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2008年4月14日

(書評)ゾロアスター教

講談社選書メチエ 408
ゾロアスター教
青木健 著
ISBN978-4-06-258408-1
講談社 2008.3
目次は、本書タイトルのリンク先を参照

 書名にはゾロアスター教とあるが、著者はあとがきで以下のように書いている。

 本書は、「古代アーリア民族の時代」の1200年間と「イスラーム時代」初期の200年間の合計1400年間における、「イラン高原のアーリア人の諸宗教」を扱う概説書である。
しかしながら、資料についての制約から
ゾロアスター教についての記述が大部分を占め
てしまったとのこと。構成としてはゾロアスター教の部分がメインだが、諸宗教についての3章、ゾロアスター教以前についての1章など、ゾロアスター教以外にも意を用いていることが、たしかに本書の特徴と言える。5、6、終章がイスラム化以後の部分だが、こちらはゾロアスター教が何を残したのかという方向の内容。


 自分的に本書らしいと思うのが4章だ。ここでは、現在ゾロアスター教関係でどんな資料が残っているのかが解説され、それを具体的に引用しながら何が語れるのかを説いている。自分が本書に一番期待した部分であって、引用が多用されているわりに面白く読むことができた。

 3章は、イラン周辺におけるイスラム化以前のゾロアスター教以外の宗教を解説したもの。仏教の影響やアルメニアのヤズィード教などは、自分には目新しくて興味深く話だった。

 しかしながら、本書のもうひとつの中心と思える2章がいまひとつだった。他の章にもあてはまる部分だが、文章に纏まり感が欠けていて読んでいて時々捕らえ所がなくなる。また、あとがきでは次のようにも書いている。

 本書の記述の焦点は宗教思想の列挙や類型化にあり、歴史的な展開や個々の史実はぜんぜん考慮していない。
それはちょっとどうかと思う。確かに、教祖ゾロアスターについての話はほぼ伝説なのだろう。それでいて文章的に歴史を説明しているのか伝説を紹介しているのか明確ではない。また、古代アーリア民族を謳っていて(民族という言葉の是非もあるが)、その意義がどうかを問わずに、自明のものとして展開しているのには納得がいかない。古代アーリア民族を立てるのであれば、今に残されているものから古代の彼らの姿を問い直すような、本書とは逆の展開の方が意味があるのではないかとも思う。


 かねてから、ゾロアスター教について簡単に纏められた本を機会があったら読んでみようと考えていた。本書は、その意識もあって買ってみた本だった。自分は、ゾロアスター教についての専門書は読んだことがなく、高校世界史プラス世界史の中の一宗教として今まで読んだことをどのくらい覚えているだろうか。そのレベルで本書について4章以外、とくに1から3章についてどう咀嚼したものかと迷う曖昧さの残る文章だった。

 本書は、自分が目にしたことがない資料が利用されていて興味深い内容をかなり含んでいるのだが、このように消化しきれないものが残るというものだった。これは、かなり主観の強い感想と思うので、人によりかなり印象は変わって来るかとも思う。面白いことは面白いが評価保留というのが正直なところ。

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コメント

こんにちは。
イスラム法学では棄教者は原則として死刑、という処が引っかかっています。
この原則はカルト(淫祀)であると思っているのですが、しかし現実に他国では公的宗教秩序として存在している以上、見過ごすことができません。

私が自身の精神的な専攻先として崑崙山脈より東の東ユーラシア史を選択すると決めたのも、イスラム史を同じアジアの歴史として遇するのではなく、崑崙山脈を挟んで西側の東ユーラシア地方において強大であり、そして南側(インド)、東側に前進してきていると、歴史を把握したいからです。
西欧のオリエンタリズムでは、イスラムも日本も混在してしまうので(それも面白いテーマですが)。

崑崙山脈を主軸に据えてみたところで気付きましたが、書評されている中での「ゾロアスター教」「古代アーリア民族」は、たぶん現今のイスラームという存在へのアンチテーゼというか、それに類するものだと思っています。(と日頃の関心の故に思ってしまいました^^)

そこまで考えた上で、中国やその他の地域への西域の文化、習慣、宗教の浸透というテーマは、きっとより驚嘆する問題になると思います。
私と対立していると思われるイスラームが、実は人類集団的な次元での双子の兄弟だった!というような結論を導くのですから。

