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2008年4月13日

李元昊と赫連勃勃

 先日、西夏の建国についての中で西夏の初代皇帝を李継遷としてはどうかと書いた。では、これまで

 西夏建国の英主である
五代と宋の興亡 135頁:周藤吉之・中島敏著、講談社学術文庫 )
と言われてきた李元昊は、ただの三代目に降格になるのかというと、そうは考えていない。彼は、父の時代から甘肅省西部への遠征軍を率い、後を継いでからも青海省東部へ遠征したり、北宋と大掛かりな戦争をするなど西夏の領土拡張に活躍した。また、西夏の国としての体制の確立が彼の時代に進んだこともたぶん事実だろう。だから、初代ではないとしても初代並に活躍した、
 西夏国の基礎を築いた英傑
西夏王国の言語と文化 302頁:西田龍雄著、岩波書店)
という評価は変えなくてよいと考えている。

 ところで、自分は李元昊について次の様な疑問を持っている。

 “基礎を築いた英傑”にしては廟号が平凡

 廟号というのは、「帝王の霊を宗廟にまつる際に贈った称号(goo辞書)」で、一文字目の漢字は生前の事績によって決められるといわれる。李元昊の廟号は景宗である。景は、決して悪い字ではないのだが、景宗を贈られた他の皇帝を並べると英傑と言われる皇帝よりは1ランクか2ランク下に見える。(参照:Wikipedia

 李元昊は、彼に妃を奪われた皇太子に襲われ、その時の傷が元で死んだとされている。ひとつの可能性として、李元昊はこの悲劇とも喜劇とも言える最期によって評価を下げ、そのために平凡な廟号が贈られたと考えられる。この事件については、そのうちあらためて考察してみたい。


 次に、西夏とは直接関係がない赫連勃勃が登場する。彼は、李元昊から600年前に西夏と同じ夏国の名前を持つ国を作った人物である(西夏も本来は夏国もしくは大夏国で。便宜的に「西」がつけられている)。また、李元昊の祖父が宋と奪い合った夏州城を築いた人物でもある。西夏の都があった銀川市の北郊には、赫連勃勃の縁とされている海宝塔が建っている。(詳しい事績はwikipediaを参照)
海宝塔
<海宝塔>

<Google Map>
 夏州城跡海宝塔


 ここからは、良く言えば私が立てた仮説であって妄想的な話となる。まず、李元昊は赫連勃勃を意識していたのではないかと自分は見ている。赫連勃勃の夏は、西夏と同じオルドスを領土として南へ戦争を仕掛けた。李元昊は、結局宋の領土はほとんど奪えなかったが、赫連勃勃は長安を占領している。

 つぎに、李元昊には「世祖始文本武興法建礼仁孝皇帝」という尊号があったと宋史に書かれている。この尊号は、尊大な称号のひとつで死後に贈られることもあるが、彼の場合は生前から使われていたようだ。学識者が考えて李元昊に奉ったという形をとったものと想像できるが、実質的に李元昊の自薦だったのではないか。

 李元昊の祖父には、死後に「太祖応運法天神智仁聖至道広徳孝光皇帝」という尊号が贈られ、最初は武宗とされた廟号が後に太祖に改められている。ここで、廟号と尊号の両方に太祖の文字があることが自分には気になる。宋史の記述が正しいとすれば、西夏では廟号と尊号がなんらかの形でリンクしていたのではないか。また、宋史の記録を整理する際に廟号と尊号を混同して間違えたという可能性があるかもしれない。


 ここで話が廟号に戻る。李元昊は、世祖の廟号を贈られることを希望していた、というのが仮説の核心である。彼の尊号がその現れではないかと。

 この世祖は、景宗に比べると結果論的に格段に格の高い廟号で、錚々たる皇帝が並んでいる。李元昊より後の人物だが、モンゴルの5代目フビライ、清の3代目順治帝などは特に大物である。李元昊に相応しい廟号だと考えて、それほど贔屓目ではないと思う。そして、赫連勃勃の廟号も世祖である。
(参照:Wikipedia


 以上の話は、仮説に仮説を重ねているのでほぼただの妄想である。ただ、李元昊と赫連勃勃の関係というのは少し考える価値があるように思える。

 なお、李元昊には世祖の代わりというわけかどうか、赫連勃勃と同じ諡号武烈皇帝が贈られている。

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