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2008年7月27日

ペルシア語文化圏における十二支の年始変容について(感想)

 デジタル・クワルナフで馬頭さんが紹介されていた史林 第91巻 第3号(史学研究会)。自分は、諫早庸一氏のペルシア語文化圏における十二支の年始変容について---ティムール朝十二支考---が読んでみたいなと思い買ってみた。

 本論は、チュルク・モンゴルによって草原からペルシャ語文化圏へもたらされた十二支が、ペルシャでいつ頃変化を遂げたのかというもの。本論のいうところの十二支は、60年周期の十干十二支ではなく、12年周期の十二支。そして日本ではないので、12番目はブタとなる。先日エスファハーンのところで少しだけ触れたが、ペルシャ語文化圏はイスラム化以前からの伝統として、春分の日を新年の始まりとしてノウルーズと呼んている。

 本論によれば、中国の影響が大きいというモンゴル帝国の暦は、現在の旧正月と同じように立春前後に新年が始まるもので、イル=ハン朝の暦も同様であったとのこと。モンゴル時代の名残として、イル=ハン朝滅亡後も行政文書の年表記に十二支を加える習慣が残ったが、いつの頃からか古い伝統と混ざり合い、十二支の表記の上でも新年はノウルーズからに変わっていったという。この変化がいつ頃起きたのか、もう少し具体的に言えば、ティムール朝の前半なのか後半なのかというのが本論が目指したもの。


 本論は、イル=ハン朝からティムール朝にかけてのペルシャ語文献の中から、十二支が使われている所を集めた上で論考されている。資料として約100例にのぼる一覧表が添えられている。自分は、中国圏からは離れた所で、十干十二支でない十二支が使われていた実例を見てみたいと思っていたのだが、この表だけでも十分に面白かった。

 いままで、さほど暦に興味を持っていた訳ではないので、ほぼ知らなかった世界ということになるが、本論の注によればそもそも十二支の発祥はいまだに良く分からないという。ほぼ無前提に中国で始まったものと思っていたので、これもちょっと驚き。

 また、質が随分と違ういくつもの暦を並べて比較するのに、どれだけの計算が必要だったのかが想像できない。それだけも本論はなかなかに力作と思うのだが、馴染みの無い世界を見せて頂いたということで面白い一論だった。


 イランは、今でもイラン暦とイスラームのヒジュラ暦という性質の全く違う暦が同居している。そこに、中国由来の暦が持ち込まれた時、大混乱に陥ることはなかったのだろうか。

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コメント

お久しぶりでございます。
ちょうど今、御本尊が御来臨。
随喜の汗をかいております(じょーだんです)。
では!

投稿: あかさか | 2008年8月 2日 14時50分

あかさかさん、こんばんわ
毎日暑い夏で、
汗流し過ぎて体調崩さないように(^^;
かしこ

投稿: 武藤 臼 | 2008年8月 2日 23時19分

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