1995年アジア紀行〈エスファハーン〉
16世紀初め、北西イランのタブリーズから始まったサファヴィー朝が、エスファハーンに遷都したのは5代君主アッバース1世の時代。王朝の最盛期を現出したその時代、「エスファハーンは世界の半分」と讃えられたという。
イランを代表する古都を訪れたのは、イランが新年を迎えたばかりの1996年3月24日のこと。シラーズを昼前に出たバスで7時間半、サマータイムに入ったばかりのこと、暮れ行く中を街の南を流れるザーヤンデルード川を渡ったのを朧げながら覚えている。
イラン暦では、春分の日から新しい年が始まる。丁度正月の観光シーズンの最中で、街の中心イマームの広場は観光客が大勢繰り出し、観光馬車が走り回っていた。もちもちとしたアイスクリームが美味しかった。
イマームの広場の西に建つアーリー・ガープー宮殿は、観光客でも登ることができた。南を望むと、恐らくイランで最も有名なモスクイマームのモスクの青いドームがあり、その向こうにはザクロスの山並みが見える。
モスクと言えば、タイルや漆喰壁に描かれた幾何学模様の美しさ。これは、イマームの広場の東に建つシャイフ・ルトゥフッラーのモスクの礼拝室のドーム天井。
こちらは、イマームのモスクの門の天井。平面だけでなく立体的にも複雑。
イマームの広場から北へ少し離れたところにある金曜モスク。この写真ではあまりはっきり見えないが、門はいかにもアラビア文字らしい装飾の字体で覆われている。
エスファハーンでは、イマームの広場以外にもザーヤーンデルード川に架かる橋の下にあるチャイハネ、広場の東から迷路のように続く大バザール、広場の西にあるチェヘル・ソトーン宮などが見どころだが、大きな市街には大小のモスクがあちこちにあり、迷路のような道の先に小さなバザールがあったりする。
チャイハネで川面を眺めながらのんびりお茶をしたり、迷路の先へあてどなく探検したりと、1週間くらい滞在しても飽きなさそうな街。しかしながら、フリーの旅行者には一週間のトランジットビザを一週間延長するのが精一杯。中2日の滞在で後ろ髪を引かれながら立ち去るしかなかった。
<Google Map>
エスファハーン
<参考>
イランを知るための65章
明石書店 2004
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