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2008年10月17日

セビーリャのアルカサル

 セビーリャのアルカサルは、旧市街の南寄りに大聖堂と勝利の広場を挟んで立っている。アルカサルとは、城あるいは宮殿の意味とのことだが、ここのアルカサルは城壁に囲まれているもののどちらかといえば宮殿である。

 セビーリャのアルカサルの歴史は、10世紀のアンダルス=ウマイヤ朝時代にゴート時代の教会の跡地に総督府を築いた時に遡るという。アッバード朝、ムワッヒド朝の時代に拡張がなされ、13世紀カスティーリャによる征服の後も14世紀のペドロ1世を初めとする歴代の国王の手によって増改築が繰り返されたという。

 とはいえ、セビーリャが政治的にアンダルシアの中心だったのは、11世紀から12世紀にかけてのことで、スペイン王国時代には国内に何か所かあった宮殿のひとつに過ぎなかった。いわば離宮である。ヨーロッパで王宮というと、パリのベルサイユのような建物を思い浮かべるだろうか。首都マドリッドにある現王宮は、威容という点ではそういう雰囲気の建物だった。セビーリャのアルカサルは、100m四方に満たない敷地に様々な建物が建ち並んでいて、しかもほとんどの建物が二階建て一部に屋根裏的な三階が見られるという規模で、威容という点ではかなり見劣りがする。

 この宮殿の特徴のひとつは、ムデハルと言われるイスラム教とキリスト教折衷の様式にある。自分が建築様式を見分けて理解しているわけではないが、漆喰で立体的に飾られた柱や天井、モザイクタイルなどは確かにイランなどのモスクで見たものを思い出させる。加えて、宮殿の南に広がる庭園は、東西400m、南北300mあまりと建物部分の数倍の広さで、様々な形に植えられた木々を見て歩くだけでも楽しかった。



 建物としては、ペドロ1世の時代に起源を持つというペドロ王の宮殿あるいは、ムデハル様式の宮殿と呼ばれる建物が見どころの中心。写真は、孔雀のアーチに飾られた出入り口が三方にある大使の間

 ムデハル様式の宮殿は、一階はがらんどう、いわば建物だけで宮殿らしい調度の類は二階に展示されているようだ。ただ二階には入場制限があり、時間待ちが煩わしくて自分は結局見ていない。


 宮殿内には大小様々にパティオと呼ばれる中庭がある。写真はムデハル様式の宮殿の真ん中にある乙女のパティオ。パンフレットには、石畳の真ん中に丸い小さな噴水という写真が載っているので、この細長い池は最近造られたものということになる。


 乙女のパティオを囲む回廊の天井を見上げた写真。色とりどりに塗られた立体的な漆喰飾りは、特に気に入っている。


 ムデハル様式の宮殿の東隣には、18世紀に建てられたというゴシック様式の宮殿がある。写真は、その中の一室で白漆喰と黄色に塗られたアーチが印象に残った庭園の広間


 庭園の広間に隣接した庭園のひとつ、一段高所に造られた池の庭園


 こちらは、さらに南側に広がる庭園の一角。細長く延びる糸杉や刈り込まれた生け垣で造られた迷路など楽しく見て回った。


<参考>
 セビーリャのアルカサル(セビーリャ市)
 世界歴史大系 スペイン史1(山川出版社 2008年)


 Googleのマイマップ2008年秋 スペインの旅 セビーリャへ、この他にもアルカサルの写真を載せています。

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