« 黒水城文献発見百周年 | トップページ | (書評)高句麗と渤海 »

2008年7月 1日

1995年アジア紀行〈エスファハーン〉

 16世紀初め、北西イランのタブリーズから始まったサファヴィー朝が、エスファハーンに遷都したのは5代君主アッバース1世の時代。王朝の最盛期を現出したその時代、「エスファハーンは世界の半分」と讃えられたという。

 イランを代表する古都を訪れたのは、イランが新年を迎えたばかりの1996年3月24日のこと。シラーズを昼前に出たバスで7時間半、サマータイムに入ったばかりのこと、暮れ行く中を街の南を流れるザーヤンデルード川を渡ったのを朧げながら覚えている。


 イラン暦では、春分の日から新しい年が始まる。丁度正月の観光シーズンの最中で、街の中心イマームの広場は観光客が大勢繰り出し、観光馬車が走り回っていた。もちもちとしたアイスクリームが美味しかった。


 イマームの広場の西に建つアーリー・ガープー宮殿は、観光客でも登ることができた。南を望むと、恐らくイランで最も有名なモスクイマームのモスクの青いドームがあり、その向こうにはザクロスの山並みが見える。


 モスクと言えば、タイルや漆喰壁に描かれた幾何学模様の美しさ。これは、イマームの広場の東に建つシャイフ・ルトゥフッラーのモスクの礼拝室のドーム天井。


 こちらは、イマームのモスクの門の天井。平面だけでなく立体的にも複雑。


  イマームの広場から北へ少し離れたところにある金曜モスク。この写真ではあまりはっきり見えないが、門はいかにもアラビア文字らしい装飾の字体で覆われている。

 エスファハーンでは、イマームの広場以外にもザーヤーンデルード川に架かる橋の下にあるチャイハネ、広場の東から迷路のように続く大バザール、広場の西にあるチェヘル・ソトーン宮などが見どころだが、大きな市街には大小のモスクがあちこちにあり、迷路のような道の先に小さなバザールがあったりする。

 チャイハネで川面を眺めながらのんびりお茶をしたり、迷路の先へあてどなく探検したりと、1週間くらい滞在しても飽きなさそうな街。しかしながら、フリーの旅行者には一週間のトランジットビザを一週間延長するのが精一杯。中2日の滞在で後ろ髪を引かれながら立ち去るしかなかった。


<Google Map>
 エスファハーン

<参考>
 イランを知るための65章
  明石書店 2004

|

« 黒水城文献発見百周年 | トップページ | (書評)高句麗と渤海 »

1995年アジア紀行」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/162739/41710631

この記事へのトラックバック一覧です: 1995年アジア紀行〈エスファハーン〉:

» イラン紀行〓エスファハーンに感動 [見えない物を見る為に]
 思った以上に早くエスファハーンに到着。外は快晴の40℃。変わりなく暑い。我々は軽食を取りながら今晩の宿を考えていた。 「ここなんてどうだろう?広場に近いし便利そうだよ」 「考えるのも暑いしそこにしよう」  暑さは思考能力を奪うというのは本当のようだ。我々はエマーム広場に近い某ホテルに向かった。そのホテルは中級ホテルらしく小奇麗なホテルだ。ただ値段がかなり上がっているみたいだ。ツインで80ドルに値上げされている。その上受付のお姉ちゃんは無愛想だ。でも暑いし、ここでいいや。三連泊..... [続きを読む]

受信: 2008年7月27日 18時49分

« 黒水城文献発見百周年 | トップページ | (書評)高句麗と渤海 »