« サンダーフォースに西夏文字 | トップページ | 久しぶりにバックパッカー »

2008年9月 5日

西夏と年号 その5

李元昊時代の年号 3

 前回、次の様に纏めた。

 開運:1034年、1年
 広運:1034年〜1036年12月、3年
 大慶:1036年12月〜1038年10月、3年
 天授礼法延祚:1038年10月〜1048年、11年

 無理を承知で反論の余地を探してみる。まずこの中で、自分的に反論の余地が無いと思うところ。

 1. 開運から広運へひと月余りで改元されて、それが1034年であること
 2. 大慶から天授礼法延祚への改元が、1038年10月であること

 まず1について。開運から広運への改元については、その3の中で『宋史 夏国伝』を引用したが、『続資治通鑑長編』の巻第115、景祐元(1034)年に、言葉遣いは違うがほぼ同じ内容があり、しかもその年の李元昊を巡る政治的な動きがそこそこ長文で記されている。加えて1034年には、まだ触れていない李元昊時代のもうひとつの年号の問題があり、1034年は動かないと考える。

 2については、1038年10月が李元昊が皇帝即位の儀式を盛大に行ったことに絡むもの。この儀式の政治的なアピール度は高く評価されていて、西夏の建国をこの時からとするのが一般的になっている。天授礼法延祚への改元の文は、実際にこの儀式に関わる文章の一部として書かれていて、儀式に併せて行われたのは十分に説得力がある。なお、西夏の建国時期については、以前書いた西夏の建国についてを参照されたい。


 次に、この二点を前提に仮説をひとつ立ててみる。まず、以前引用した『宋史 夏国伝』の李元昊についての記事、

 在位十七年,改元開運一年,廣運二年,大慶二年,天授禮法延祚十一年。
この内、広運と大慶は3年ではなくて2年までしか無かったというのが正しいとする。そうすると間が空いてしまうので、前回「誤りとすべきである」とされた広慶が、存在していて3年まで有ったとしてみる。単純に数字を合わせると次のようになる。

 広運:1034年〜1035年、2年
 広慶:1035年〜1037年、3年
 大慶:1037年〜1038年10月、2年

 広運から広慶への改元が1035年の途中、広慶から大慶への改元が1037年の途中とすると一応収まる。これを正しいとすると、前回に引用した『続資治通鑑長編』の「改大慶二年曰天授禮法延祚元年」と「私改廣慶三年曰大慶元年」がどちらも正しかったということになって都合が良い。ただし、「私改廣慶三年曰大慶元年」が景祐3(1036)年12月の部分に書かれているのが誤りで、1037年のどこかだったということになる。


 さてどうだろうかということだが、大慶への改元の文については『宋史 夏国伝』と『続資治通鑑長編』に共通点がある。まず『宋史 夏国伝』、

 元昊自製蕃書,命野利仁榮演繹之,(中略)。複改元大慶。
次に『続資治通鑑長編』巻第119、
 趙元昊自製蕃書十二卷,(中略)。私改廣慶三年曰大慶元年。
この両方に共通する「元昊自製蕃書」は、李元昊が西夏文字を制定したことを指していると考えられている。これに因んで、西夏文字は1036年に制定されたとして、例えば「図説 アジア文字入門」(河出書房新社 2005年)の88ページやWikipediaの西夏文字もそう書いている。

 『宋史 夏国伝』『続資治通鑑長編』のどちらも「元昊自製蕃書」を含む文の直後に改元についての文があり、それでいて段落全体の文章はかなり異なる。これだけでは1036年とは確定しないが、改元の記事が文字制定とセットだったことを否定するのは厳しい。加えて、文字制定を含む『続資治通鑑長編』の文章の政治的な重要性を考えると、1036年12月を否定するにはより強い証拠が必要になる。

 そもそもとして、この仮説は『宋史 夏国伝』の「廣運二年,大慶二年」を正しいとしながら、『宋史 夏国伝』に見られない「廣慶」で穴埋めしている。数字合わせとしては面白く、先人が誤りとした点をいくつか覆せるのも面白いが、残念ながら旗色は悪い。「廣慶二年丙子」と書かれた文書が見つからない限り無理だろうか(1036年が子年)。

 もうひとつ。牛達生氏は、『《嘉靖寧夏新志》中的兩篇西夏佚文』の中で西夏関係の逸文『大夏国葬舍利碣銘』の中にある「大夏天慶三年八月十日建」という文を、3つの根拠を示して「大慶三年」の誤りと指摘している。これは、逸文ながらも「大慶:1036年12月〜1038年10月、3年」を補強する有力な材料として、肯定的に受け止められているようだ。残念ながら、自分には否定する材料が無い。


 以上より、李元昊時代の年号は、前回纏めた以下のものが有力ということになる。

 開運:1034年、1年
 広運:1034年〜1036年12月、3年
 大慶:1036年12月〜1038年10月、3年
 天授礼法延祚:1038年10月〜1048年、11年

 なお、李元昊時代にはこれ以外に上に書いたようにもうひとつ年号がある。これについて次回触れる。


<備考>
 『《嘉靖寧夏新志》中的兩篇西夏佚文』は、『寧夏大学学報1980年第4期』に収録、『西夏史論文集』(白濱編/寧夏人民出版社/1984年)に再録。

 『大夏国葬舍利碣銘』は、『嘉靖寧夏新志 卷2』(胡汝砺編,管律重修,陳明猷校勘/明代)に収録、『党項与西夏資料彙編 上巻第一冊』(韓蔭晟編/寧夏人民出版社/1983年)に再録。


その6へ
その4へ
最初へ

|

« サンダーフォースに西夏文字 | トップページ | 久しぶりにバックパッカー »

西夏史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/162739/42382028

この記事へのトラックバック一覧です: 西夏と年号 その5:

« サンダーフォースに西夏文字 | トップページ | 久しぶりにバックパッカー »