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2008年2月29日

(書評)古代インド文明の謎

歴史文化ライブラリー 251
古代インド文明の謎
堀晄 著
ISBN978-4-642-05651-9
吉川弘文館 2008.3

 中央アジアの考古学を専門とする著者が、おもに先史時代中央アジアの考古学の成果をもとに、インダス文明とアーリア人の関係についての問題点を挙げ、それについて検討を加えたもの。

 本書は、表紙写真がインダス文明の人物石像なのに、古代インド文明となんだか良く解らないタイトルがついている。これは、インダス文明はそれ以後のインドと連続性のあるものであって、一連のものとしてインド文明と捉え、従来のインダス文明はインド文明の早期のものとして、インダス文化と呼ぶべきという筆者の考えに基づいている。

 筆者はまず、従来言われてきたとされるインダス文明は、中央アジア方面から侵入したアーリア系の遊牧民によって滅ぼされたというインド・アーリア人征服説に疑問を唱える。それに続く部分が本書の中心で、主にインダス文明や中央アジアの先史時代の考古学について解説している。それによって、インダス文明とその後のインド、および中央アジアの関係を考察して、征服説への反論としている。

 最後の章では、人類学、言語学、考古学などによってインド・アーリヤ人の起源を考察している。筆者は、8千年前の原初西アジア型農業の担い手にその起源を求め、インド・ヨーロッパ人北シリア起源論を提唱している。


 インダス文明が外来勢力の侵攻によって滅ぼされたわけではなく、以後の時代に継続性があるとう仮定について、自分にはさほど異論はない。インダス文明は滅ぼされたのではなく、徐々に衰退したという説はかなり有力ではなかったか。筆者は滅亡の反証として周辺の考古学について解説しているが、インダス文字や分銅、出土物の宗教的な要素などについてはかなり興味深い話だった。

 しかし、筆者が論を補う為に使っている考古学以外の部分の説明はちょっと簡略にすぎる。そのために、いいとこ取りであるようにも見えてしまう。また、インド・ヨーロッパ人北シリア起源論についても、結論にまで持っていく材料の提示と文章そのものに説得力が感じられなかった。

 その材料という点では、サテム群とケントゥム群、フィン・ウゴル語といった自分には触れられるべきと思える言葉が出てこないこと、古代セム語について簡単に片付けてしまっているように見えることに不満が残る。これは、自分が最近の研究を知らないからなのかもしれない。それでも文脈的に説得力がないことには変わりがなく、西アジア型農業を担ったのがインド・ヨーロッパ人であって、彼らが農業と共に拡散していったという説に説得力を感じないのも同様である。

 左の図は本書140頁掲載のもので、ニュージーランドの言語学者、R.D.グレイの論文からの援用と思われる(クリックで大きな画像が開きます)。自分にとっては今まで見た事が無いタイプの系統樹で、どういう根拠に基づくものか、どの程度の精度のあるものか興味があるのだが、どこかに解説がないものか。


 本書によれば、筆者は南アジアに関わるプロジェクトを立ち上げる最中にあるようだ。インダス文明やインド・ヨーロッパ人の起源といった問題は、ともて興味深いものであり今後面白い成果が出て来ることを楽しみに待ちたい。


<目次>
インド史の素朴な疑問---プロローグ
インド・アーリヤ人征服説の誕生
 インド・ヨーロッパ語族とは何か
 言語学と考古学
インドアーリヤ人征服説とは何か
 インドアーリヤ人征服説を検証する
 インダス文字の世界
 古代インドの都市計画
 中央アジアの考古学
 分銅から見た中央アジアとインド
 中央アジアにおける交易
インドアーリヤ人の起源
 南アジア人の人類学的位置
 インド・ヨーロッパ語の系統樹
 考古学の成果
新しいインド文明像を求めて---エピローグ

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