投稿: 巫俊(ふしゅん) | 2008年4月16日 10時51分

誤字が・・・11行目くらいの「崑崙山脈を挟んで西側の・・・」に続くのは「西ユーラシア地方」です。

投稿: 巫俊(ふしゅん) | 2008年4月16日 10時54分

巫俊さん、こんばんわ、返事が遅くなりました。

私の場合このブログの上では、宗教は信仰としてよりも、歴史やその延長上での結果、出来事の方が重要です。宗旨にも関心はありますがそれほど深くは知りません。
啓典の3宗教を比べるとそれぞれに暗部は持っているので、私のレベルでは細部を比べて問題にすることはできません。

自分の思想信条をここで書くこともありますが、重要な問題はできるだけ中立に評価しているつもりです。ただし、バランスを取った上での中立ですので、その必要で特定の宗教宗派を弁護することがままあります。

なぜイスラムを特別視するのか、あるいは崑崙を壁にしてしまうのかが良く解りません。
南海まわりで中国南部に定住したムスリムだったらOKですか?(そういう問題じゃない(笑)


>西域の文化、習慣、宗教の浸透というテーマは、きっとより驚嘆する問題になると思います。

草原から眺めれば、それほど驚くことではないように見えます。どちらかというと、モンゴルへのネストリウス派キリスト教の浸透の方が自分には驚き、というか興味深いです。

投稿: 武藤 臼 | 2008年4月18日 00時36分

ごめんなさい、素直にがんばって勉強してみようとしたんだけどモンゴル系遊牧民の進出先の現地民のイスラムとインドの歴史宗教観(インドは歴史否定的宗教観ふくむ)はさっぱり分からなかった、という結果だと思います。
イスラム読書人が書いた『歴史序説』などは面白いと思いました。アッバース朝の軍事制度についての論文が出ていたので読んだとき、私が期待していたのは中国(唐)との対比であったと思います。
しかし歴史に対する、とくに文化や固有名詞に対する在り方というのは、西欧からイスラムをみれば「アラビア南部の一言語勢力が教典を得て宗教国家を拡大し、歴史制度も整えたもの」と理解される程度かもしれませんが、中国からイスラムを見れば「似てるところもあるんだけど、僕の知りたいことは全然書いてくれないのね」に終始したと言っていいです。
少し前にイスラーム史記とかそういうタイトルで、イスラムの歴史を司馬遷の史記に似せて書いた本が出ていたと思います。お世辞にも読めたものではなかったです・・・。史記から漢語表現を奪い取ると、あんな精神のどこに詰まってるか分からない文章が出来るんだと思いました。もちろん私に分からないだけでこの精神が大好きって人がいるんでしょうけど、イスラームの現在も続く主流派による棄教者死刑制度は、私とイスラームのあいだの双方向性というものも断ち切ります。私がイスラームになったらもう出てこれないからです。そうイスラームは一度入ったら正常な方法では出てこれないのです。この制度がイスラーム隆盛の鍵だと思っています。
確かに草原の民を見れば双方向性があるように感じられますが、しかし草原の民にしてもイスラームには取り込まれてしまえばイスラーム主義者に変わりイスラーム国家の分離独立を叫ぶふつうの農民牧畜民に変わっていったような気がしますね。

そして遊牧民を過信したくないと思いましたのは、匈奴タイプの騎馬遊牧民という奴の成立は戦国期以降で、それまでの殷が対峙していた鬼方であるとか、周の対峙していたケンイン(犬戎)であるとかは戦車を使い城壁を築き牧畜を中心とする牧畜民と表現するべきで、いわゆるどこまでも走っていく匈奴・モンゴル・スキタイタイプの遊牧民の爽快さとは全然違うのだと。つまりそういうタイプの遊牧民の歴史というのはかならずしも古くないということです。
そして中国という大きな国家が成立できたのは、古代中国人が崑崙山脈の高みに登って世界の大きさを実感し、そして崑崙によって世界が限られていると実感したからこそ、安心して東方を支配できたんだと思いました。崑崙という山が放つ安心感というのは、山によって隔てられた処(谷、平原)に住む者にとってとても大切なものです。山を見てここまでがひとつの地域なんだと安堵できることが何より大切です。
匈奴のような行動力を個々においては持たない、中国の匈奴以前牧畜民たちも西方から移住してきた来歴はともかく、崑崙を見て安心し自分たちの信仰するところにしたと思います。今のモンゴル史観は雄飛と草原ばかりを語りますけれど、落ち着かない気分を癒してくれる山という存在の方が大切だと思いますね。

