年に見た中国からすればまだまだ低いのだなとも思う。


 ついでにもう2つニュースを並べる。

 深セン市が中国初、1人当たりGDPが1万ドルを突破(日中経済通信)
 07年の農家純収入は10%増、一人当たり4140元に---中国(Record China)

 強引ではあるがあえて比べてみる。上に引いた2007年のGDPを13億人、1ドル=7.186元で換算すると約2600ドル。4140元は約600ドル。Record Chinaの「一人当たり4140元」というニュースはどちらかというと好意的な記事に見えるが、1万と600の15倍以上の差はかなり大きく見える。

 もう何年前の話になるだろう。裕福な農民のことを万元戸、「年収1万元を越えた家」と表現していた。上の数字では家族が3人でも1万元を越える。もう万元戸は、過去の数字なんだなと実感した。今後この15倍という数字がどうなるのか重要な数字と思っているのだが、10年後はどうなっているだろう。


 中華人民共和国国家統計局、こういうHPが閲覧できること自体凄いと思う。そのうち分析してみようか・・・

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2008年2月 1日

1990年中国紀行 <岳陽楼>

 旅が終盤に入った12月中旬、武漢から杭州への移動の途中に立ち寄ったのが湖南省北部にある岳陽。洞庭湖の東岸にあるこの街は、都市としてよりも名勝岳陽楼のある所として記憶している。

 数々の漢詩が読まれたという岳陽楼だが、自分は8世紀盛唐の詩聖杜甫の詩『登岳陽楼』で覚えている。漢詩には全く造詣が無いので、何故杜甫なのかと言われても説明できない。中学生のときに読んだ陳舜臣著『中国の歴史』の影響とも思うが、手元に本が無いのでそれもわからない。


 黄色い甍を載せた三層屋根の軒下に岳陽楼の扁額が見える。薄曇りの空が背景で色映えはいまいとつ。人民中国によれば、8世紀に起源が遡るが今の建物は19世紀の再建とのこと。


 写真を残していながら周辺の状況などほとんど覚えていない。岳陽楼は西門にあるとのことだが、Google Mapを見ると楼閣の周辺だけに城壁が残っているのが見て取れる。この写真は、楼閣の南側、その城壁の上から写したものということになる。


 その城壁の上から眺めた洞庭湖。曇り空に遠く霞み、茶色く濁った湖面と空の境目もはっきりしない。景勝の地とはいえ、12月の寒空のもと何か詩が浮かんだかどうかも覚えていない。

 <Google Map>
岳陽楼

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