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2008年6月29日

黒水城文献発見百周年

 纪念黑水城文献发现一百周年学术研讨会召开(光明日报)

 6月22日の中国光明日報の記事によれば、黒水城文献(カラホト文書)発見を記念した研究討論会が、中国で開かれたとのこと。以下に全訳を掲載する。なお、訳に誤りがあったらご指摘頂ければ幸いです。


 黒水城文献発見百周年記念学術研究討論会が開かれた
 先日、河北省の社会科学院によって「黒水城文献発見百周年記念学術研究討論会」が石家荘市で開催され、北京、山東、河北などの学術研究機構の20人余りの専門家、学者が参加して、黒水城文献発見の時期と文献の特徴、黒水城文献と宋遼夏金元史研究、黒水城文献研究の動きと発展の方向性などについて活発な討論が行われた。
 黒水城文献発見の時期については、孫継民から、1908年の黒水城文献発見と1909年の黒水城の「有名な塔」文献の発見を区別すべきこと、1908年4月に(P.K.)コズロフが黒水城で西夏文や漢文などの文献を発見したのを最初とすることが提起された。
 黒水城文献の特徴については、白濱によれば、(L. N.)メンシコフの「黒水城文献は西夏の羅太后の蔵書である」という観点は誤りで、黒水城文献は実際には元代のエチナ路所蔵の文書とモンゴルが西夏を滅ぼす際に獲得した戦利品であると考えられるとのこと。
 黒水城文献の資料価値と研究意義については、李華瑞によれば、西夏文文献の発見には少なくとも以下のような意義があるという。はじめに、宋史の観点からすると、黒水城文献が発見される前は、西夏史研究は主に宋代に編纂された文献に依存していた。黒水城文献の出現で、西夏自身の文献、文物を利用して西夏の歴史を読み解くことが可能となった。次に、文献整理の観点からすると、敦煌文献と西夏文献にはそれぞれに長所があるが、歴史研究の価値からすると、西夏文献は敦煌文献と比べても歴史研究に大きな貢献をすることができると考えられる。さらに、出席者は宋代の文献と宋代の文献を基に編纂された清代の文献は西夏史の参考として研究されるだけで、西夏史の研究はより多く西夏文献に戻るべきだと思うだろう、そして黒水城文献の解読が一歩一歩進むについれて、それは西夏史研究のレベルを引き上げるのに大きな作用を生むだろう。

 西夏は、遼や金と比べて正史を持たなかったというハンディから、従来両国にくらべて歴史研究は大きく遅れをとってきた。カラホト文書が利用できるようになった昨今、この状況は一変し、こと文献研究の隆盛という点では、墓誌の研究が盛んな遼に肩を並べ、金を上回りつつあるというのが実態に近いのではないだろうか。

 そう思う一方で、私の訳に誤りが無ければカラホト文書を持ち上げるという点で、この記事は少し景気が良すぎるのではとも思う。西夏国内にあっては、いち辺境の軍事都市にすぎなかったカラホトで発見された文書群がいかに大量であっても、西夏史の解明にどのくらい貢献し得るのだろうか。といいながら、自分は文書群の全体像を全く知らないのであれこれ想像するばかり。その研究の面白さは、昨日書いたとおりだし、多大な期待をしておく方が楽しいかもしれない。

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