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2008年10月16日

1995年アジア紀行〈ペルセポリス〉

 ペルセポリス観光などのために、イラン南部の中心都市シーラーズへ滞在したのは、96年の3月19日から24日のこと。古代ペルシャ帝国、アカイメネス朝の聖なる都として、恐らくはイランにあるものとしては最も有名な遺跡とはいえ、その最寄りの街に5日も滞在したのはビザの延長という目的もあったため。

 イラン滞在にビザが不要だったのは当時すでに伝説のような話で、バックパッカーが大使館に申請して取れるのは、一週間のトランジットビザだけだった。それでは、陸路をパキスタンから入ると真っ直ぐトルコへ抜けるだけで終わってしまう。そこで延長ということになるのだが、当時のシーラーズの担当官は無口ながら親切な人物だった。驚いたことに、イスラム教の集団礼拝日である金曜日に手続きをしてくれた。オフィスを訪ねたとき、黙々とクルアーンを暗唱していた姿を覚えている。


 ペルセポリスは、シーラーズから北東へ50kmあまり。地図を見ると、谷間を縫うように走る道でひと山越えた隣の盆地にあるのが分かる。片道1時間、遺跡を隅々まで見て歩いて丸一日費やした。


 遺跡の主要部分は、南北がおよそ450m、東西が350mと大帝国の都としては意外に小さい。ザグロス山脈の中の比較的小さな山塊の西側山裾といった位置にあり、その斜面を少し登ると写真のように遺跡と盆地が一望に見渡せる。

 紀元前330年、征服者アレクサンドロスによって宮殿に火が放たれた。大宴会のあげくに酔った勢いで放火したという伝説が残る。遺跡を渡って来る風を受けながら、しばし空想に耽るにはこの高さはなかなか良かった。


 都には、柱が林立して巨大な宮殿が立ち並んでいたという。写真は、その中でも巨大な柱が保存されている謁見殿を北側、基壇の下から見上げたところ。


 都の入り口には巨大な石の階段がある。そこを登りきると巨大な浮き彫りが並ぶ万国の門が出迎えてくれる。


 ペルセポリスというと、レリーフの写真の方が知られているだろうか。あちこちの壁に多くのレリーフが残り、それを見て回るのがかなり楽しかった。

 写真の左にはライオンに襲われた牛、中央に楔形文字、右に朝貢使節?が見えている。ただし、遺跡についての詳細な資料もメモもないので、どこの壁のレリーフなのかは分からない。


 こちらも場所詳細は分からない。王と彼に使えている人々を描いたものだろうか。


<参考>
 西アジア史II(山川出版社 2002年)
 アレクサンドロスの征服と神話(講談社 2007年)

<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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コメント

素晴らしいですね〜
私も一度は行ってみたい。

投稿: 馬頭 | 2008年10月18日 00時54分

馬頭さん、こんばんわ

イランは是非もう一度行ってみたいっす。
見てないところすごく多いし。

この遺跡が2300年前に紅蓮の炎に包まれた
と想像するだけで、3杯くらい飯が喰えそうな・・・

投稿: 武藤 臼 | 2008年10月18日 01時56分

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