« バダインジャラン沙漠700km | トップページ | ジブラルタル »

2008年11月25日

西夏と年号 その8

李諒祚時代の年号

 ようやく次の時代の話になる。『宋史 夏国伝』李諒祚の部分の最後の一文には、次のように記されている。

 十二月,諒祚殂,年二十一。在位二十年,改元延嗣寧國一年,天祐垂聖三年,福聖承道四年,◆都六年,拱化五年。(以下略)
◆は偏が奢、旁が單、以下同
 李諒祚の死が何年のことなのか直接記されていないものの、直前に宋の神宗即位のことが書かれていることなどから、治平4(1067)年のこととわかる。李諒祚の即位は、先代李元昊が死んだ1048年。

 ところで、『宋史 夏国伝』『続資治通鑑長編』のどちらにも李諒祚時代の改元についての記録がない。そこで、先人の研究と同様に、ここに記された5つの年号は全てが正月元旦に改元されたと仮定する。すると、長部和雄氏や李華瑞氏が指摘しているように、下記のとおり奇麗に纏めることができる。

 延嗣寧国 :1049年、1年
 天祐垂聖 :1050年〜1052年、3年
 福聖承道 :1053年〜1056年、4年
 ◆都:1057年〜1062年、6年
 拱化:1063年〜1067年、5年

 数字合わせとして奇麗に収まっているので、他の可能性はあまり想定されていない。李元昊の時代がそうであったように、『宋史 夏国伝』は決して絶対ではないので、今後なんらかの資料によって覆される可能性はゼロではないと思う。ただし、傍証する資料が今のところ無いのだからこれ以上は考察しようがない。よって、先人の考証にしたがって上記の一覧を李諒祚時代の年号と確定させておく。


 以下少々余談。『宋史 夏国伝』や『続資治通鑑長編』は、李元昊時代について多少ながら改元について触れているのに、なぜ李諒祚時代については一切ないのか。李元昊が特別なのか李諒祚が特別なのか、今後の課題のひとつとなる。


 もうひとつ。李諒祚時代について傍証資料が無いと書いたが、「福聖」と西夏文字で書かれたものがあることが、『宋史夏国伝集注』で紹介されている。ひとつは「福聖宝銭」という名の銭で、もうひとつは「福聖年間」と書かれた敦煌莫高窟にあるという西夏文題記とのこと。この「福聖」が福聖承道の省略形ということで認知されているようだ。

 莫高窟の題記については手元で確認できないが、福聖宝銭についてはお蔵入り古銭ギャラリーというサイトの中にある西夏銭画像というページで見ることが出来る。ただし、摩滅が激しくて判読が厳しい。

 この銅銭については『西夏遺跡』に解説があり、上から右回りに「聖福宝銭」と釈字されている。そう言われれば、一文字目は西夏文字の「聖」をやや横長にしたものに見えなくない。西夏に「聖」のつく年号は他に確認されていないので、この「聖福宝銭」が福聖承道年間の銅銭という以外の解釈は成り立たないことになる。

 僅か漢字2文字のそれも年号を西夏文字に置き換えるのに、文法通りに形容詞の「福」を後置していることに少し驚いた。このことは、西夏の年号について西夏文字と漢字のどちらで先に決められたのかということの手がかりになるだろうか。


<備考>
『宋史夏国伝集注』
 羅福萇・羅福頤集注/彭向前補注/寧夏人民出版社/2004年
『西夏遺跡』
 牛達生著/文物出版社/2007年


その7へ
最初へ

|

« バダインジャラン沙漠700km | トップページ | ジブラルタル »

西夏史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/162739/43218195

この記事へのトラックバック一覧です: 西夏と年号 その8:

« バダインジャラン沙漠700km | トップページ | ジブラルタル »