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2008年10月18日

亀山城から本能寺へ

 先の旅から戻って気がつけば4週間、何か旅行中の2週間よりも短かったような。ぼやぼやしていると少しは?動くようになった足腰が鈍ってしまうので、秋晴れの一日歩きに出かけた。

 以前より暖めていた企画、明智光秀とその軍団を真似て丹波亀山城より本能寺へ駆ける・・・のは無理なのでとにかく歩いてみるというもの。朝の電車で亀山ならぬ亀岡へと向かった。


 本能寺へと向かう前に、まず亀山城跡を見て回った。自分が今まで回った江戸時代のそれなりに地形が残っている城跡の中で、宗教法人が管理して、しかも中心部分が聖地となっているという例には初めて出会った。本丸を二分していた堀の名残と思われる部分までは入れるものの、そこから先は基本的には入れないそうだ。

 写真は、亀岡駅の南に残る外堀。一部気の早い木が色づき始めていた。左側が本丸跡。ここ以外にも堀の跡は何か所か確認できるし、街を歩くと外堀に面していた門などの案内板が立っていたので、いくつかを訪ね歩いた。


 亀山城を後に、できるだけ古い山陰道を探しながら東へ向かったが、馬堀駅周辺は団地などの造成で無くなっているのを確認した。山陰道の名残が確認できたのは、写真の篠村八幡宮へ辿り着いてから。ここまでゆっくりあるいて1時間。

 篠村八幡宮は、太平記の時代に足利尊氏が鎌倉幕府に叛旗を翻した場所。境内には、それに因む石碑が立っていた。


 八幡宮からさらに1時間、国道と京都縦貫道を越えて老ノ坂峠を目指すと、亀岡市と京都市の境に立つのがこの石碑。「従是東山城国」と刻まれている。神社からここまでは、田圃の端などに残る山陰道をだいたいは辿ることができる。


 峠を下り、国道を越えて旧道を進むと、写真の場所に出る。左上の電柱に「山陰街道沓掛」と書かれた交差点の名前と思しき看板が掛かっている。本能寺へと向かう明智光秀の部隊が、休憩を取ったとされている場所。真っ直ぐ進めば京、右へ曲がれば大坂、光秀の決意が明かされた場所という。峠からここまでは、かなり寄り道をしたので1時間以上かかっている。


 沓掛から先は市街地で景色を見ながらという趣きではなくなる。代わりに、京都から見て最初の宿場街であるという、少し面影が残る樫原の街並を眺めながら歩いた。ここまでで、足はかなり悲鳴を上げた。休憩を長めに取ったので、桂川に架かる桂大橋を渡ったのは沓掛からさらに1時間後。

 足が多少重くても橋があるので渡河に苦労はないのだが、明智軍はどうやって渡ったのだったか。


 いわゆる丹波口から京に入り、壬生を通って本能寺跡に辿りついた時にはもう夕方だった。地図上で計って22kmほどの道程。だいぶ寄り道をしたので30km近くは歩いている。峠越えで6時間半ならまあまあだろうか。といっても足はパンパンなので、傷みが引くのに何日かかるだろう。

 明智軍は、このコースを軍装で辿り、しかも着いてからが戦の始まりだった。まったく頭の下がる思いでいる。


 ところで、老ノ坂峠を越えるにあたって、学研の歴史群像シリーズの「明智光秀」に載っているコラムを参考にした。今の国道9号は、当時の山陰道とはかなりルートが違うからだが、その中には峠付近は道が行き止まりで踏査困難と書かれている。

 下の地図は、その老ノ坂峠周辺のもので、赤線が自分の歩いたルート。真ん中に亀岡市と京都市の境があり、これを越えてしばらく行くと細い踏跡が残るだけの道が坂を下るまで続いている。一応踏破することはできるのだが、「明智光秀」掲載の地図を見る限り大正時代に残っていた峠道は下の地図の青線であるらしい。しかしこのルートは、峠付近が清掃工場、山麓が霊園の敷地になっていて地形が大きく変わっているので、旧道を辿るのは確かに不可能と思われる。

 もう一点、歩いていて気がついたのだが、このルートには峠と言える場所が2か所ある(地図に「峠?」と記したところ)。このどちらか、あるいは両方併せて老ノ坂峠になるのだろうか。東側は確認しようがないが、西側の峠を東へ少し下った所に「京都の自然二百選 老ノ坂峠(山陰道)」と書かれた標識が立てられている。どうも微妙な位置で、これは西側を老ノ坂峠と言っているのか、それとも付近一帯を老ノ坂峠周辺の自然と言っているのだろうか。


「この地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図(京都西南部)を基に作成しています。」


<Google マイマップ>
 亀山城から本能寺へ 参考地図

<参考>
 俊英 明智光秀(学研 2002年)

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コメント

30キロ以上の踏破、お疲れさまです。

亀山城は本丸天守部分に入れませんでしたか。
私が以前訪れたときは、宮司さんのお祓いを受けるという条件で中に入れてもらえましたが、ガードが厳しくなったのかもしれませんね。
天守跡の石垣は残っていますし、大きな樹木がありました。

投稿: 桐野 | 2008年10月19日 08時50分

桐野さん、こんにちは

一晩寝て、まだ足にはだいぶ熱があるし、痛みも多少ありますが、だいぶ治まった気もします。
まだ若いということでしょうか(笑


実は、庭で掃除をされていた方から

>祓いを受ける

・・・という条件については教えて頂きました。
その事を細かく書くつもりがなかったので、
上では「基本的に」と書いて逃げてます(^^;
ですので、桐野さんが行かれた当時と状況はあまり変わっていないと思います。

自分的には、お祓いを受けて
・・・というのがひっかりまして、
手間をかけて、石垣と銀杏を見に行こうという気がおきなかったもので(^^;

投稿: 武藤 臼 | 2008年10月19日 14時47分

武藤臼様
凄いですね、真似できません。
亀山城跡は、何故かスルーして入った事があります。

投稿: k2 | 2008年10月25日 21時08分

K2さんこんばんわ

自分でもよくまぁ・・・と思います。
たかだか20kmちょっとじゃんとか思ってたんですが、峠を下った辺りからかなり足に来てて、桂駅で終わりにしようか結構悩みました(^^;

投稿: 武藤 臼 | 2008年10月25日 22時55分

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