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2008年6月11日

松波城

 今年のゴールデンウィークに回った10か所目、最後の城は能登町の東端にある松波城。能登畠山氏の支族といわれる松波氏の拠点だった城。1577年に越後の上杉勢が能登へ侵攻した時には、数百人が籠城して攻城戰の後に落城したという。

 西から伸びる丘陵の末端部で、南北を川に、西側を谷で区切られた半独立状の丘の上にある。東側から小さな谷が入り込んでいて、それを真ん中にした逆コの字形、標高は30mほどの平山城。


 城の東側には3年前までのと鉄道が走っていて、松波という名の駅があった。鉄道跡は線路が剥がされて、道路に架かっていた部分が撤去されている。松波駅跡は、今は松波城と畠山氏について解説するミニ資料館になり、写真のような城の模型が飾られている。


 逆コの字形の東南端は、のと鉄道の前身、国鉄能登線が通った時に鉄道によって切り離された。東出丸と呼ばれている部分で、深い堀切が残るなど松波城の中では一番城らしい雰囲気がある。


 東出丸から線路を跨いでいた陸橋を越えて坂道を登ると、10分ほど松波城本丸と書かれた碑が立つ所に出る。大手門に続くいう虎口の土塁が残っているが、広い本丸跡は近代以降にも造成されたようで、ただのっぺりと広く城跡という雰囲気はあまりない。


 逆コの字から西へ飛び出した形の尾根の先に搦手門址の碑が立つ。最近開通した国道のバイパスがすぐ後ろを走る。本丸周辺は整備されているが、そこから北西へ向かうと細い道のほかは薮状態になる。搦手へ続く道も途中から薮の中になるが、小さい郭を連ねたように見える地形が残る。


 搦手から逆コの字の北側にあたる部分を東へたどると、院ノ山という名の碑が立つ平地が広がっている。郭でなく平地と書いたのは、こちらもただ広い平地が広がっているようで、城跡という雰囲気がなかったから。資料を見てみると谷で区切られた100m四方ほどの広がりが東西に2つあるが、どちらも写真のような杉林と竹薮の中。ただし、その平地が切れて谷に向かう斜面には帯郭や虎口を思わせる地形が残る。法面もわりと急でそこだけ見ると山城のようでもあり、この平坦部全体も昔にある程度造成されたものに見える。その造成が戦時のものか平時のものなのか、歩いただけではもちろんわからない。

 城全体の広がりの広さにはわりと驚いた。東出丸から搦手門址まで直線で700m近くあり、数百人程度で籠城する規模には見えない。越後軍侵攻の時に籠城したのは、この広がりの中の一部なのではと想像するが、ただの想像である。



「この地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図(松波)を基に作成しています。」

 本丸の碑が立つ所まで道は細いが車で入ることができる。国道を南から来たときは、信号を左折して橋を渡ると右に入り口がある。


<国土地理院 地図閲覧サービス>
 松波城周辺

<参考資料>
石川県中世城館跡調査報告書 II
 石川県教育委員会 2004

七つ尾 第25号
 七尾城址文化事業団 2006.9

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