そしてアジア史という枠組みについてですが、
アジアの歴史を描くということは、海の歴史を今は無視するとして、それこそモンゴル史であるとかスキタイ史であるとか移動性のとくに高い遊牧民に密着した態度を取らないと描けるはずもないのです。
しかしモンゴルの行った先に同じアジアを感じられるかということそうとは限りません。
モンゴルは行った先で征服はしますが、文化的には行った先の現地に取り込まれていくにように感じました。モンゴルが行ったからといってアジアの文化が統一されることなんてありませんでした。
そうすれば、東ユーラシアと西ユーラシアを分割して、それぞれの異なるところを認めるべきだというのが、私の行動選択だったようです。
しかしむとうすさんのおっしゃることを聞いている内に、そんな私の心が揺らいでいます(^^;

私が癒されたのは『山海経』という地域と信仰、山の文献でした。これを読むと東ユーラシアという地域が他と隔絶していること。しかし隔絶しながらも他の世界と分子生物学的な解放系のシステムでつながっていることも理解できました。
生物学上、生物とか細胞には身体をつつむ膜があってそれによって身体を保護しています。しかし膜で内外を隔しながらも外の世界から栄養とか生存に必要な物質を解放的な態度で取り込む。これが生物の基本なのでして。土地(=生物の膜)は行った先で奪えばいいというウイルス的なモンゴル遊牧民の態度と増殖の方法は、生物にとって悪性であるので排除すべきですし、また弱らせたウイルスや細菌を身体に取り込んでその科学反応を役立たせるという生物の抗体機能も正しいように思われます。
モンゴル帝国は言ってみればウイルスを使った世界同時感染による支配であって、それを世界がひとつになった歴史的瞬間と讃えるのはおかしいと思いますし、事実風邪が治ったイスラームであるとかロシアでは逆に遊牧民が王朝に統治されて使役されていました。

投稿: 巫俊(ふしゅん) | 2008年4月18日 07時33分

イスラム教を考える上で、政治史の面から考えておくべきことの一つが、改宗が必ずしも強制されていないという点です。特に初期については。この点はジハードという言葉とともに大きく誤解されている点です。イスラム帝国の発展について考える場合は、宗教集団としてよりも政治集団としての見ることの方が重要と思います。

宗教史的な面で考えると、政治勢力が急速に大きくなったのに比べると宗教の拡大はゆっくりしたものでした。7世紀にアラビア半島を発したイスラム教が、中国甘肅の南辺で本格的に宣教を行ったのが18世紀。大陸を陸伝いに横断するのに1000年以上の時間がかかってます。これは、イスラム教というとなんでも短兵急だというイメージが誤りである一例です。

ですので、棄教者死刑制がイスラム教隆盛のひとつの鍵というのは、私には俄に信じられません。啓典の3宗教を比較した場合、イスラム教には最も新しい宗教という一面があります。それは、一つには前の2宗教が抱える矛盾点を解決した合理性を持つということです。この点について自分は肯定的に評価してます。ただしそれを突き詰めることで、生活と宗教が一体化するという宿命を抱えていて、脱宗教化、政教分離が進む現代においてマイナスに評価されるのは、仕方がないことと思います。

また、草原がイスラム化すればイスラム主義者に変わるというのは単純に過ぎます。ソ連という特異な時代を経たとはいえ、今の中央アジア例えばキルギスあたりから聞こえて来る情報は、宗教以前という話が多いように思います。イスラムにおいても、政治と宗教を分けて考えることは重要です。


騎馬遊牧民の起源について、本や著者によって随分とブレが見られますが、比較的新しいという説を自分も支持してます。騎馬という側面もそうですし、牧畜という点でいうと乳製品の加工はかなり高度な技術だという話があります。遊牧民が牧畜を中心に置いて自立できるようになったのは、歴史的にみればかなり新しい可能性があります。戦車については分かりませんが、犬戎とかを無批判に遊牧民と書いてあるものは、自分はひきますね。


歴史を考える上での枠組みは、所詮理解を助けるための仮想のものに過ぎません。日本史は中国史の一部ではないですが、中国史抜きでは考えられません。少なくとも「どちらか」ではないのです。ですので程度の差はありますが、「異なる」のは当然です。

