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2008年8月21日

西北出土文献研究 第6号(感想)

西北出土文献研究 第6号
ISSN1349-0338
西北出土文献研究会 2008.3

 新潟大学の關尾史郎氏が代表を務める西北出土文献研究会の会誌?の第6号。論説2本、ノート2本、書評2本を集録。目次は、關尾氏のブログを参照されたい。なお、本書は著者のひとり佐藤さんより頂いたもの。ありがとうございます。

 簡単ながら、興味を惹かれた部分について感想を。


随葬衣物疏と鎮墓文---新たな敦煌トゥルファン学のために---
 關尾史郎

 五胡から唐の時代にかけてての敦煌とトルファンの墓葬について検討したもの。随葬衣物疏鎮墓文といずれも自分には馴染みがない。随葬衣物疏は、もとは副葬品のリストであったものが、後に鎮魂祈祷の性格を持つようになったもの。鎮墓文は、陶器に記されたもので、主に書式や埋納形式に二種類あるとするが、いずれも死者が生者に祟りせずに鎮まることを祈ったものとのこと。

 敦煌とトルファンそれぞれに、墓葬の変遷と時代との関わりなどが考察されている。五胡の時代についていえば、敦煌は鎮墓文でトルファンでは随葬衣物疏が墓に納められたというもので、ともに五胡王朝の変遷の影響を受けていながら、墓葬は近似していないとのこと。随葬衣物疏といった墓葬文化とその変遷を読み解くというのが面白かったし、それによって地域と地域の関係が見えて来るというのも興味深い。


楼蘭(鄯善)国都考
 伊藤敏雄

 シルクロード世代にとって馴染みの楼蘭故城ではなく、領域国家としての楼蘭の首都の位置について、諸文献と考古学的成果を利用して再検討するもの。初期都城がロプノール近くにあって後に南遷したという南遷説、最後までロプノール近くにあったとする北方説、最初から南方にあったとする南方説の3つを比較して南遷説の可能性が大きいとする。また南遷の時期について、国の名前が鄯善に代わった紀元前77年は考え難いという。しかしながら、初期に相当する都城遺跡が未確認のため、初期都城の位置については不定とする。

 誰かの本の影響か、77年遷都を漠然と自明に近いイメージを持っていた。まだまだ検討の余地があるどころか、少なくとも前期についてはほとんど分かっていないに近いという状況が示されている。半ば伝説で蜃気楼のような楼蘭が、いまだにそのベールの向こうという実態は、まだロマンは終わっていない的な興味を掻き立てて楽しくすらある。位置関係など地図的な話が楽しいので、楼蘭遺跡について再度触れる予定。


ロシア蔵西夏文『天盛禁令』刊本の未公刊断片
 佐藤貴保

 今春の遼金西夏史研究会の折に触れられたものについて、その一部を整理したもの。西夏文字で刷られた『天盛禁令』について、ロシア、サンクト=ペテルブルグでの実検調査を踏まえて、従来『天盛禁令』の6葉目とされていた断片が、未見の9葉だったことを明確に提示している。

 西夏文字文献の研究がまだまだこれからという実態を良く示している。佐藤さんの次の論文が楽しみである。

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