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2008年5月24日

七尾城 2

 戦国時代、能登の中心だった七尾城は、今年の連休の旅の中でも一番の目玉で、期待以上に興味深い城だった。少し長くなるがもう少し書いてみる。

 昨日は、本丸周辺について書いたが、パンフレット「史跡 七尾城跡」で紹介されているコースは、本丸下の駐車場を起点に、寺屋敷、三の丸、二の丸、本丸と見て回るもので所要50分とある。2時間近くかけて、コース以外の大手道の途中までや西の丸などを回ってみた。


 七尾城の主要部分では、いちばん北に広がる三の丸。南北に100m近い広がりがあり、真ん中を石垣で区切った跡が残る。


 二の丸から本丸側に階段状に続く郭。草で隠れているが石垣が築かれている。写真の道の部分は、左手にある郭の東側を守る土塁の上にある。


 三の丸から大手道を少し北へ下ったあたり。左手に細長い郭があり大手道との間に土塁が続いている。

 昨日紹介した本丸周辺と二の丸、三の丸までで500mほどの広がりがある。七尾城資料館で購入した七つ尾 第25号の特集七尾城跡によると、七尾城は全体で2km×3.5kmの広がりがあるとのこと。同誌で解説されている郭群の主なものを、掲載されている図面を参考に地形図の上に色づけしてみた。


「この地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図(七尾)を基に作成しています。」
(地図をクリックすると大きな地図が別のウィンドウで開きます。)

 北西から南東へかけて2km以上の広がりがある。本丸から離れた郭の中には、独立性の高い形を持ったものも見られ、それだけでひとつの城とも見れる。これらは、巨大な城郭群とみるべきなのだろう。広がりという点では、国内でも大きい部類に入るのではないだろうか。

 北側の山麓には守護所と呼ばれるところがある。雛壇状に郭がならび、守護や家臣の屋敷があったという。前面には堀があったことが確認されているとのことで、ここだけでもかなり大規模だ。これだけ広大だと、全てを守りきれるものでもないと思うのだが、1576年に上杉謙信が攻め込んだ時などはどうだったのだろう。

 城の主要部分は、本丸の北に三の丸、東南に長屋敷と言われている郭を並べた配置で、郭の間は深い堀切で区切られている。長屋敷は、パンフレットなどにも載っているが、散策ルートには入っておらず、道も整備されていない。なんとなく興味を覚えて、予想以上に急な斜面と深い薮を掻き分けて登ってみた。


 写真は、その東側の端に続く土塁の一部。郭の東側ほぼ全体が土塁で覆われ、その先に深い谷がある。七つ尾 第25号によれば、幅40m、深さ25m、長さ150mある堀切とのこと(上の地図上に3本引いてある線の一番右側)。土塁の上から堀切の底に降りるのはかなり大変だったが、降りてみると普通に地形的な谷のように見えた。地形図ではっきり分かる大きな堀切というのも凄い。

 地形図を見ると、長屋敷は本丸よりも20mほど高く、その東にはさらに高い場所があるのが見て取れる。山の上としては地形的になだらかなこの東へ続く尾根は、七尾城にとって大きなウイークポイントに見える。そのための深くて巨大な堀切ということなのだろう。


 本丸より80m高い位置にある展望台から見た七尾城。本丸を丸々見下ろせる位置にある。七尾城を攻めるための指揮所として絶好の位置ではないか。


 目玉とはいえ、半日しか予定していなかったので、本丸周辺しか見ていない。七尾城がこれほど大きな広がりを持つことは行くまで知らなかったというのもある。全部を見て回れば、2日かけても見て回れるかどうか。パンフレットで案内されている範囲は、看板が備えられ、道にも手が入っていて手軽に見て回れる。その範囲の外側は薮が深く、地形も厳しくて大変そうだ。

 それでもこれだけの大きさの山城である。機会があれば丹念に見て回りたいとも思う。階段状の石垣、高くて急な堀切や土塁、形の良く残った郭群と実戦的で興味深い山城だった。


<国土地理院 地図閲覧サービス>
 七尾城周辺

<参考資料>
七つ尾 第25号
特集 七尾城跡
七つ尾編集委員会 編
七尾城址文化事業団 2006.9

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