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2008年6月14日

丸山城

 天気を心配していたのだが、週末が近づくにつれて降水確率が下がってきたので、それではということで連休以来ひと月振りに城攻めにでかけた。目標は、三重県伊賀市にある丸山城

 丸山城は、1578年に織田信長の息子信雄が伊賀の領有を目指して築かせたものという。しかし、これに反発した国人衆によって翌年奪われてしまう。信雄は奪還の兵を出すが敗退、1581年に信長が指揮して大軍を出して伊賀全域を押えて城も奪還した。一連の戦いを天正伊賀の乱という。伊賀上野城が築かれるまでは、伊賀でいちばん大規模な城だったという。



 近鉄大阪線の伊賀神戸で近鉄から独立した伊賀鉄道に乗り換えて6分、丸山駅のひとつ南にある上林駅で降りると田植えの終わった田圃の向こうに丸山が横たわっている。山というか、いわゆる里山で標高は213メートルあるが、標高差は麓から60メートルほどとさほど高くない。西に木津川が流れ、川や谷によって周りから切り離された独立の丘で、丸山城は山城というよりは平山城に近いだろう。


 道らしい道がある登り口は南、西、北の3か所(下地図中の赤矢印)。3か所とも看板など案内が何も無い上に入り口が分かり辛い。南側から登ると5分ほどで小さな社がある広場に出る。道は山道としては広く、社への参道として広げられたものとみる。


 社から天守台まではなだらかな登りを5分ほど。広さ十数メートル四方、高さ4、5メートル程の独立した郭で、高さ4、5メートルと巨大な石碑が立つ。天守台といわれれば、ちょうどそのくらいの広さという感じ。


 天守台の周りは、少し広い郭が取り巻いている。その一角に、昭和35年と刻まれた天正伊賀の乱の慰霊塔が立ち、新しい花が供えられていた。


 その郭の東側には土塁、堀切、あるいは虎口と思われる地形が良く残っている。写真は、間に深い堀が入る二重の土塁。


 写真は、木津川の支流で北の山裾を流れる比自岐川。立派な水堀という雰囲気がある。写真下側、流れの上に渡された赤い鉄板の橋を渡ると北側の登り口がある。この道は、一気に登る急な道だが天守台まで10分もかからない。途中に元文五年と刻まれた一部崩れた鳥居があるので、こちらも長く参道として使われてきた思われる。

 西側へ下る道は、他の2つの道と比べて細い獣道状。尾根筋の西端にある水道施設のある場所を経て麓まで10分ほど。


 丸山城は、一度は織田軍を退けた堅城であるがいわゆる里山で、麓に暮す人々によって常に使われてきたものと見受ける。谷筋には溜池や田畑の跡があったりと、平な地形や土塁状のものが城に関わりがあるのかどうか見分けるのは難しい。


「この地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図(伊勢路)を基に作成しています。」


<国土地理院 地図閲覧サービス>
 丸山城周辺

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