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2008年10月11日

セビーリャ

 グラナダ、コルドバと並んでアンダルシア三都のひとつと言われるセビーリャ。歴史はローマ時代に遡るといい、現在ではアンダルシアの州都としてスペイン第四の大都市だ。8世紀に始まるイスラム諸王朝の時代、アンダルシアの政治的中心はコルドバとグラナダだったが、11世紀にはアンダルス=ウマイヤ朝滅亡後の有力な地方勢力アッバード朝の首都となり、12世紀後半にはムワッヒド朝治下の中心都市となった。カスティーリャによって征服されたのは1248年のこと。

 セビーリャは、アンダルシアを貫いて流れるグアダルキビル川河口に近い川港として、古代から重要な交易都市であったという。カスティーリャ時代以後は、大西洋交易の拠点となるスペイン最大の都市として栄えたとのこと。


 セビーリャはスペイン最初の目的地だったが、意外な結果としてポルトガルの首都リスボンから陸路で入ることになった。9月8日、朝9時にリスボンを出たバスは、500kmほどの道程、1時間の時差と国境を越えて8時間でセビーリャへ到着した。


 ポルトガルとスペインの国境グアディアナ川、河口近くに架かる高速道路の橋の上を走り過ぎた。同じEU内なので手続きは無く、看板と地図を気にしなければただ川を渡ったというだけのこと。


 アンダルシアの母なるグアダルキビル川。街の西を北から南へ流れて今でも船が行き交う。地図を見ると、川の本流はより西側に作られたと思しき放水路にあるようだ。川沿いには、800年前に遡るという黄金の塔という名の塔が立っている。


 街の北から東にかけて、一部分だけだが城壁が保存されていた。その外側を広い道路が走っていて、城壁が残っていないところでもその外側と内側では脇道の走り方や建物の大きさに違いがある。おまかには、この道路が旧市街の外周を走っているものと想像できる。


 かつてイスラムが栄えたアンダルシアとはいえ、今はカトリックの世界。教会の建物は、特に見慣れない旅の始まりの頃どれもが文化遺産のようにも見えた。教会といば石造りで高い塔のある巨大なものというのは偏見のようで、よく見て歩けば大小様々で造りもかなり個性的。写真は、聖母信仰で知られているというマカレナ教会。


 そうはいってもセビーリャで一番に案内されるのは、巨大なセビーリャ大聖堂 。写真の右側に建つ塔はヒラルダの塔と呼ばれていて、その起源はイスラムの時代まで遡るという。また、聖堂内にはコロンブスが葬られている。


 大聖堂の南側には、もうひとつの見どころセビーリャのアルカサル(城あるいは宮殿の意味)がある。聖堂と比べると大きな建物が無いので、写真でみるとあまりぱっとしないが、城内は南側の庭園を取り込んだ広大な敷地があり、個性豊かな建物群は見て歩いて楽しいものだった。写真を沢山撮ってきたので、次回に少し詳しく紹介する予定でいる。


<参考>
 世界歴史大系 スペイン史1(山川出版社 2008年)
 世界歴史の旅 スペイン(山川出版社 2002年)
 アンダルシア散策(Edilux 2003年)


 Googleのマイマップ2008年秋 スペインの旅へ、この他にもセビーリャの写真を追加しています。

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