分子生物学に例えるのは面白いですね。私ならば、福岡伸一氏が「生物と無生物のあいだ」
http://samayoi-bito.cocolog-nifty.com/mutous/2007/09/post_2e2a.html
の中で唱えていた「動的平衡」という言葉を思い出します。細胞膜は絶対的な壁ではなくて出入りがあり、膜によって出入りのバランスがとれていて、細胞が生物として存在できているというわけです。
この話を地域や国家に援用するとどんな話ができるでしょうか(笑)


投稿: 武藤 臼 | 2008年4月19日 14時59分

鹿児島(薩摩半島南部)で生まれた某人に聞いたのですが、鹿児島の昔の家では女が強く、カカア天下であったと。
しかし鹿児島というと、男の尊厳にうるさい薩摩男子が有名。
古代の地方官の支配から江戸期に至るまで、漢籍によって教育された統治者を戴いた薩摩の国は、男女の違いを強調してきた性格があるはずです。
統治する側の「北の思想」(漢籍など中央色の日本文化)がある一方で、統治される側の「南の思想」(南島の地域文化)があり、両者は千年のあいだ性格を大きく変えつつ動的均衡を保ってきたと思います。

そうしたもののひとつが、建前の男尊と現実の女尊です。
イスラームのキルギスなどでの受容にしても、建前と現実の両者があり、現実の方やイスラームの側が譲歩して残したイスラーム以前からの建前などは結局のところ「お目こぼし」であることも事実であると思います。
イスラームの側からすると「お目こぼし」、地域の側からすると「草原社会の慣行の維持」なのでしょうが、「お目こぼし」されていることを忘れてはいけないと思うのです。

そこにイスラームの関与する力関係があり、ソ連のイデオロギーや中国の東トルキスタン統治も同じくです。

個人的な感覚ですが、入信した信者を逃がさない仕組みを持っているイスラム教は緩やかであっても拡大してしまえば、その宗教圏をがっちり維持する力のひとつになります。
生物種の繁栄の原則によく似ています。

それから、私は殷と古代オリエントを比較して考えた上で、西アジアと東アジアの両者の歴史を考えていますから、オリエントのイスラームに対する禹貢九州の中国という両者の把握をしていまして、啓典の三宗教の中で悪辣であるとかそういうことを言っている訳ではないのです。

投稿: 巫俊(ふしゅん) | 2008年6月15日 04時00分

しばらくぶりにコメントを頂いて以前のやりとりを読み直してみると、随分と立ち位置とか前提が違っているのだなと思います。悪く言えば議論が噛み合っていないし、モンゴル論など話題の枝葉と捉えて放置した部分もあります。自分の手に負えるかどうかという問題はありますが、後ろ向きに捉えても詰まらないので、多様性という意味で違いを前提にして何か面白い展開がないものかと思います。

とりあえず、今回は各話題それぞれにコメントをつけて返事としてみます。


男女の問題を歴史的に、あるいは民俗誌的に考えるには自分には材料が足りないという感じです。2つコメントを加えておきます。

>「北の思想」「南の思想」

仮設的な方角とは思いますが、あえてまたしても遊牧民がでてきます。遊牧という生業のために遊牧民においても女性の地位は高いように思います(ただし現実は知らないので、実態がカカア天下なのか内助の功かは知りません)。それが事実ならば、農耕世界(ひょっとしたら都市国家型社会?)とそれ以外の対峙となるのかどうか。

「イスラムとキルギス」「お目こぼし」に関連して男尊女卑からは離れますが、宗教の拡大とについて自分が問題にしているのは「ローカル化」という点。身近なことで言うと、自身の修養として始まった仏教がいつのまにか救済とか現世利益も取り込んでしまっている。ローカル化しないと宗教として受け入れられないからという現実問題があり、それは仏教に限らずキリスト教もイスラム教にも普遍的にあることと自分は理解しています。「日本の仏教など本当の仏教ではない」という様な言い方はできますが、宗教一般、あるいは人々の信仰として捉えるとローカル化は些細なことと考えます。それらの意味で、

>「お目こぼし」されている

という文脈がしっくりきません。ですので、ソ連や中国のことも分かりません。


>その宗教圏をがっちり維持する

簡単な反証ですが、イベリア半島、バルカン半島、ロシア草原などイスラム教圏にも後退の歴史があります。その意味で、イスラム教が印象ほど強力なのかどうかという疑問があります。


古代中国とオリエントの比較というのは面白そうだと思いますが、「禹貢九州の中国」という概念が自分にはありません。孔子ではないのですね?

投稿: 武藤 臼 | 2008年6月15日 15時07分

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