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2008年10月 2日

1995年アジア紀行〈タシュクルガン〉

 中国からパキスタンへ抜けるため、カシュガルからオンボロの路線バスに揺られてカラコルムハイウエイを一日かけてタシュクルガンへ向かったのは8月21日のこと。パキスタン北部のフンザ地方へ入るには、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンと接する国境の街に一泊しなければならなかった。県としての名前は、タシュクルガン=タジク自治県という。その名のとおり、隣国と同じイラン系の言葉を話すタジク人が人口の過半を占めているとのこと。

 県の中心であるタシュクルガンの街は、中国と隣国を結ぶ道路が通る要衝になっているが、それは古代以来のことだという。唐の初期に玄奘が、インドからの帰路に立ち寄った渇槃陀国がタシュクルガンであるといい、唐の勢力が及んでからは葱嶺守捉が置かれていたという。清の時代にはヤルカンドに属していたが、中華民国になって蒲犁県が置かれカシュガルの管轄下に移る。タシュクルガン県となったのが1954年のことで、翌年自治県になったとのこと。

 街は、標高3100mという高地にあるが、高原というよりも広い谷という趣き。8月末とはいえ夜は寒く、標高1300mのカシュガルから登ってきた日の夜は、息苦しくてなかなか寝付けなかったのを覚えている。面積2.5万平方キロと秋田県二つ分もある県に、わずかに3万人ほどの人々が暮らしているという。



 タシュクルガンの見どころのひとつ石頭城跡。街から歩いてすぐの丘の上に石積みの城壁が残る。


 城跡の上から街を望むと、中心街に真っ直ぐ延びるポプラ並木の向こうに山々が聳える。


 城跡近くの村で見かけたタジク族かと思われる、ちょっとおしゃれな子供達。


 カシュガルからタシュクルガンへ向かう途中に広がる、白い山々とのコントラストが奇麗だったカラクリ湖


 朝にタシュクルガンをバスで立ち、険し山道を登り続けると昼過ぎには国境へと辿り着いた。周囲には氷河が広がる標高4934m、自分が今まで行った場所で最も高いクンジュラブ峠。3時間の時差を越え、右側通行だったバスが左側を走り出す。峠までは1日半かかったが、その日の夕方にはフンザへと辿り着いた。


<参考>
 玄奘三蔵(講談社 1998年)
 行政区劃簡册 2007(中国地図出版社 2007年)
 中国歴代行政区劃(中国華僑出版社 1996年)
 新疆維吾尓自治区地図冊(成都地図出版社 1994年)

<Google May Map>
 1995年アジア紀行参考地図

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コメント

懐かしすぎて涙が出ます。。。
私もほぼ同時期にここを通り過ぎましたから。
この辺りの風景は、世界というのは、人が住んでいない
ところが多くて、とてつもなく茫漠としているのだな
ということを実感させてくれました。
ああ、なつかしい。。。

投稿: ちゃんまる | 2008年10月 4日 14時17分

ちゃんまるさん、こんにちは

懐かしですよ、なったく(^^)
同じ頃峠を越えた人の顔をいくつも思い出します。
連絡がつかない人がほとんどですが、皆どうしているでしょ。

もう一度行こうと思えば行ける場所ではありますが、ある種遠い世界であります。

投稿: 武藤 臼 | 2008年10月 4日 16時46分

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