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2008年6月21日

モンゴルの都市発展と交通に関する総合研究(感想)

平成17年〜19年度科学研究費補助金
 (基盤研究(B))研究成果報告書
内陸アジア諸言語資料の解読による
モンゴルの都市発展と交通に関する総合研究
研究代表者 松田孝一
2008.3

 本誌は、モンゴル帝国およびモンゴル高原に関わる碑文調査、都市遺跡調査とそれらに関わる文献研究についての論文を集めたもの。そのことから、あるいは掲載論文の一覧からもまた察せられるように、守備範囲はひろく多岐に渡っている。したがって、本誌全体として何が言えるのかというものではないが、草原の歴史についてどのような研究がなされているかという点描として見るだけでも興味深い。

 自分的には、時代や地域として興味の範囲に近いが、研究先端の話は機会があれば触れているという状況で断片しか知らない。ただ趣味として読んでいるわけだが、その前提で掲載論文の一部について簡単に解説と感想を書いてみる。なお掲載論文の一覧は、先月の一文を参照。


モンゴリアのイヘ・アスヘテ(Ikhe-Askhete)画像銘文の文献学的再検討
---2006/2007年夏の日蒙合同調査を通してみた---
 大澤孝

 イヘ・アスヘテ遺跡は、モンゴル高原中央部、カラコルムの北北東90kmほどの所にある埋葬遺跡で、著者によれば第二突厥時代の王族に連なるアルトゥン・タムガン・タルカンが被葬されているという。研究史、先行研究、遺跡の紹介と、2つの石槨から読み取られた突厥文字で刻まれた銘文について考察されている。銘文は2つの石の両面に延べ37行あり、全文について読み取った文字、そこから再現される文章が掲載され、翻訳と注釈が加えられている。

 タルカン本人に関わることや政治史に直接関わることは書かれていないが、先行研究を書き換える解釈がなされているようだ。この銘文は、葬られた人の功績を刻んだ墓碑のようなものではない。ほとんどの文章に「残念だ!」とか「悲しい!」とかが付けられているが、これは定型文ということだろうか?追悼碑というにもあまり脈絡がないようだが。突厥文字そのものの写真は掲載されていないが、文字をどう読み取って解読していくかの過程が見て取れる。


シネウス碑文テキスト再改訂版
 森安孝夫・鈴木宏節・齋藤茂雄・白玉冬・田村健

 シネウス遺跡もモンゴル高原中央、カラコルムからは北北西150kmほどの所にある遺跡。遺跡と碑文の写真は、雪豹さんの突厥が好きっっっ!写真が見られる。また、碑文から取られ本論文の素材となった拓本については、大阪大学総合学術博物館統合資料データベースの「データベース検索はこちら」から入って、「モンゴル国現存遺蹟・碑文調査(ビチェース・プロジェクト)」の下にある「カテゴリ一覧表示」で表示される一覧の中から、判読可能な大きな画像が見られる。

 シネウス碑文は、ウイグル汗国第2代の葛勒カガンの紀功碑とのこと。彼は8世紀半ばの人物で、唐の安史の乱に派兵している。本石碑にも50行におよぶ膨大な文章が、突厥文字で書かれている。判読できないものもだいぶあるようだが、カガンの紀功碑なので直接政治史に関わるようなことも書かれている。本論は、1996年、1997年に採取された拓本をもとに碑文を読み直した結果によるもので、新しい内容が発見されたわけではないが、文の見直しでより合理的な解釈がなされているとのこと。

 内容としては、突厥のことがでてきたり、安史の乱に関わって唐がでてきたりと興味深いもの。ただ、結構重要そうなところが判読されないこともあり、自分には碑文の全容がいまひとつ把握できない。ウイグルについての概説モノを読み直すともう少し面白く読めるだろうか。


チンギス・カン前半生研究のための『元朝秘史』と『集史』の比較考察
 宇野伸浩

 本論は、チンギス・カン前半生、つまりカンに即位するまでのことについて、元朝秘史集史を比較して、その違いを検討したもの。方向的には、元朝秘史の内容を集史を元に批判的に考証している。ここではそのさわりということで、チンギス・カン家の養子、テブ・テングリ殺害事件、チンギス・カンの第一次即位の3つについて検討されている。

