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2008年6月 6日

穴水城と長一族

 ゴールデンウィーク9つ目となる穴水城。能登島を車で一周した後、七尾北湾の北西にあたる穴水に寄ったのは、たまたまといえばそうなのだが。城跡があり、多少なにかしら残っているらしいので、とりあえず情報収集のために穴水町歴史民俗資料館に立ち寄った。資料館の方には親切にしていただき、いろいろと資料を見せて頂いた。

 ほぼ何も知らずに立ち寄ったという不覚な話だが、資料館の展示を目にするまで穴水が長(ちょう)氏縁の地ということを知らなかった。長氏は鎌倉時代に能登で地頭職を得て以来の家柄で、戦国時代には能登国内の有力な国人領主だった。越後の上杉謙信進攻に対して徹底的に抗戦し、織田信長に助力を求めている。前田利家が能登に入ると鹿島郡の半分を領地として利家の与力となり、後に前田家中で2番目に大きな領地を持つ家臣となった。その長氏が戦国時代に本拠としていたのが穴水城だった。

 穴水城は、穴水の市街から川を挟んだ東側の丘陵にある山城。中心は、地形図に61.7mの三角点が表示されているあたりで、北麓に町役場、南麓に資料館がある尾根筋に広がっている。資料によれば、役場のある谷筋を真ん中にしてコの字型の尾根上に遺構が残っているという。


 役場のあたりから登って行く遊歩道があるらしいのだが、日が西に傾きあまり時間がなかったので車を使った。城の中心部が小さな公園として整備されていて、脇にある駐車場まで直接登ることができる。駐車場脇には石碑と案内板が。


 中心部の南東側一段下の郭。位置的には二の丸に相当するように見えるが、さほど広くはない。桜の木が並び、生け垣が整えられているがちょっと草が茂り気味。


 中心となる、おそらくは本丸に相当する郭。南側には下の郭との間に虎口らしい形が残るが、土塁や櫓台らしきものは見当たらない。


 中心部の北に広がる郭。資料を見るとここが一番広い。公園として整備されているのは上の2つの郭だけで、他は笹が生い茂る杉林の中。中心部周辺には、この他にも大小の郭が雛壇状に良く残っている。標高差60mほどとさほど高くなくて守りは堅くないかと思ったが、北側の谷へ下るあたりはかなり急な斜面を保っていて、見た目よりも実戦的なのかとも思う。資料によれば、中心部分は東西方向に350mほどの広がりがあり、道路に一部破壊されたところはあるものの、時間をかけて回れば堀切などもう少しいろいろ見られたようだ。


<国土地理院 地図閲覧サービス>
 穴水城周辺

<参考資料>
石川県中世城館跡調査報告書 II
 石川県教育委員会 2004

天恵の系譜
加能州における長一族の八百年
長進 著
体育施設出版 2006.6

 


圖録長家資料
穴水町教育委員会 1996.3

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