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2008年7月28日

西夏と年号

 年号あるいは元号とは、かつて世界にいくつもあった年の数え方のひとつで、今でも使っているのは今年を平成20年と呼ぶ日本だけとなった。前漢武帝の時代に遡るとされる年号は、もともと「何々王の何年目」という世界各地で見られた数え方に、皇帝の名前と関係のない抽象的な名前を使うという変わった方法である。

 中国歴代王朝の影響力によって普及した年号は、中国、日本以外でも、例えばwikipediaの元号をたどれば、ベトナム、朝鮮や大理、ホータンといった国々の年号を探すことができる。


 西夏についての話になる。宋や遼、金といった国々と緊張関係にあっただけでなく、それらの国々の大きな影響を受け続けた西夏でも年号が使われた。西夏について、一番多くの記録を残している宋史の外国伝には、30の年号が書かれている。それらの年号が、西暦の何年に相当するのかということについてなのだが、一次、あるいは古い二次資料というレベルで整理された年表などは残念ながら存在しない。断片的な資料を元に復元を試みた先人が既に何人も居られるのだが、人によって違いがありその差はまだ全ては説明されていない。

 自分にとっても年号は、西夏について調べ始めた最初にぶつかった問題点のひとつだった。その頃は、まだ参照すべき資料が不足していたため、以来西暦のみの表記で年号を全く使わずに過ごしてきた。最近になってようやく資料が揃ってきたので、それらの整理を順次当ブログの上でしていこうと思う。


<目次>
 その2 西夏にはどんな年号があったのか?
 その3 李元昊時代の年号 1
 その4 李元昊時代の年号 2
 その5 李元昊時代の年号 3
 その6 李元昊時代の年号 4
 その7 李元昊時代の年号 5
 その8 李諒祚時代の年号

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