 そもそも、こういう研究がまだあまりされていないという。そうなのかと思うのだが、あいかわらず「集史の邦訳が・・・」という話に行き着く。とりあえず雪豹さんのブログを楽しく読ませて頂いている。そもそもこの3つの出来事は、秘史をベースにした小説やドラマでは欠かせないエピソードだ。この3つだけでも随分とケチがつくわけで、大変興味深いので今後の進展に期待したい。多少難しい内容でも、一般書として出版すればモンゴルファン必読となること請け合いである。


カラコルム三皇廟残碑とモンケ・カアンの後裔たち
 村岡倫・谷口綾

 カラコルム三皇廟とは、14世紀前半にモンゴル帝国の元首都カラコルムに建てられた碑文で、廟の建立について漢文で記されたもの。所在不明だったものが1996年に再発見されたとのこと。新たに採られた拓本により碑文の解釈をしたのが、本論前半の谷口氏による論。後半では、村岡氏がそれを足がかりのひとつとして、東西の文献を用いながら第4代ハーンモンケの子孫の動向を探っている。

 とくに村岡氏の論には惹かれる。モンケの子孫というと、フビライの時代に反乱を起した子のシリギは、フビライの子ノムガン没落のきっかけであり、知る人ぞ知るという名前である。それ以外はというと、自分の記憶にはさっぱりなのだが、本論では曾孫の代に至る系図が復元されている。単に名が残っていただけでなく、小ながらもウルスと形容できる勢力を持ち、中国にも独自の領地(いわゆる投下領)も持っていたという。とくにカラコルム方面での影響力があり、上記碑文にも名を残しているとのこと。

 ジョチ、チャガタイ、フビライの子孫は別格にしても、オゴデイやアリクブケの子孫についても、フレグ=ウルスやチャガタイ=ウルスのハンとして、あるいはいわゆる北元のハーンとして名前を残しているが、モンケの子孫はさっぱり出てこない。モンケがモンゴル帝国の中でそれなりに存在感のあるハーンであるだけに、この落差は一種寂しくもある。本論は、その末路を語るものとして興味深い一論である。


<Google Map>
 イヘ・アスヘテ遺跡シネウス遺跡

 イヘ・アスヘテ遺跡は、論文に掲載された経緯度で表示しただけなので、GoogleMapの精度を含めて遺跡がこの点かどうかは不明。そもそも遺跡の広がりが10m四方ほどで、碑石も大きいものでも2mに満たないので、判読はむりだろう。左側に点々と映っているは家畜の群だろうか。

 シネウス遺跡は、中央ユーラシアの考古学(藤川繁彦編 同成社 1999年)の305頁掲載の図版を見ると、白く見える積み石や全体を囲む堀の形などからこれかなと思う。現地に行かれた方の確認を請う(笑)

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コメント

随分おもしろそうですが、私のような一般人には、手に入らないのでしょうねぇ……。

>イヘ・アスヘテ
エニセイ・キルギスの突厥文字碑文みたいな感じですね~。<「残念だ!」
突厥第二帝国のような可汗とかの長文の紀功碑文の方が本当は珍しい形なのかも知れませんね。
※グーグル・マップ、シネウスはこんなにはっきり見えるんだ~! 羊が見えるならイヘ・アスヘテもわかっても良さそうですがただの岩の出っぱりとの違いは?と聞かれるとわかんないですし(笑)。

『集史』は確かに佐口氏訳の『モンゴル帝国史』でかなりカバーされてるけど、ロシア語訳でテュルク関係のところだけ読んでも、やっぱりストーリィ展開というか、論旨の展開というか、話の流れがある感じなので、いろいろな論文やら本やらに細切れに訳されていて寄せ集めると結構なパーセントになるとしても、全部通して一貫した理解で翻訳してないから、ラシードの意図から外れた言葉遊びになってる可能性だってありますよね。論文に引かれている訳なんて、論者が自分の論旨に合わせて恣意的に訳して引用しているかもしれないし。←確かめようがないもんね(笑)

投稿: 雪豹 | 2008年6月22日 12時37分

>随分おもしろそうですが、私のような一般人には、手に入らないのでしょうねぇ……。

紀要とか報告書の類には、入手できるかどうかにいきつきますねえ。国会図書館で見つかるものもありますが、そうでないものも結構あります。この報告書は、次の機会にでもお貸ししますよ。

>エニセイ・キルギスの突厥文字碑文みたいな感じですね〜。<「残念だ!」

そういうものなんだ。中国みたく、墓誌に功績書きまくるという文化の方がひょっとして特殊なんですかねえ。日本にもないし。

>※グーグル・マップ、シネウスはこんなにはっきり見えるんだ〜! 羊が見えるならイヘ・アスヘテもわかっても良さそうですがただの岩の出っぱりとの違いは?と聞かれるとわかんないですし(笑)。

とりあえず、シネウスはあれで良いわけですね。羊や山羊らしきのがあっちこっち見えるのはかなり楽しいですね。かなり楽しめそうです。
イヘ・アスヘテは、多分見えてると思うんですが、これ!・・・と同定するのは無理ですね(^^;


>『集史』は確かに佐口氏訳の『モンゴル帝国史』でかなり(以下略)

カバーされているでしょうけど、やっぱバイアスなし、どこまでが集史か・・・というのの必要性は高いです。確かにあちこちの論文で見かけますが、引くの大変なので索引と注釈付きの本が一冊欲しいです(くどくど)。

投稿: 武藤 臼 | 2008年6月22日 17時33分

>この報告書は、次の機会にでもお貸ししますよ。
やた! 貸してください。
イヘ・アスヘテはトリの人の碑が周囲にあまりないような黒い石だったので、矢印の少し右に見えるのがそうかな?とも思えますが、モンゴルの黒い犬が寝ているだけかもしれないし……(笑)。
シネウスは、真ん中に大穴のあいた塚の形がそれっぽいので間違いないと思います。付近にこのテの遺跡は確かなかったので、取り違えることはないはずです。

>ただ、結構重要そうなところが判読されないこともあり、

そこでまた『集史』ですよ。
「○○は100年の間統治した」なんて言い回し、ウィグルの項で出てきたら、どうしてもシネウス碑文等々ウィグルの碑文が思い浮かぶわけですよ。こういう言い方ってウィグルの年代記の定型の言い回しなのでは?
『集史』がどうもテュルク臭いと思えるのは、ウィグルの年代記から相当引用してるからではないかとか、モンゴル好きでなくても『集史』はどのみち使わにゃあならんとです。ロシアの研究者(やら映画監督やら)が気楽に『集史』を参考にしている様を見ると、確かにくっそー、邦訳(丁寧な解説付き)があったらなぁ!と思わずにはいられません(笑)。

投稿: 雪豹 | 2008年6月23日 01時55分

んっ?
イヘ・アスヘテへも行かれてるので?(^^;

>「○○は100年の間統治した」なんて言い回し、ウィグルの項で出てきたら、どうしてもシネウス碑文等々ウィグルの碑文が思い浮かぶわけですよ。

なるほど、そういう評価もあるのか。実際、ここいらへんは面白い話しが多いっす。
・・・さて、自分は何に手をつけようか。

投稿: 武藤 臼 | 2008年6月23日 23時19分

ごぶさたいたしております。
昨日、学習院大学に講演を聴きにいってまいりまして、講演者の方から、ありがたくも論文抜刷をいただきました。
上京の折には、あらかじめメールをいただければ幸いです。

投稿: あかさか | 2008年6月28日 22時06分

あかさかさん、しばらくぶりです

「文字文化からみた草原とオアシスの世界」ですね。
それ聞きたかったですね。
次の機会に聞かせてください。

・・・さて、つぎはいつ上京できるだろ(^^;

投稿: 武藤 臼 | 2008年6月29日 07時40分

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